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文科省の放射線副読本をめぐって思ったこと

こんなニュースが話題となっています。

文部科学省が出している放射線副読本をめぐって、滋賀県野洲市の教育委員会が内容を問題視し、回収をしているという報道です。この副読本については、以前から思っていたことがあります。せっかくの機会なので、今回はそんな「放射線副読本」の問題点を少し書いてみたいと思います。

最新の放射線副読本は、こちらのサイトからダウンロード可能です。小学生向けと中高生向けがありますが、だいたい中身は同じだったので、より具体的に書かれていると考えられる中高生向けのものを参照しながら本稿を書いていきたいと思います。

放射線副読本の構成

まずは、副読本がどのような構成になっているかについて確認しておきます。

第1章  放射線、放射性物質、放射能とは(p.3~p.11)
1-1  原子と原子核
1-2  放射線の種類と性質
1-3  放射線の利用
1-4  放射線・放射能の単位と測定
1-5  放射線による健康への影響
第2章  原子力発電所の事故と復興のあゆみ(p.12~p.18)
2-1  福島第一原子力発電所事故とその後の復興の様子
2-2  風評被害や差別、いじめ
2-3  食品安全に関する基準
2-4  地域の復興・再生に向けて
振り返ってみよう!
非常時に放射線や放射性物質から身を守る方法

大まかに見れば、前半は放射線・放射性物質・放射能に関する知識の話、そして後半が福島第一原子力発電所事故とその後についての話と言えそうです。私は残念ながら放射線に関する専門家ではないため、前半(第1章)の吟味はできません。ここでは、後半(第2章以降)について検討してみたいと思います。

副読本の記載について(2章を中心に)

2-1  福島第一原子力発電所事故とその後の復興の様子

副読本にはこんな記述があります。

セシウム 134 やセシウム 137 などの放射性物質を取り除く作業(除染)などにより、放射線量が下がってきた地域では、避難指示の解除が進められました。

まず、「除染」の効果については、グリーンピースというNGO団体によるこんな調査があります。

避難指示がすでに解除されている福島県飯舘村の線量について、このような自主調査が行われています。調査によれば、除染の効果がみられた場所もありましたが、2016年よりも2017年の方が高い線量を記録した場所もあり、いわゆる「再汚染」が疑われる場所もあることが分かっています。「再汚染」は除染の効果が一時的であり、長期的ではないことを示していると考えられます。つまり、副読本のように「除染などにより放射線量が下がった」とは言い難いですし、今回の福島で行われた除染のあり方については見直しが必要だと思います。

2016年の記事ですが、この中でも「再汚染」疑惑が指摘されていますが、私の調べた限りでは、今のところ「再汚染」に関する公的な調査等のデータは見つけられていません。これは復興にも大きく関わる喫緊の課題であり、絶対に知っておくべき話題だと思うのですが、一体なぜ扱われないのでしょうか。

少し前の記事ですが、このような指摘も見ておきたいところです。

また、記者の青木美希さんも次のように指摘しています。

避難指示の解除は「支援打ち切り」と密接に結びついています。避難指示の解除が進められることは、ただ良いものというわけではなく、新たな困難の始まりであるという視点も大切だと思います。

2-2  風評被害や差別、いじめ

最新の放射線副読本は、この節で書かれている「風評被害」や「いじめ」に関する視点を強調しているように思います。先に紹介した記事でも、

文科省教育課程課は「改訂版の副読本は避難者に対するいじめを防止する内容が拡充されている。有意義な内容となっており、各学校で判断して活用してもらいたい」としている。

と書かれています。しかし、そもそもこのような内容を読むことによる「いじめ防止」の効果は疑わしいと思います。社会心理学では「リバウンド効果」というものが指摘されています。これに従えば、「放射線によるいじめはダメだ。放射線はうつらない!」という指導を行っても自己に形成されているステレオタイプは変容しませんし、むしろ逆効果になってステレオタイプや偏見を強化する可能性があるのです。「風評被害」についての心理学研究は、以前こちらのnoteにまとめています。「リバウンド効果」についても言及しているので、よろしければお読みください。

だったらどうしたら良いかということについてですが、そもそも「震災いじめ」と通常の「いじめ」は分けて対応されるべきものなのか疑問です。細かいことはわからないので憶測になりますが、「避難者いじめ」が起こるような学校は、通常の「いじめ」も起こっていると思うのです。ですから、個人的な見解としては、一般的な「いじめ」対応を行うことが重要であると考えています。

「風評被害」の対応についても同様です。ここからはマーケティングの領域になると思います。「風評」に騙されて買わない方が悪いという方向ではなく、どうやったらみんなが買ってくれるか考えるという方向に進んでいくことが必要だと思います。「風評被害はダメ!」と言ったところで、風評被害は解決しないのです。

2-3  食品安全に関する基準

副読本中にはこのような記述があります。

福島県を含む地方自治体では、現在では、生産、 採取、漁獲される段階で基準値を超える食品はほとんどなく、もし検査で基準値を超える食品が確認された場合でも、市場に流通しないような措置がとられています。

しかし、ここではもう一つだけ見ておきたい資料があります。

こちらのリンク先の「出荷自粛・出荷制限情報」についてです。こちらを見ればわかる通り、まだ「制限」されている食品類があることがうかがえます。出荷を差し控えなければならないものが一部地域でみられます。「ほとんどない」という先ほどの文章と矛盾しているわけではありませんが、注意深く考えなければならないことがあります。

