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「おまえたちはゴミを作っている」同僚の奥さんの言葉が忘れられない。

「おまえたちはゴミを作っている」

そんなことを妻に言われたんだよねと、同い年の同僚はぼくに話してくれた。

ぼくらの仕事のことを、彼の奥さんは「ゴミを作っている」と表現したそうだ。

いま世界中を揺るがしている疫病が流行る何年も前のこと。

出張で訪れた香港で、駐在している仲のいい同僚とぼくは屋外のバーで一日の終わりにビールを飲んでいた。

心地いい風を感じながら、中国本土での仕事を終えてゆっくりしていたぼくは同僚のその言葉にドキッとした。

あれから何年も経って、そこかしこでSDGs(エスディージーズ)という言葉を聞く。

最近、あのときの彼の言葉をなんども思い出す。

「おまえたちはゴミを作っている」

ぼくらは、仕事でいったいなにを生み出しているんだろうか?

燃えないゴミを作り続ける仕事

ぼくの仕事は、衣食住のどれにもあてはまらないモノを作る仕事なんです。

あまり詳しく書くわけにいかないのでぼかして説明しますが、なくても困らない人もいるけど、それがあるとものすごく嬉しい人もいる仕事です。

嗜好品みたいな、そんな感じのモノを作っている仕事なんですね。

ぼくが仕事で関わった商品をもらった人がものすごく喜んでくれて、お礼の写真を送ってくれるときもあるし、購入した人がSNSで喜びの投稿をしていることを見かけることもあります。

喜んでもらえるのはすごく嬉しいし、ぼく自身も興味のある分野の仕事だったから、単純に仕事は楽しかったんですね。

でも、商品の流行サイクルが激しくて、1年以内にそのモノは古くなり、別なモノを作って売ることになるんですね。

1年というか、毎週のようにどんどん新しいモノを売っているんですね。

就職したばかりの頃はあまり気にしてなかったんですが、同僚の言葉を聞いてから疑問を抱くようになったんです。

ぼくらが作っているモノはいったいなんなんだろうって。

いっときの喜びを人に与え続けるために、どんどん新商品を作り続ける。

そして、古くなったものはどんどん捨てられる。自分の部屋に置き切れないものは捨てるしかないですからね。

最近、思うんです。

この捨てられたモノはどこに行くんだろうって。

この記事を読んでからは、ますますその疑問が強くなったんです。

誰かを楽しませているぼくらの仕事は、世界の誰かを悲しませている。

ぼくらが作ったモノは最終的に「燃えないゴミ」として捨てられます。

ぼくらが作った「燃えないゴミ」は、日本のどこかの埋立地や、もしかしたらちゃん社長の記事のように外国に輸出され、ゴミの処理を関係のない誰かに押し付けているのかもしれない。

だとしたら、ぼくらのこの仕事には、いったいなんの価値があるんだろう?

この仕事にはどういう価値がある?

「おまえたちはゴミを作っている」

そう言った彼の奥さんは看護師さんだったのですが、そういった「社会に不可欠な職業」の方に言われると、さらにその言葉が重く感じるんですよね。

アパレル業界でも大量のゴミ問題が非難されますが、まったく人の生存に関係がないけれど、「人に楽しみや癒しを与える」モノを大量生産している仕事の場合は、働く人間として悩みが深いなって思うんです。

このプラスチックの塊が誰かの癒しになることもあるけど、最後は燃えないゴミとして処分される。そして、それは確実に環境を破壊し、破壊された環境が誰かの人生を破壊する。

リサイクル不能な商品を作り続けるぼくらみたいな業界の人間がこんなことを悩みだすと、「いったいなんのためにこの仕事があるんだろう?」って思うようになるんです。

誰かを幸せにするために創業された事業が、何十年も経って利益を生み出し続けるためだけの存在に変わり、その露骨で恥ずかしげもないミッションを覆い隠すために「パーパスブランディング(企業の存在意義)」が使われる。

最近のSDGsに関するニュースを目にするたびに、数年前に香港で聞いたあの言葉を思い出すんです。

「おまえたちはゴミを作っている」

押し付けられたパーパスを受け入れるまえに、「この仕事にいったいどんな価値があるのか?」ということを、ぼくら一人一人が考えないといけないんじゃないのかなって、思うんです。

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