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番外編 「時間泥棒は誰だ!」

「時間泥棒シリーズ」最新記事(2019年8月21日水曜日配信)を記念して、文字数の関係で掲載されなかった幻の原稿をnoteにて公開します。こっちを先に読んでから、日経の記事を読むと話としては繋がるはず、たぶんね。

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経営者に読ませる「B2Bマーケティング攻略ガイド」
↓クリックすると各話をお読みただけます

第23話 その作業に価値はあるのか?――時間泥棒は誰だ(1)
第24話 測れなければ改善できない!――時間泥棒は誰だ(2)
第25話 答えは私の手元にあった――時間泥棒は誰だ(3)
第26話 自己変革なしには解決できない――時間泥棒は誰だ(4)
第27話 「時間泥棒」は二人いた!――時間泥棒は誰だ(5)
第28話 「権限の委譲」が時間を生む理由――時間泥棒は誰だ(6)
第29話 まさか自分が「時間泥棒」?――時間泥棒は誰だ(7)

前回(権限の委譲」が時間を生む理由)のお話では、営業本部長から新製品導入の「全権限を渡された」ことで、経費は使い放題、出張し放題、代理店に営業本部長の権威を振りかざせるといった恩恵だけを安易に考え、私は本質を全く理解しないままだった。果ては、営業本部長に「決断を願います」と、決裁を仰ぐ始末。企画書をゴミ箱に捨てられて、ようやく「もう自分以外の誰も決めてくれない」という「全権限を持つことの本質」にたどりついたところまでを書いた。

今回は、立場を変えて、「権限を委譲する側」の上司の覚悟と決断、そして時間泥棒について考えてみる。

あれから10年

前回のお話から10年くらい経ったときのお話。その間にあのきびしくも私を根気強く育ててくださった営業本部長Mさんは50代半ばにさっさと引退して三河のほうの田舎で奥様と楽しく暮らしているという。私も営業本部長になったり、スウェーデン本社へ赴任を果たしたり、日本に戻ってからはマーケティング本部長にもなって、なんとか経営にも関わるようになっていた。

会社がGEに1兆円で買収されたのは、2004年の4月8日だったと今でも覚えている。買収された当時は社内の誰もが「GEってあれでしょ、アメリカの自動車会社なんじゃないの?(それはGM!)、どうして車の会社がバイオの会社を買うんだろうねー、バイオエタノールでも造るのかな?」とトンチンカンなことを言っていたくらいGEそのものを知らなかった。まさか小学校の頃に伝記を読んで感動した憧れのエジソンの会社だったとはつゆ知らず。これまでも買収したり買収されたりを何度も繰り返してきて、スウェーデンの会社がイギリスの会社になり、とうとうアメリカの会社になった経験も買収慣れしてしまっていて(麻痺していた)、戦々恐々としていたわけではなかった。どちらかというと、エジソンの会社で働ける期待はあったが「どうせ、買収した会社の偉いさんが乗り込んできて、しばらくは仕事どころじゃないんだろうなぁ」と、少し憂鬱な気分も少し混在していた。

その買収劇から5年後、依然として買収前と同じ経営メンバーが会社を廻している状況だった。GEは、あまりにも多くの企業の買収を日常茶飯事に行ってきており、どうやら、バイオの会社にかまけている暇はないらしい。それに、きちんと会社を経営できて利益を上げて株主の期待に応えて入れさえすれば、買収側のGEから経営陣が送り込まれることはなく、経営の自由が担保されるというありがたい仕組みのようだ。裏返せば、経営が立ちゆかなければ、直ちに経営陣をすげ替えて人を送り込むぞ、と言うことらしい。私が1985年に入社して以来ずっとバブルのような好景気というわけではなかったが、バイオテクノロジー業界は数十年間の間ずっと着実に右肩上がりの業界だったので、なんとか首の皮は繋がっていた。

2004年にGEに買収されるまでは、私たちの会社がバイオ業界では老舗という事もあって、その強力なブランド力を利用して、新規事業をいくつも立ち上げていた。たとえば、日本市場に新たに参入を果たしたい外資系バイオメーカーが、販売からマーケティング、さらには物流を委託するという新規ビジネスで、大きく成長を果たしていた。前回の話で「念願の初の国産製品」を日本企業とジョイントベンチャーを創って、わずか5年で市場シェア5割までに成長させた、と言うのもその新規事業創造戦略の一環だった。こうした成功のおかげで、次から次へと新規事業すなわち他社ブランド製品の販売代理店業務の売上は成長し、総売上の3分の1を占めるまでになっていた。

