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かたちに注目する読み方

本を読んだり論文を読んだり(好んで論文を読む人,というのもあまりいないとは思うのですが)した時に,内容を理解しようとするだけではなくて,形式や構造に目がいくことはありますか?

「そんなこと普通はしないよ」と思うかもしれません。でも,たまにはそういうことに目を向けることも,うまい文章を書いたり,分かりやすいレポートを書いたりする上で役立つことがあると思います。

構造を意識する

この文章や段落はどういう構造になっているのだろう?という意識を持ってみましょう。そして,その文章の真似をしてみるのです。

どんな内容の段落の次にどんな内容が来ているのか,接続詞は何を使っているのか。論文なら,セクションのタイトルはどうなっているかとか,数字の書き方は?

引用文献の書き方はどうでしょう。文献は著者名から始まりますか,文献タイトルから始まりますか?あいうえお順?アルファベット順?日本の文献と海外の文献は混ざっているのですか?別になっている?

真似をする力

うまく真似ができるかどうかというのは,ひとつの重要な能力や技術ではないかと思うのですよね。そして,全てをなんでも教えることができるわけではないような場面で,その能力や技術は役に立ちます。

何かのやり方というのは,ちゃんと構造化されているとは限りません。なかなか言葉にできないこともあります。泳ぎ方や自転車の乗り方を考えてみると,それを言葉にすることの難しさがよくわかるのではないでしょうか。自転車に乗ることができない子どもに,言葉で乗り方を教えることはほぼ無理です。

言語化できないことを真似る

勉強でも仕事でも,同じようなことが生じます。何かのやり方は,やっている人も言語化できなかったり,教えることができなかったりするものなのです。

素晴らしい選手が必ずしも素晴らしいコーチになるとは限らない,ということはたまに言われますが,それはやり方のポイントを自覚しているとは限らないことや,言語化できるとは限らないというところにあるのかもしれません。

自由にどうぞという不自由

文章を書くことも,それによく似ています。「自由に考えていることを書けばいいんだよ」と子どもが言われたとしても,できるとは限りません。「泳いでいいんだよ」と言われても泳げるわけではないのと同じだからです。

卒論の研究を始めようとする学生に「どんなことを研究してもいいからアイデアを出して」と言うのも似ています。何をしていいかわからず,止まってしまうことがあります。

真似をしてもいい

そういう時に,「真似をしてもいいんだよ」と言ってあげると,予想以上によく書けたりアイデアが浮かんだりします。

子どもたちや学生たちがそこで何をみて,何を学んで,何を取り入れているのかはよくわからないのですが,そういう姿を見ていても「真似をする」というのは大切なことではないかと感じます。

真似をするのと「剽窃」は違います。もちろん,その境目は曖昧です。つまり,何を真似るかによって「うまくやったね」という結果と「それはパクリだよね」という結果と,評価が分かれてくるということです。

でも,練習なら良いのではないでしょうか。真似をして練習を繰り返していくうちに,自分なりのやり方になっていくことはよくあります。真似だとわかるうちは,まだ「道半ば」なのかもしれません。

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