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悔しさが上書きされる、その日まで。

ぼくがその言葉を口にしたとたん、周りのアメリカ人たちは聞こえなかったかのように黙ってうつむいた。

マンハッタンのど真ん中にあるホテル、ビールとかすかなマリファナの香りがただよう喫煙室。

ぼくは弾丸のように飛び交う現地スタッフたちの英語についていけず、やっと口から出た言葉は意味をなしておらず、会話の流れにすらまったく合っていなかったようだ。

口に含んだブルックリンラガーは、さっきよりも苦い味がした。

これは、ぼくの語学学習に関する「悔しさ」の話。

あの日、あの時、心に刻まれた悔しさをここに記しておく。

自分を奮い立たせる記録のため、同じ苦しみを感じているであろう学習仲間たちのため。

出張が決まったのは偶然でした。

ぼくが一年半前から英語学習をしていることを上司が知っていたこと。

たまたまアメリカでイベントがあり、参加者を募集していたこと。

その他いくつもの偶然が重なり、ぼくは生まれて初めて北米大陸の土を踏むことができた。

異様にでかい体格の人々。

様々な人種の人々。

行き交うSUV車。

漂うマリファナの香り。

道端に寝転ぶホームレス。

日本とあまりに異なる世界観に圧倒され、目に映るものすべてが新鮮だった。

今回の出張、ぼくは仕事とは別にある目標を抱いていた。

それは、一年半前から本腰を入れて勉強している「英語」を使いまくること。(Brightureでオンラインレッスンを受けています)

ぼくの仕事は日本人相手であり、住んでいる場所も外国人観光客が押し寄せる観光地でもない。だから、日常生活で英語を使う機会なんてこれっぽっちもない。

一年以上、英語を勉強し続け、最近感じていたフラストレーションの正体はそれだった。

「学んでも、使う機会が圧倒的に少ない」

機会はみずから作るものだと言うけれど、ドメスティックなこの国で英語を日常生活で使う機会を作ることはとても難しい。

と同時に、今のぼくの英語力はどれだけのものか、とても気になっていた。

今回の出張では、「英語を使う機会を逃さず、利用しまくり」、同時に「自分の英語力を把握する」ことを個人的な目標としてかかげていた。

ただ、日本を出るときは、こんなにも悔しい思いをするなんて想像もしていなかった。

Uberのドライバーは困惑していた。

こんなに話しかける客なんてそうそういないんだろう。

しかも、流暢な英語とは言えないにも関わらず質問をやめず、知らない単語を彼が発するたびに”Sorry, What is ○○ ? ”なんて聞きまくっている。

ただ、彼はこの車から逃げることはできない。ぼくの話し相手をやめることはできない。アプリに示された目的地に着くまでは。

Uberのドライバーは最高の話し相手だった。

「アプリに目的地を入れれば、タクシーが勝手にやってきて、勝手に連れて行ってくれる。支払いもアプリ上でシステマチックに終わる。運転手と話す必要がないなんてすごい。

多くの人はそう言う。

だけど、密室で1時間、運転手と一緒になるということは、英語を使う大きな機会だということに、ぼくは車に乗り込んですぐに気がついた。

これはUberライセンスカード?

いつからこの仕事しているの?

これはメインの仕事なの?それともサイドジョブ?

どこに住んでいるの?家賃はどれくらい?

次から次へと質問を繰り出す外国人にドライバーは戸惑っていたけれど、会話が弾んでくると彼はどんどん話し出した。

カメルーンから25年前に移民してきたこと。イスラム教徒であること。911の時にはイスラム教徒が差別され、どこに行ってもお祈りをすることができなかったこと。当時のイスラム教徒は仕事を見つけることすらできなかったこと。

大変な時代だったよと、彼は遠い目をして言った。

アフリカではサッカーが人気だそうで、彼はナデシコジャパンの活躍もよく知っていた。また、アフリカでは試合中、スター選手ばかりにボールが集まり、他の選手が活躍せず、育つことができないと怒っていた。それがアフリカンサッカーの大きな問題だと。

