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自分って、なんだろ?と思ったときに、社会の中でいろんな服を着て生きていることに気がついた

・自分とは何だろう?

自分という多面性のある姿に焦点を向けてみると、いろんな自分がいることに気が付きます。

本当の意味で本心を取り除いたとき、自分が社会という服を何枚も着て生活しているんだ、と実感しました。

・本心ってなんだろ?

私の中には、本心という目に見えない意思決定が中心にあって、きっと核となる部分。だから、核となっている本心は、どんなことがあっても気持ちがぶれないんだと思う。

・子供の頃は


純粋な気持ちで「好き」と言えるものは、きっと本心だろうけど、子供の頃に家庭環境から与えられた「好き」は周りに合わせるための好きだから、本心とは違っているのかもしれません。

子供の頃から好きだった食べ物は、家庭環境の中で好きになっていっただけで、実は本心ではそれほど興味がないものかもしれない……

・社会の服


誰かに合わせるのは生きるのに必要な答えであって、それは社会で生きるための服のようなものだと思う。

・いろんな服


友達と一緒のときの服、仕事の服、家庭環境の中での服を使い分けながら生活していて、服を着ないと周りに合わせることができないから、やっばり大切なものなんだと思います。

合わせる、というと、自分を失くしてしまうようなイメージだけど、本心が求める答えに連れて行ってくれるのも社会が作った服だから、社会の中で生きていく必要もあります。

・服を着ること


私であれば、イラストを描く人、というのも服の一つだし、年齢や性別、学歴、出身など、自分を体外的に紹介するアイテムは全部、社会から与えられた服なのではないでしょうか。

服を着ることで、周りの人たちとの信用とか信頼が生まれて、共感性を持ったり、価値観を共有していく入口のなっているものです。

だから、本心とは違う。でも、社会の中での服を着た私も自分なんです。

自分って、多面性があって、関わる人の輪の数だけ自分も作られていくんだと思います。

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