そんな経営戦略上の重要な新規事業に対して、それまではほとんど経営に口出しをしてこなかったGEが唯一ものを申してきたのが、「利益率の低い」他社製品の販売戦略の中止だった。GEが直接的に口を出してきたと言うよりも、GEの中でこれまで通りに自由に経営を任せられ続けたければ、利益率の高い製品に社内リソースの選択と集中を行わなければ、経営陣はいずれ交代になるという圧力をイギリス本社から受けたのだった。まぁ、本業で有機的な成長を果たせと言っているのだから、まともな話ではある。

つまりそれは、当時は50億円以上の売上を占めていた自社オリジナルでない他社製品群の販売を一斉に取りやめて、自社製品の販売だけに集中するという基本方針の変更だったのだ。

そもそも、8万点の製品点数を誇るとは言え自社製品だけでは、限られた日本市場においては、もはや成長に閉塞感があって、手をつけた他社製品の販売戦略だったのだ。それが大当たりして売上全体の〜3割を占めるまでに短期間で成長させたのだ。その成功によって、我々日本支社は「最強のマーケティングカンパニー」とまで呼ばれるようになり、手がけた製品をことごとく市場導入に成功させる請負人と噂になり、海外のバイオ企業からも、ひきをきらずに頼られる存在になっていったのだ。こうした新規事業の創造によって成長を加速する戦略が波に乗っている最中での戦略転換だったので、ずいぶん戸惑ったのを覚えている。

1)お客さまには迷惑を掛けられないから、まともな事業譲渡先を探さなければならない、しかも全て一度に。
2)いったい、どうやって消えた50億円の穴埋めをすれば良いのかと。

だいたい、スウェーデン本社が魅力的な新製品を次から次へと投入してくれさえすれば、日本もそんな他社製品なんかに手を出す必要はなかったのだ。しかし、GEに買収されてからしばらくは研究開発への投資が慎重(保守的)になり、あっと驚くような面白い技術開発がされなくなり、そんな新製品で成功したモノは余り多くは無く、どれも鳴かず飛ばずの状態だったのだ。海外のようにバイオ医薬品工場の建設ラッシュで、本業の売上が伸びている訳ではない日本では、自社製品だけの販売では成長戦略も手詰まりになってしまっていた。だから、日本独自で活路を開いたのが新規事業の創造としての、他社製品の取り扱いだったのだ。

いったい、これからどうなってしまうのか、と途方に暮れていると、GEに買収され高い信用力と財務力を手に入れたおかげで、立て続けに大型買収ラッシュが始まった。まるで、これまで何もしないまま手をこまねいて無駄にしていた時間を買い戻すかのような勢いだ。

これまでライバルだったバイオセンサーや、直接競合にならない300年近い歴史を持つ製紙会社や、熱量分析計のトップメーカー、そしてとうとう日本発でありながら世界で圧倒的なマーケットシェアを握っていた富士フイルム社からバイオイメージャー事業の譲渡など、次から次へと自社開発ではない自社ブランドの新製品が投入されることになる。

「なんだよ、本社はGEの資本力で好きなだけ買収できるけど、やってることは日本と同じ発想じゃないか。日本支社単独では買収なんかできなかったから、アライアンスを組んで売るしかなかっただけじゃん」

さらに2008年には日本で初めての製薬会社向け「サイエンティフィック・アセット・サービス」と言う新規事業をスタートしたばかりだった。これは、よく「モノからコトへ」と言われるように、製品そのものを販売するのではなく、製薬会社の研究所に数千台の単位で稼働する研究機器の他社製品も含めての一括管理というサービスビジネスだったのだ。

これだけ買収が続いてブランドや製品が増えると、お客さまも取引先の代理店も自社の営業さえも混乱してしまうので、とうとう「買収した会社のブランドと製品とその歩み」という歴史年表を創ってポスターにして配ることになったほどだ。

こうなると、いくら「最強のマーケティングカンパニー」などと呼ばれようとも、製品を市場へ導入するためには、マーケティングの人手も経験も足りなくなってしまったのだ。

しかし、急に外からマーケティングスタッフを大量に採用するわけにも行かず、知恵を絞りに絞って苦肉の策を決行した。社内のすべての部署から人材を供出させて部署横断型の新製品導入プロジェクトを立ち上げたのだ。これならマーケティングの人材の制約に縛られることはない。これには、営業やマーケティングだけではなく、内勤の学術部門、外勤のアプリケーションスペシャリスト部門や製品の修理やメンテナンスを担当する技術部門から、人事や経理まで参画をしてくれた。

今回の記事は、この新製品導入プロジェクトにまつわる「権限を委譲する立場になった私」のお話・・・

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