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なんで英語をやろうとしたか その2

昨日の続きで、わたしと英語とのかかわりについてだよ。

わたしが居酒屋でバイトしながら通ってた英会話スクール、ここは前半は日本人講師によるクラス、後半がネイティブによるプライベートレッスンだったな。
前半にやった「a says a a a apple, b says b b b bear…」ってのは今思えばフォニックスという発音を学ぶための方法だったと後で知った。
ネイティブとのレッスンは、ひたすらテキストの文を暗記してセンセの前で聞いてもらうよな感じ。
わたしがバイトで疲れ切って宿題をしてないと「高いお金を払って来てるのにもったいないと思わないのか。」と説教されたよ。

24歳で全日制の日本語教員養成学校に入学。直接法という方法で、日本語だけで日本語を教えることを学ぶ。
ここは日本語学校が併設されてたから、さまざまな国籍の学生たちと交流する機会があった。
英語の学習は特にしてなかったけど、国際交流みたいなことを意識したのはこの頃かな。
日本語学校講師時代は、中国人台湾人韓国人フィリピン人の学生を中心に、日本語だけで日本語を教えていた。
一度、旅行中のアメリカ人が短期コースで来てたけど、「あなたは日本語を教えてるけど、英語は話せるのかい?なんなら僕が教えようか。」といわれて英語で話してみたけど、散々でとても悔しい思いをしたのです。
まだ20代と若かったから、先生というより友達みたいな感じで、よく学生のバイト先に遊びに行ったりしたもんだよ。
うーん、この仕事は楽しかったけれど、そのうち、外国で外国語を学ぶという経験がない自分が、学生たちに何を言っても説得力がないのでは?と悩み始めるのさ。

そして、わたしはオーストラリア留学の計画を立て始めたのです。
その時まで海外に出たことなかったんだけど、ハワイやグアムに遊びに行く友達を横目に、「どうせ行くなら遊びじゃなくて、長期間滞在して英語を勉強する!」って強い信念があったんだ。
なんでオーストラリアだったかというと、日本に近くて時差が少ない、知り合いが渡豪してたという単純な理由。留学資金貯めるため、昼は日本語教師夜はカラオケスナックというWワークの毎日でした。




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