『ロング・グッドバイ』

戦後復興から豊かさの時代への転換期。価値観が大きく変化していく中で、喪失と再生の時代の生き方を問う、アメリカの大衆文学に大きな影響を及ぼした、レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説を実写化したもの。

チャンドラーの社会批評的側面を持つ原作『長いお別れ』と。推理モノから逸脱した軽妙洒脱な語り口は『探偵物語』に影響を与え、現在まで連なるアウトサイダー的イデオロギーを決定づけた、ロバート・アルトマン監督の『ロング・グッドバイ』とでは、色合いが大分異なるが。ハードボイルドの色は強いものの、今回はチャンドラーの原作に近いのかなと予想する。つまり原作の戦後と震災後がかかっていて、価値観が大きく揺らぐ時代にどう生きるべきか(時代の変化に揺らがないハードボイルド)を描く作品なのかなと。
しかしそれは、組織に属さない『半沢直樹』なのではないか…?組織に属さない半沢は、意味が無いのではないか(勝手にどうぞ)といった疑問もある。

最初、浅野忠信と綾野剛の関係は父と息子の暗喩で、綾野剛が根なしなのは今の若者の象徴にかけてるのかと思い。これも父子関係を問いなおす話なのかな、と思いながら見ていたのだけれど。途中途中で出てくるモチーフを並べていくと、探偵事務所は教会(懺悔室)なんですね。と言うことは浅野忠信は父じゃなくて母。綾野剛は、始めて出会った象徴的母親に甘えている、という方が腑に落ちます(いや母親的機能を補完するのが、新しい父親像なのかもしれないけど取り敢えずは母で)。
そう考えると最初ツッパって「どうせ俺なんか」って厭世観染み込んだ男の子が、手のひらを返したかのように喉を鳴らすのも、よくある更生モノの強い父と優しい母だと分かります。じゃあ強い父は誰だとなる。まあ盤上の駒を見れば、太田莉菜が妥当かな。強い父(DV)である太田莉菜が殺されると、「父殺しか!?」といった流れを読めるので。誰が殺したのか、といった引きとして活きてくる、みたいな。だって別れのシーンなんて殆ど『明日ママがいない』の最終回と同じだったじゃない(結論は逆だけど)。適当に当てはめた割に、よく繋がった方だろ。

滝藤賢一や柄本明のような、古い世代の強いDV父を否定すると、引きこもってシェルター化するってのは、エヴァンゲリオンで見た気もするけども。そこからもう一歩踏み込んでセカイ系を更新する、今の時代の新しい父性(それがハードボイルド?)を描けるなら楽しみだ。

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