また、別の運転手はジョージアからの移民だった。祖国では歯医者をしており、アメリカでも同じ仕事ができるよう大学に通っているのだと言う。

アメリカでは、試験を受け、認定書をもらえれば、祖国と同じ仕事ができるそうだ。両親と妹がこの街に住んでいること、アメリカがクレイジーな国であることが、彼が移住を決めたきっかけだった。

一日平均8時間、週に6日働き、1ヶ月で4,000ドルを稼ぐ。ただ、Uber ライセンスカード会社に毎月お金を納める必要があり、ガソリン代や家賃や生活費を抜くと、手元に残るのは1,000ドルだそうだ。

手元に残るお金は決して多くなく、この街では物価が上昇し続けているけれど、2年後に試験を経てアメリカの歯医者となるんだという彼の表情は、とても爽やかなものだった。

こんな感じで、出だしはとても順調だった。

なんだ、普通に英語を使って会話ができるぞ。聞き返さないとわからない単語もあるけれど、なんとかなるな。英語で会話をすることは、そんなに難しいことじゃないんだな。

そう思っていた。だけど、それは一対一の会話であり、相手がこちらの話を聞こうとする姿勢がある場合に限っての話だった。

それを思い知らされたのが、冒頭の喫煙室での一幕だった。

仕事がひと段落し、ホテルの喫煙室に現地スタッフが集まり出したのは、夜11時半頃だった。

ちょうど夕食から帰ってきたぼくらは彼らと鉢合わせし、ビールをご馳走になった。

アメリカでの商品の売れ行き、販路開拓の難しさを、現地スタッフは大げさなジェスチャーを交えながら話してくれた。

ただ、周囲の話し声もあり、彼の言っていることをぼくは5割程度しか理解できなかった。

(あれ?この単語の意味はなんだっけ?)と考えているうちに、言葉は流れていき、雑音の中に会話が吸い込まれていく。

何かおかしいなと思ったのはその時だった。ぼくが今まで話していた相手は、車の中にいて逃げ出せない状況にある運転手であったり、レストランやホテルのスタッフなどサービスを提供する側の人間だった。

ぼくと会話をする必要がない人間にとって、会話を続ける義理はなく、いつまでも自分の話を続けることも、勝手に話を中断させることだってできる。

そうこうするうちに現地スタッフが5人ほど集まりだし、ビールを片手に談笑をし始めた。

談笑と言っても、言葉に追いつけないこちらとしては、ひたすら辛いだけだった。彼らがなぜ笑っているのか、 なに一つ理解できないからだ。

そんな時、あるアメリカ人がぼくのビールグラスを間違って手にした。

" Oh, it's mine"

"Sorry!"

そこまでは話すことができた。せっかくだからこの輪に入りたいと思ったぼくは、「グラスの形が違うからおかしいと思ったんだ」と伝えようとしたが、まったく通じなかった。

悲しいほどに通じなかった。

周りのアメリカ人は可哀想なものを見たかのように、ほんの一瞬、目を伏せた。さっきまで会話をしてくれていた人間でさえ、ぼくと目を合わそうとしれくれなかった。

彼らが目を伏せ下を向いた瞬間を、ぼくは今でもはっきりと覚えている。恥ずかしさと悔しさにまみれたあの瞬間を、ぼくは絶対に忘れないだろう。

お酒が入っている彼らは、またおしゃべりを再開し、ぼくは一人のアメリカ人をつかまえ、気持ちを落ち着かせるためしばらく会話をしたあと、部屋へと戻っていった。

英語が通じなかったことが悔しかったんじゃない。

可哀想な人間扱いされたことが悔しかったんだ。

こいつ、なに言っているのか分からないな。聞こえなかったことにしよう。

そんな彼らの心の声がバシバシ伝わってきた。

その夜からずっと、この件はぼくの心に残り続けている。

悔しかった。惨めだった。

酔っ払ったネイティブの会話に入れないなんて当たり前。人はそう言うだろう。

そんなこと、ぼくにとってはどうでもいい。

悔しかった。惨めだった。

この思いが上書きされる日が来るまで、ぼくは絶対に英語学習をやめない。

そんなことを感じたアメリカの夜だった。


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