ジャカっと雀『恋のジャカリズム』を観て

2019年2月21日にジャカっと雀『恋のジャカリズム』を観た。場所は福岡市の冷泉荘。

行く予定はあんまりなかったんだけど、薔薇園さんがTwitterで観劇に来た旨をツイートされていて「なるほど」となり、代表である桑森さんのnoteを読んで「カメラが好きらしいぞ!!!」となぜかテンションが上がって観に行くことにした。あと、以前ロボットパンケーキZの稽古見学に行ったときに松隈さんの演技がとても好きだった、というのも理由の一つだった。

そして感想を書こうと思っているところで以下の記事を読んだ。本人の意図を知らないうちに感想を書いておけば良かったなと思わないこともないけれど、読んでしまったものは仕方ないので、下記の記事を踏まえたり踏まえなかったりして感想を書いていきたいと思う。

会場の冷泉荘は面白い箱で、もともとはギャラリースペースとして使われるのが主なんだけど、小規模な演劇公演もやっているのを結構よく見る。商店街の裏側にあって、とても雰囲気のある建物だ。ちなみに今回の席数は15くらい。


血潮

公演は2本立て。まずは「血潮」という短い芝居を観た。おそらく15分くらい。

戯曲がかなり役者に馴染んでいるなと感じたんだけど、どうやら夏に上演したものの再演らしい。

僕は勝手に、こういう作品を「神さまもの」と呼んでいる。芝居に人間くさい神さまが出てきて、下界にいる人類を何らかの形でコントロールしている。ギリシャ神話とか日本書紀・古事記の神話もそういう全知全能のはずの神さまが意外と人間臭い、というところに面白みがあると思っているので、このジャンルは突き詰めると面白いと思う。

今回の「血潮」に関しては、あまりに全容が謎であったような気がする。そしてその謎そのものがいささか小さいように感じられた。謎の正体なんてもしかしたら無いのかもしれない。しかしそれを大きく見せる演出は色々あるような気がしてしまった。この芝居がもう少し長い上演時間を求めているのかもしれない。

上演時間中はずっとマイムで動いていたけど、これもなかなか難しい手法だと思う。マイムは普通、練習すればするほど熟練度が上がっていき、本物っぽさが増していく。僕たちはその本物っぽさに「すごい」と感じるわけで、短時間どれだけ練習してもなかなか難しいなあと思う。もちろん演劇の本質はマイムではないので、そこに時間を割くのが賢いとは言えない。だからこそ、ずっとマイムをやらなくても良いのでは? と感じてしまった。せっかくの会話劇なのに、動きの自然さについて考えることに意識が持って行かれてしまった。

円形の舞台にしたのは、人間を一方的に見ているはずの神さまが人間から一方的に見られている
、という状況を創り出していて、そこは大変面白いなと思った。

否定的なことばかり書いてしまったような気がするけど、「熟練度」という意味ではこの脚本が一番良かったような気がする。松隈さんは不気味な感じがとてもよく出ていたし、五十嵐さんはグイグイくる感じがとても良かった。(五十嵐さんについては、熟練度というよりも演技のタイプによるものなんだろうなと思ったけど、それについては後述する)

スロー

会場内で場所を移動して、今度は「スロー」という短編を観た。45分くらい。

戯曲からテーマ性は感じるものの、それを会話劇で、しかも後半になってからすべて爆発させることに対してもったいなさを感じた。モチーフに関しては、機械によって生産効率のあがった地上と既得権益の蔓延する地下世界、というディストピアっぽい感じで非常に好みだった。特に、働くことの喜びを感じたいために、あえて簡単な仕事をゆっくりとこなす、というのはコミカルでありながら批評的で良かった。

五十嵐さんは、全体的に役者としての習熟度が高いと感じる。おそらくどんな現場でも、初見の台本でも、ある程度しっかりと役を自分のものにできるんだろうなと感じた。そしてかなり真っ直ぐに「自分の演技」みたいなものがある。これは完全にタイプだと思うんだけど、どんな役をやったとしてもその人の特性が色濃くでてしまう役者というのがいて。五十嵐さんはそのタイプだなと思った。

対して、松隈さんと桑森さんに関しては、戯曲にあまり馴染んでいないような気がしてしまった。特に前半はちょっと前衛的な感じだったけど、まだ日常に片足を残しているように感じた。もっと振り切ってこそ、後半のシリアスな会話劇が引き立つと思う。もっと完全におかしくする必要があったのではないか、と全体の筋書きを思い出しながら思う。上記のnoteを見てみれば脱稿から上演までに2週間しかなかったとのことで、となると1ヶ月くらいは稽古に要した方が良いのかも…? と自分の身にも引きつけながら考えたりもした。

それと、演出と役者を同時にやることはかなり難しいなと改めて感じた。特に今回は桑森さんが役者として出演しっぱなしなので、舞台の全体の調和を客観的に見つめられないのが非常に難しい。僕も演出家出演の舞台づくりにいくつか出演してきて、その難しさをひしひしと感じている。演出家は基本的に器用な人が多いので、演出をやりながら役者もできなくはない。他の人よりも稽古時間が少なくてもなんとかなる。しかし、そこにはやはりどうしても異物感が出てしまう。自分たちで舞台づくりをして課題と感じている問題点を、この舞台の中でも見つけたように思う。

とはいえ、繰り返すようだけど問題意識的には凄く良かったと思うし、この方向でどんどん作品を出していってほしいなと思った。まだ大学卒業の年で、客演もバンバン出ながら自分の公演を作っているということが何よりも凄い。これからどんどんジャカっと雀の世界観を育てていってほしい。

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