214、人生で最悪(控訴)の日(5)~勝てるとは思えなかった横浜副流煙裁判~映画【窓】の原点



2019年(平成31年)1月23日(月)は人生で最も辛い日となった。横浜副流煙裁判で原告(A家)が控訴したのだ。まさか控訴されるとは思っていなかった。

この動画では、今から見ると陰謀論かと思えるほど斎藤実を恐れていることがわかる。私の髪を短期間で白くさせたのは作田ではなく斎藤実である。それほど刑事らが2度にわたり我が家に「捜査」に訪れ、A家が何の被害届や告訴状も出さずに、何らかの権限により当時の神奈川県警本部長でのちの警視庁総監・斎藤実を動かしたことが怖かったのだ。

それを思うと、その後の青葉署はよくやってくれた。青葉署だけでなく、日赤・横浜市健康福祉局保険年金課・東京都福祉保健課指導監査部第三課(旧)・関東厚生局など、これらの組織すべてが、最初は私に対しけんもほろろであったにもかかわらず、のちに作田氏の行った不正を認め、協力姿勢に転じてくれるようになったことはまさに夢のようである。この時にはまだ微塵も描けていなかった。このときは、まだ全てが敵であり完全包囲網状態で孤立している。絶対に負けるとしか思えなかったのだ。

この9ヶ月後、勝訴するのだが、 それまで周りからいくら勝つよと言われても、実際の判決を聴くまでは信じられなかった。 黒薮さんもずっと「勝ちますよ」と励ましてくれたが、そうは思えなかった。 この動画でも語っているが、何もないところにこんな事態が起こっていることがあり得ないので疑心暗鬼を通り超している。

息子がこの2年後、映画を撮ることになるが、息子はこの日まで特に強い関心を持っておらず、観て分かる通り、岡本光樹など初歩の説明をしていることがわかる。「いつか撮る可能性はある」ぐらいには思っていたが10年も20年も先だろうと思っていた。

実際の映画の撮影が始まってから息子から聞いたのは、この「控訴の日の出来事」ことがきっかけで映画を作る構想をし始めたとのことだった。確かに言われてみると、息子は1審の際には一度も傍聴に来ていなかったが、控訴審では2度とも全て傍聴に来ていた。が、私は石岡さん、酒井さん、T女子、黒薮さんと5人で日々裁判に取り組み、それどころではなかった。

だからこそ、2021年(令和3年)11月末に息子から電話で「かーちゃん、12月、映画撮るよ!!」と聞いた時にはぶっとんだ!!息子が気にしくれていたんだ、と思った。それでも息子は「子供が親をかばうようなベタな事」をするつもりは皆無だったし、私もそんなベタな作品であれば作る意味もないだろうと。その意味では息子と私の価値観は一致していた。

そうではなく、「娘を思う父親の気持ちを中心に描く」ということ。というのも、私も息子もある種単純なのか、A夫の日記を読んで泣けたことが共通していたからだ。次のセリフである。

まだ「全面敗訴」のこと、信じられない、あってはならないこと。今回の裁判、娘が一番可哀想。申し訳ない気持ちで、父親として一杯になる。

それが自分を提訴している相手だとわかっていても、親心というものがわかり感涙したのだ。

これについては作田らは現在、「藤井による売名行為」だの、「息子の映画を売れるようにするために『知名度のある作田さんを利用した(反訴した)』だの好き勝手に言っているが、言ってろとしか思わない。

このような冤罪は誰に身にも起こります。信頼すべき医師が診断書を悪用し捏造を生み出し、弁護士が提訴する。今後この様な事の起こさぬよう私達は闘います。本人訴訟ではなく弁護士と共に闘っていくため、カンパをお願いします(note経由で専用口座に振込み)。ご理解の程よろしくお願い致します。