日本で育った自分たちの持つ無意識の文脈

来週から、また海外出張です。定期的に海外という異なる文脈の場所に行くことで、否が応でも自分が普段いる日本の特殊な文脈を意識させられます。

海外でふと「どうしてこうなっているんだろう?」「どうしてこうも異なるのだろう?」という疑問から、日本で育った自分たちの持つ無意識の文脈を意識してしまうのです。

例えば、西欧で庭園に行くことで、一点透視図法的に奥行きが感じられて視点が固定されるものを体験すると、日本庭園や枯山水の視点が移動することを前提に「ここから見たらこう楽しめる」という相対的な視点を再発見することになります。音楽だって、メトロノームがあり指揮者がいる西欧のあり方に対して、日本の雅楽や能などの音楽のように相手が音を出したものに対して、次に誰かが反応するようなやりとりの音楽のあり方なんて、まさに西欧の絶対的なものを基準としている文脈と日本の相対的なものでなりたっている文脈を意識することになります。

この「特殊な文脈」は、普段はまったく意識していない部分で、小さい頃から無意識に埋め込まれた世の中の見方や解釈の仕方という癖みたいなものです。もちろんそれぞれの国には法などの社会のシステムがありますが、その前提としての「特殊な文脈」は、無意識だからこそ根強いものです。

さて翻って、7Pay事件で露呈してしまった大きな会社であっても、システムの要件定義ができないというのも、この「特殊な文脈」の影響が大きいように感じています。ユーザーの利便性をあげながら、安全な仕組みを設計するというのは、絶対的な基準を作るという文脈であって、日本の古くからの文化だとやってみてすり合わせしながら、現場オペレーションでよしなに対応していこうという文化なのだろうと思います。残念ながら。。。

いや、もちろん、多くの人が使うサービス設計なのだから苦手とかそういうことは抜きにちゃんと全体を設計するという神の視点を身に付ける必要があるし、現にWEBのサービス設計をやっている会社にはこの風土は当たり前に存在しています。でも、小売業をやっていた古くからある会社にはこの風土はなかったのかもしれません。。。この風土に自覚的にならないと、防げないことが露呈したいい機会でしょう。

ということで、来週からの海外出張を正当化するためにも、この自分たちの持つ無意識の文脈に気がつくことの重要性を強調しました。最後に、ネガティブな話に最後なっちゃいましたが、この相対的な物の見方や「○○道」のような繰り返し行うことでマインドフルネス的なものに至る文化など、大きな武器だと思っています。では、今週は以上で!

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