「福島の野菜はもう安全です!危険だなんて風評被害だ!」という言説では、ここで触れたような「まだ制限されている地域」の視点が抜け落ちてしまいます。「福島」と一括りにすることが雑な議論であることは否めませんが、現実的にはまとめて表現することが(アピールの効果を考えれば)仕方ないとも思います。しかし、こうした言説が「分断」につながることに注意しておく必要がありそうです。

まとめ

副読本の中に描かれている「日本」は、非常に明るいように思います。もちろん、不断の努力で復興が進んできたことは否めませんが、この副読本のどこにも「今後の課題」が書かれていません。「振り返ってみよう!」というページの中に「福島の復興はどの程度進んでいただろう」と書かれていますが、この副読本を読んで得られる結論はこうでしょう。

「福島はもう復興したんだ!」

目を向けたくない現実、目を向けたくない課題。一切、触れられていない話が数多くあります。この本は、一体なにを目指しているのでしょうか。

冒頭にはこんな記述があります。

放射線がどのようなことに使われていて、どのような影響があるのかを知ることで、私たち一人一人が今後の放射線との向き合い方を考えていくことが大切です。
この副読本が、みなさんにとって放射線に関する科学的な理解を深めるための一助となり、また、福島第一原子力発電所からの距離の遠い・近いにかかわらず、ともに社会に生きる一員として、一人一人が事故を他人事とせず、真摯に向き合い、災害を乗り越えて次代の社会を形成するためには何をすべきかを考えるきっかけとなることを願っています。

「一人一人が事故を他人事とせず、真摯に向き合おう」と謳った本に「今も残っている問題」も「今後の課題」の一つも書かれていないのです。それも「復興ストーリー」の邪魔になるようなことばかり書かれていないのです。

副読本は「原発」について扱っていない

ここまでの議論では、副読本に書かれた内容が「復興ストーリー」にしたがったもので、間違いではないけれども、実態を反映し「真摯に向き合う」ための本とは呼べないのではないかということを指摘しました。

最後に、もっとも気になった点を述べておきたいと思います。それは、この本が「原子力発電」について扱っていないという問題です。

福島第一原子力発電所事故という大きな事故が起こった日本。しかし、原発は全廃されることはなく、むしろ再稼働に傾いています。今、日本の若者が「放射線副読本」で学ぶべき内容は、本当に「放射線・放射能・放射性物質について」だけなのでしょうか。むしろ「原子力発電所」とはどのようなもので、どのように安全が担保されているか、どのような課題があるのかではないでしょうか。

副読本の中で唯一(?)とも言うべき、これの作成者の原子力発電問題に対する態度が垣間見える文章があります。それは「電力」に関するコラムです。

原子力発電所の事故の後、全国の原子力発電所で運転が停止されたことにともなって、企業や家庭において電力の使用が制限されるなど、大きな影響が生じるとともに、節電に対する意識が高まりました。原子力を含む国のエネルギー政策や行政体制の見直しが行われるとともに、エネルギー政策をめぐる様々な課題に関して、社会全体で議論が行われることになりました。

この本の中での唯一の言及は「原子力発電所を止めたことによる電力の使用制限などの大きな影響」ということと「社会全体で議論が行われることになりました」という二点です。世論は再稼働に賛成しているとは言い難い状況ですし、明らかに「議論をすべき状況」です。

しかし、副読本には原子力発電所に関する記載が一切ないのです。これでいて、どうやって「議論をしよう」と言うのでしょうか。つまり、「議論をすることになった」と言いながら「原発を止めると電力が足りなくなった」という事実のみを提供し、原発に関する議論のタネは他に一切与えない。それがこの副読本の姿勢です。もっとはっきり言いましょう。「国民には議論をさせない」という態度が見えているのです。この放射線副読本は、「日本国民を原発が良いものであると洗脳する」というPA政策の一環と言わざるを得ません。

理科教育における「放射線副読本」の問題はこちらの本に詳しいです。

この本についてのnoteもご紹介させていただきます。簡単に概要をまとめてあります。

おわりに

京都新聞の報道によると、文部科学省の教育課程課は今回の件について次のようなコメントをしているようです。

文科省教育課程課は「副読本が全てではない。足りないことがあれば別の資料で補うなど各現場で工夫して使ってほしい」とする。

しかし、たとえこれが「全てではない」としても、現在の学校教育で配布される副読本としては適切ではないと考えます。なぜなら、この本の中では政府の描いたであろう「復興ストーリー」に矛盾しない面しか描かれていないからです。そういう意味では、ただの「プロパガンダ本」と言えてしまうと思います。

今回の件が、放射線副読本の中身を精査するきっかけとなることを強く願うばかりです。このまま国(文部科学省)が姿勢を崩さないのであれば、全国の自治体で内容をしっかりと吟味し、必要に応じて回収を進めることを願います。

この副読本を「有効活用」するならば「この副読本の問題点を見つける」なんて課題に取り組むのが良いかもしれません。そうすれば、アクティブ・ラーニングにもなりますし、科学リテラシーの習得にもつながるでしょう。

参考記事

代わりの副読本の一例

例えば、福島大学放射線副読本研究会の副読本が公開されています。内容を細かくは確認できていませんが、原発についてしっかりと扱っているという意味で代替案の一つになると思います。


2019/05/01  一部の記述に問題があったため修正しました。

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