「難しいから無理」から「どうすればいいのか」という思考へ
研究者どうしで話をしているときに,「こういう研究やりたいんだけれど,なかなか難しいのですよね」という会話を交わすことがあります。
そして,特に学部で卒論やゼミの研究に取り組む学生なのですが,やはり言うことがあるのです。「こういう研究は難しいから無理ですよね」という,ほとんど同じセリフです。
同じようなセリフなのですから,同じようなことを表していると思いますよね。
ところが,おそらく背後で考えていることが全く違うのです。いったい,なにが違うのでしょうか。
ツイッターの研究
たとえば,サイコパシーやマキャベリアニズムや自己愛やサディズムといったダークなパーソナリティをもつ人が,ツイッター上でどんなツイートをしているかを研究したいと思ったとします。
調査参加者にパーソナリティの質問紙調査を実施して(もちろん紙に印刷する必要はなく,オンライン調査で良いのですが),その人のTwitterのアカウントを入手します。そうすれば,書き込んだりリツイートしたりした内容を手に入れて,そこからなんらかの形で書き込み内容と心理学的特徴との関連を分析していくことができそうです。
Facebookの場合
海外では,Facebookの研究がたくさんあります。なぜなら,Facebookは実名で登録するSNSですので,アンケートに答えた本人が書き込んでいることが明らかだからです。
実名だから,その本人を取り巻く色々な情報をひも付けすることが簡単なのです。あとは,Facebook上で動くパーソナリティを測定するアプリがありますので,そこから情報を得ることも難しくない,という状況もあります。Facebookの研究が進んで,最近では,どの記事にいいねをつけたかの情報をある程度蓄積すれば,そのユーザーのパーソナリティを一定の確率で推定できると言っている研究者すらいます。
Twitterでは
その一方で,ツイッターは匿名です。しかも,複数のアカウントを持っているユーザーも数多くいます。さらに,表向きのアカウントと裏アカウントで,書き込む内容を分けているユーザーもいます。
大学教員の場合は,そもそも実名である程度広く活動する職業ですし,私がTwitterのアカウントを取ったときは実名で登録する同業者も多かったのではないかと記憶しています。が,最近は学会で会って自己紹介するときに,「ああこのアカウントの人ですか」といった気づきがあったりするほど,研究者でも匿名での利用が多い状況です。
このような状況ですので,「ツイッターのアカウントを教えてください」と調査参加者にお願いしたとしても,なかなか教えてくれなかったり,複数のアカウントのうちいちばん無難なものだけを回答したりすることが予想されます。
目的はダークなパーソナリティに関連するツイートの内容を検討することなのですから,表向きの無難なほうのアカウントが知らされるというのは,ちょっと結果は大丈夫かな?と心配したくもなってきます。
難しいですよね
そういうことを想像して,「こういう研究は難しいから無理だと思いました」と学生たちは言いがちなのです。
そういう言葉を聞くと,「あーあ残念だな」と思ってしまいます。
難しいと思うなら,次善の策は何?どうしたらいいと思うの?と聞きたくなります。でもたぶん,返ってくる答えは「難しいと思ったからやめます」なのでしょうね。
本当に残念です。それであきらめてしまうのですか?
研究をする時の考え方
研究者の場合は,何を考えるでしょうか。
たぶん,状況が許せばベストなやり方はこういうやり方だ,という内容を事前に想定します。実際の制約は無視して,もしかしたら調査参加者の苦痛やプライバシーや人権すら無視できるのであれば,です。その上で,「こうなったらベスト」という方法を想定します。ただしもちろん,それは実現することは不可能です。
でも,想像することは自由です。
そこから,現実の制約に応じて次善の策,またその次の策,さらにその次の妥協案と,すりあわせをしていくのです。さらにその際に発生すると思われる,多くの問題点をどうやってクリアしていくかを考えます。
研究をする際には,研究費も人件費も,時間にも制約があることが多いですから,投入できる可能な資源の中で,これくらいがセカンドベストだというところをすりあわせていくのです。そういう中で,実際の研究は進められていきます。
先ほどのツイッターの例の場合,裏アカウントや匿名アカウントを集めることは難しくても,間接的にその中での振る舞いを尋ねることはできるかもしれません。たとえば,アカウントそのものは教えてもらえなくても,これまでにアカウントが停止になった経験があるかどうかは回答してもらえる可能性があります。ダークなパーソナリティの持ち主のツイッター上での行動なのですから,アカウントが停止されるような発言を繰り返し,結果的にアカウント停止の経験をしているかもしれません。でももちろん,そんなに変な発言をしていないのに停止になったというケースもありますよね。だったら次に,そういうケースをどうやって把握すれば良いのかを考えていくのです。それが,現実や問題点とのすりあわせです。
可能になるかもしれない
もしかしたら時間が経って,技術上のイノベーションが起きたり,大きな研究資金を手にする機会に恵まれたり,多くの人の手を借りることができるような機会を手に入れることができるかもしれません。
そうしたら,次にベストなステップへと進んでいくのです。
その時には,最初に行った,妥協の中での研究が大きく活かされていきます。最初からそれを待っていてはいけません。できることをできる範囲でやっておくことは大切です。そして,「この状況が許せばこれをしてやろう」とイメージしておくのです。
じゃあどうしたらいい?
こういう時には「難しいと思うからやめます」ではなく,「じゃあどうしたらいい?」と考えることが重要だと思うのです。
そうすれば,そこで止まるのではなく,そこから次へと進んでいきます。
そして,ずっとずっと考えているうちに,誰もが「あっ!」と思うようなアイデアが生まれたりするものなのです。考えていれば「そんな解決方法があったのか!」という答えにたどり着くかもしれないのです。でも,やめてしまえばそれで終わりです。
最初から「難しいから無理ですね」と考えていては,そこにはたどり着きません。それは思考停止だからです。
きっと役にたつ
これと似たようなことは,仕事でも子育てでも,きっと人生のなかでも何度も訪れるものだと思います。こういう考え方や経験こそ,社会で役にたつものだと思うのですが,いかがでしょうか。
「難しいから無理だよ」ではなく「そうか。じゃあどうしたらいいかな」と考えてみるだけで,どこかに通じる道が開けるかもしれません。
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