俺の金で生活してるくせにという呪い

これは私が小さい頃父親に言われた言葉。そして父が母や弟にも言った言葉。この言葉は普段は使われることなく、私たちが父を怒らせるような行動や発言をした時に発せられるものであった。これを言われたら私たちは言い返せないから、父の最終兵器だったのかもしれない。

なぜこの言葉を思い出したかというと、道端ドコカの迷い道というポッドキャストを聴いていて、とあるエピソードでは私たちと同様に同じ言葉を言われたことがある人が世の中にはたくさんいるようで、その人たちの経験を聞きながら自分の過去も振り返るきっかけとなった。関連エピソードは記事の最後に。

大人になった今では、親になったことはないけれども、父が本気で言っていたのではないということはわかる。しかし我が家には、というか日本社会全体に、「お父さんのおかげで生活できているから感謝しなさい」という価値観があったのは間違いないような気がする。ここでの『お父さん』は経済的にも社会的にも立場が強い人の象徴と思うが、自分はそれは伝統的には男親のことと解釈している。

「俺の金で生活してるくせに」という言葉自体について気になる人は、下記の関連エピソードを聞くと色々考える種があって面白いのではと思うのだが、私はこの言葉のせいでとにかく経済的にも社会的にも自立しなければという気持ちがあり、今でもその「呪い」から解放されていない。私は小さい頃から早く一人暮らしをしたかったし、大学卒業後は大学院という道もあったが、とにかく早く収入を得たかったので就職しようとした。いい企業への就職はできなかったが、何もない私を拾ってくれる人に出会い、色んな人にお世話になることで、収入は低かったけど好きな仕事をしながら小さなアパートで最低限の暮らしをすることが何より小さな誇りだったと思う。

アジアでは男性が女性をもてなすというか、デートなどの場面でより多く支払ったりプレゼントをあげたりする風潮があると思うが、とにかく私はそのような場面が気まずく、とても嫌であった。しかしなぜだろうか、初めて付き合った人は九州男児の古い価値観を持った人で、やたら奢ろうとしてくるし、友人の前では「俺が奢ってやってるから」という人だった。その後たくさん付き合ったわけではないが、なぜなのだろうか、他人に自慢するかどうかは別として、とにかく奢りたがる人と付き合っては別れるということを繰り返して今に至る。

今のパートナーはアジア人じゃないしそういう価値観があまりなさそうである。というかむしろ平等に働いて金を払ってくれと思っていると思う。私は今語学学校にいきながらパートタイムの仕事という生活なのだが、語学を学び終えたら当然もっと働くと思っているだろう。それはそれでプレッシャーなのだが、私にとっては一人の人間として見なされているようで、居心地がよい。お互いの経済状況によって助け合うけど、原則自分で生活する分は自分で稼げという感じがする。子供がいたり親の介護があったりするとまた話は別なのかもしれないけど。

今は「俺の金で生活してるくせに」といわれる状況にないのだけれど、今もこの言葉にずっと怯えて暮らしている。現状はありがたく仕事もさせていただいているから日々の生活資金は足りているけど、いきなりクビになって収入ゼロになったらどうしようと考えなくもないし、移住してきて言語のハンデもあるとはいえパートナーと同等の稼ぎがないのは、申し訳ない気持ちにもなる。

同ポットキャストの第62話にて、「呪いは自分でかけるものであり自分しか解けない」というふうに語られていて、自分でもそうだろうなと思うのだが、さてどうしたらこの呪いが解けるのかわからない。パートナーに話してみても「気にすることないよ」と言われただけで、それは別に私の呪いを解いてくれるわけではなかった。私の現状としては、紆余曲折あったけどオランダに移住してきて今は働きながらオランダ語を勉強している途中、なのだが何かこれではいけないという焦りがじわじわと身体に染み渡る。

おそらく恋人の給与を上回って稼ぐようになったら、この呪いは消えるかもしれないが、それはなんだか根本的な解決になっていないように思う。それに誰かと暮らすというのは本当は助け合い頼り合うことなのにと思っている自分もいる。結局つらつら書いてみたけれど、まだ答えは見つからないでいる。

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