身体とは他者である

私は正しくて、世界がおかしい。
世界は正しくて、私がおかしい。

こんな状態では誰も生けず、そんなことはあり得ないのだが、言語のバイナリ構造、二項性によって思考が行き止まる。

こういう言葉を論理だと思って現実感を伴ってしまう人は多い。

では、言葉の二項性を上手にうまく使うにはどうすればいいのか。

それは主語にぶら下がる述語をどんどんぶら下げていくということだ。

「私」や「世界」は主語となるが、主語は空洞であり、入れ物でしかない。それを埋める述語が隠れているのだ。

述語には身体的な感覚が多く含まれている。オブジェクトであり、経験なのだ。この感覚は言語の二項性を打ち破る第三項に気づく可能性が高くなる。

一言でいうと「空(くう)」や「エポケー」の感覚だ。

経験、身体、受肉の連続。

そして、たまに主語でぶっ込んでみる。
そこは倫理のセンスが問われるのだ。

倫理には才能が関係ないと思っていたが、ところがどっこい。倫理の突然変異には言語とは違ったところに存在するというセンスが必要なのだ。

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