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グラデーションが失われていく社会で。。。

ソーシャルメディアで可視化できるようになったからだけでなく、社会構造としても言論が極端化しやすくなっているように感じる。下記のエントリーも共感している人が多いのもよくわかる。

働き方、年金、子育て問題、高齢者による交通事故への対処、性差別、国籍差別etc. 日本でグラデーションがなくなっているのは、同じ国の中で立場が異なり、議論の前提条件が違う層ができていしまっていること。SNSという場では今まで出会わなかった層の意見を目にする機会があるからだろう。

グラデーションがなくなり、対立した意見だけが飛び交う状況になっているのは、日本だけではない。米国では、元マジョリティだった白人労働者層vs新しい産業で仕事を得ている知的労働者層の対立。イギリスやEUでも、移民受け入れ問題をきっかけに、今までの社会のあり方を守りたい層と経済優先層の対立が大きくなっている。諸外国の状況も、日本とまったく構造が同じだ。人ごとじゃない。

世界で共通しているのは、新しい社会で求められるプロフェッショナル性があって競争の中でも価値を提供していける層はいいが、そうじゃない層に「がんばれ!努力しろ!自分でなんとかしろ、甘えるな」以外の指針を出せていないことなんじゃないだろうか。エリート層(エリート層の引退老人含む)とヤンキー層(ヤンキー層の引退老人含む)と分類すると、ヤンキー層に話せる政治的な指針がない。

政治的には、マジョリティであるヤンキー層と引退した老人層には、悲観的な話はできないので、ふんわりと「優しい社会」とか「安心安全の社会」といったことしか言えなくなる。現実逃避のためのお笑いなどのバラエティ番組、ニュースという程のエンタテイメント番組を与えておくことしかできない。。。本当にこれでいいのかな?

普通の人が普通に生きるためには、どうすればいいのか? この選択肢を示せないのが世界共通の課題だ。自分が小学校の時にあったような、いろいろな職業の親を持つ子供達の集合体だったあのグラデーションの豊かさ。親の裕福さとかでフィルタリングされないからこそ、いろいろな子供がいたという凸凹感は面白かったし、勉強になった。(国際的な部分ではまったく多様ではなかったけどw)

ちょっと後ろ向きになったけど、白か黒かだけでないグラデーションのある社会や議論ができる場がもてる余裕がある社会であってほしい。

香港のニュースを見てモヤモヤした今週のnoteは以上!

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