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"キャリアプラン"なんてあってないようなもんだ。

皆さん、キャリアプラン持ってますか?
私は「キャリアプランなんてあってないようなものだ
という考え方です。

実はこの4~5年、自らの人生を断とうと考えることが何度もありました。
でも、苦しんだ最後の最後の最後、人生をあきらめることだけは絶対したくなくて「人生の目的」を決めてきました。

人生に意味なんてないです。
地球目線で考えたら、たかが人間一人も生態系を作るための何兆分の1の生命です。だから、自由に生きればいいんです。
私の場合、本当に苦しんだ時、一番支えになったのは父と母、そして今の妻でした。
ああ、たくさん愛情注がれてたんだなぁって気づいてから、自分の過去を振り返り、未来を思い描いては、身の回りの人の支えなしには自分はないと感じるようになっていきました。父母、妻に加え、3人の姉兄、会社の社長、先輩、同僚、後輩、さらにはこれまで多くの人に「期待」という名の愛情をかけていただきました。

だから、「恩返しのために生きる」と決めたんです。
その目的達成のために何をするかだけを考えました。
 「どんな仕事を何のために誰のためになぜするのか?」
 「父母や妻にとってどんな状態の自分だったら胸を張れるのか?」
 「将来の子どもに自分は何を伝えて残していけるだろうか?」
そんなことを考える時間・機会を作っては「恩返しのために生きる」と決めてきました。

具体的には仕事やプライベートは表面的なもので、健康や人間関係、能力開発、さらにはいつどこでどんな暮らしをしていたいかまで考えたんです。それも、大切な人への恩返しのため。

人生の目的から一貫した「こんなことがしたい」「あんなことがしたい」というビジョンだけでなく、「いついつこういうことをしよう」「いつまでにこういう状態を作ろう」と計画し、さらには日々の実践もわずかな変化であるけど、一歩一歩進めてきました。

いわゆる、「キャリアプラン」です。
いや作ってんじゃねえかよ、と。笑
はい、割と作ってます。だからタイトルにも書きました、「キャリアプランなんてあってないようなものだ」と。

じゃあなんで「ないようなものだ」となるのか。
それは、目の前の仕事や人に特別熱心に誠実に自分の力を尽くすことでしか、キャリアプランを達成するチャンスがやってこないと知ったからです。

どれだけ壮大な夢・ビジョンを思い描いても、何も自分に成果がなければたっせいできません。今この瞬間に集中して成果を出すことでしか、キャリアプランは実現できないんです。
プランはあくまでプラン。だいぶ誤差のある数字で目の前に現れたり、時には超絶ピンチの形で現れたり、とにかくプラン通りにはいかない。ややこしいけど、プランを描いた分だけ、プラン通りにいかないんです。

この「誤差」や「ピンチ」を受け入れる度量は「プランを作っている自分」でしか受け止められません。大きな道しるべがなければ、誤差もピンチも逃げることを選択してしまうから。キャリアプランは「誤差」や「ピンチ」に立ち向かうためのお守りです。
本物のお守りもそうでしょ?「あってないようなもの」なんです。

大事なことは、
「プラン通りにいかない」とわかっているから、プランを徹底的に描いて最低限のズレに戻していくこと。
人間は強くないとわかっているから、磨き上げる時間をそもそも確保しておくこと。
「あぁやっぱり駄目だった」と落胆して自分を慰めてる暇があれば、捉え方を変えて次に生かしてください。プランを修正する、自分を磨き上げてください。

そうやって粘り強く自分の人生に価値を作ろうとするその行為の積み重ねが「あなた」を作ります。
気づけば怠惰に流され、ベッドでゴロゴロする「あなた」も「あなた」です。ひどい時にはそんな自分ならこの世にいなければいいとまでいまだに考えるのも「あなた」です。それでいい。それでもいいから5秒後には「いやそれでも私にはできるよ。私には価値があるよ」って自分を励ましてください。

キャリアプランというお守りを作ろう。

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