スマホを使わない生活がしたい

長年の夢であるスマホのない生活に近づきつつあるような気がするも、なかなか実践できていない今日この頃。

スマホを持ち始めたのは大学一回生の時だったと思うので、多分2009年頃だったのですが、それ以降は留学するまで基本的にずっと持ち続けていました。

大学の交友関係の中でもスマホ(ないし携帯)を持っていることは必須だったし、勤め始めてからは特に携帯ではなくスマホ(写真とか地図とか)がないと仕事が成り立たないこともしばしばありました(とはいえ、会社から支給されるほどでもなかったのですが)。

2016年にイギリスに行くと決めた時に、スマホを解約しました。イギリスには、iPod touch(WiFiがあればスマホと同じような機能)を持って行き、イギリスに入ってからは日本でもまぁ見かけないような1円ぐらいで買える電話とSMSだけの携帯電話を使っていました(たまに何かの登録とか契約の時に電話番号が必要なので)。

イギリス滞在時はヨークという場所でほとんど過ごし、他の街にいくこともほぼなかったので、特に不便はありませんでした。一人で旅行に行くこともありましたが、その時は前もってマップなどを印刷すれば問題なし(宿ではWiFiも使えたし)。やはり友達と待ち合わせにあると便利なもので、一人で過ごす分には不便を感じることはありませんでした(何とも悲しい修士生活)。

2017年にハンガリーに移り住んだ後もしばらく同じようにしていたのですが、iPod touchが壊れて画面が映らなくなってしまいます。流石にパソコンはあるといえど、それをスマホみたいに使うことは(物理的に)厳しいので、久しぶりにスマホを買いました。それが2018年の夏。

正直またiPod touchでもよかったのですが、当時のものは性能がよくなかった(特にバッテリー)のと、あるスマホに興味を持っていたのが二年ぶりにスマホを買った大きな理由となります。

そのスマホはFairphoneというオランダの会社のものなのですが、売りはDIYで自分で修理しながら使えること、あとは生産過程でちゃんとエシカル(倫理的に正しい:労働環境や鉱物紛争に配慮)であることを透明化して伝えているなど。

地球温暖化をはじめとしてエコな運動が最近活発ですが、スマホでエコってどういうことなんだろうと思って使ってみたかったのです。

使ってみての感想は書くと長いので省略しますが、一年ぐらい使ってうまく動作しなくなってきたところが今という感じです。買った時から良いスペックじゃなかったのですが騙し騙し使ってきたものの、最近は全く反応しなくなったり、画面のムラが激しくて読めなくなったりなど、挙動がおかしい瞬間が増えてきました。裏側のスマホケースの部分も、プラスチックがどんどん割れてきている状態です。

もちろんDIYで直せるのが売りなので、新しく同じパーツやケースを買って直せるのですが、結局スマホってアプリのスペックが上がってハードも進化していかないと使えないので、わざわざ結構な価格を出して同じものを買い換えて直したいかと言われると残念ながらノー。

どうしたものかと思っているところに新しいFairphoneが発売されるとのこと。

この第三世代は第一世代、第二世代と比べてちゃんとしたスペックのものを用意しているようです。また、Fairphoneを使っていた人はそれを会社に返せば40ユーロ引きしてくれるとのこと。

色々魅力的ですが、今は保留で悩んでいるところです。私の場合は年間でSIMカードを契約しておらず、使いたい時だけデータパックを買って使っているので、最後にFairphoneを使ったのは9月頭に学会があった時で、今はほとんど見ることはありません。

このままの状態が続けばいいんですが、やっぱり学会に行ったり、幸い誰かと待ち合わせしたりということも多くなってきたので、流石にスマホなしではそろそろ厳しいかなというのが今の現状という感じです。不可能ではないけど、そこまで私が意思を貫き通せるかというとなかなか厳しい。

Fairphoneも最初はただいい商品だなぁと理念に共感していたのですが、これもビジネスなんですよね。40ユーロ引きもFairphone3を買う人だけで、ただ返すだけでは引き取ってすらもらえない(はず)。

スマホを持たないのが一番エコでエシカルなのではという気になってきますが、しかしスマホがあることで格段に便利になって、今までにないようなツールが増えているのは否定し難い事実でもありますね。そのツールを使うか使わないかは個人の勝手ですが、コミュニケーションがスマホにもう埋め込まれているこの世の中だと、全くなしで生活するのは社会生活に支障をきたしそうです。

とはいえまだ諦めたわけではなく、いつかはスマホを持たない生活がしたい。これはスマホを買わないという単純な話ではなくて、どういうような交友関係や働く環境を自分で作っていくかが問題なのだと思います。