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今の不信感は「安心社会の崩壊」に立ち会っているのかも?山岸俊男著 「安心社会から信頼社会へ」を再読のススメ。

ニュースで取り上げられる話題のほとんどが、官公庁や大企業の偽造、捏造、不祥事、ブラック企業にブラックバイト。。。不動産、金融を中心とした詐欺まがいの取引、、、子供の虐待などなどネガティブな話題が多くなっている。感覚が麻痺してきて一つ一つのニュースに怒ることもなく「組織というものは倫理感よりも内部の論理で悪いほうに走ってしまうものなのかなぁ、、、」と不信感だけが蓄積している。

そして消費者保護とか、再度同じことが起こらないように・・・という名目で商売相手、取引相手、関係者を信用せずに、システム的に手続き的に不祥事が起きないためのガチガチの仕組みだけが積み重なっていく。その結果、仕事はどんどん非効率的になり、仕事相手やお客さんはは仲間や協業者ではなく、単なる事象として扱われていく。売り上げデータ、取引データの一つのセルのように。。。

こんな社会の現状を眺めて感じているのは、相互不信社会に陥っているという実感だ。そこで思い出したのが、昨年亡くなられた山岸俊男さんの著書「安心社会から信頼社会へー日本型システムの行方」で書かれていたことだ。まさにこの「安心社会の崩壊」に立ち会っているのかもしれない。

この本の中では、日本社会のあり方が以下のように変わっていくというパラダイムを提示していて、非常に納得がいくものだった。(以下引用はこのブログの書評が非常によくまとまっていたので参照して加筆引用しました)

・日本は「信頼社会」ではなく「安心社会」なので、一見集団主義的に協力し合っているように見えても、それは単に、著者が「コミットメント関係」と呼ぶ様々なしがらみ(村社会の掟)が存在するおかげで、「相手が自分を裏切ることはないだろう」と安心できるに過ぎない。
・コミットメント関係がないよそ者に対しては、日本人は強い不信感を抱く傾向がある。それに対して「信頼社会」を生きるアメリカ人は、よく知っている者同士の内輪の協力は日本人ほど密ではないかもしれないが、逆によそ者であってもひとまず「信頼」してみせるという開放的な態度を持つ人々だ。
・日本社会は、既知の間柄を重視し、よそ者を不当に低く評価する保守的な組織で、様々な無駄や非効率が発生しているとも言える。人間関係の刷新によって得られたはずの利益を“機会費用”として支払い続けている。コミットメント構造による「仲間内ひいき」の構造が社会全体を覆っている間は、どこへ行ってもそうなのだから機会費用が発生しているとはいえない。しかし終身雇用体制の弱体化など、社会関係が部分的に開放されてきているので、無駄を無駄として認識する必要がでてきた。
・そうなると「低信頼社会」を生きる日本人も、今後は特定のコミットメント関係にない他人に対して抱く「一般的信頼」感を高めて、社会関係を開いていくことに積極的にならなくてはならない。[信頼社会へ]

冒頭に書いたような不祥事はすべて、この本で書かれていた安心社会の中で、職業倫理よりも組織の中での関係を重視してしまったがために起きている不祥事といえる。個人的には、不祥事として出てきているのは安心社会が崩壊する中で出てきている現象だと思っている。今不祥事として出てきている現象も、従来の安心社会に疑問を持たない中では、不祥事としてでてこない事件だったのだろう。

信頼社会へ移行していく中で、経なければならない段階だと考えたい。閉塞感や息苦しさの原因は、日本社会の安心社会という構造が生み出している。アメリカ型がいいとかそういうことを言いたいのではなく、組織という内向きな構造を変えない限り、個々人が幸福に活躍する社会は訪れないだろう。もはや外の評価を気にしない社会でいることはできないのだから。

ぜひ、このタイミングで山岸俊男著『安心社会から信頼社会へ』を再評価して、再読されることをぜひおすすめしたい。

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