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洋楽との出逢い

50代になっても相変わらず洋楽を聴いている。エド・シーラン、コールドプレイ、アリアナ・グランデなどの最近の人気ミュージシャンから、自分が学生時代によく聴いていた70年代後半〜80年代のロックやポップスのミュージシャンまでAmazon musicで聴いている。

最初の洋楽との出会いは中学1年生の時の秋だった。

同じクラスに転校してきたS君が家も近所ということもあり、よくS君の家に呼ばれて遊びに行った。S君の部屋にはステレオコンポがあり、何枚もの洋楽のレコードがあった。彼はエア・サプライ、ローリングストーンズ、ビリージョエルなど幅広いジャンルのレコードを買うのが趣味であった。S君と私は、ただ曲を聴いて感想を伝え合うのであった。例えは、エア・サプライの「Lost  in Love」を聴きながら、S君が「これを聴いているとオーストラリアのビーチで夕陽がゆっくりと沈んでいく光景が浮かばない?」と言い、私が「その夕陽を見ながら失恋した自分の情けなさを後悔しているんだよ」なんて話をしていた。

その時間はS君の部屋だけでなく、ラジカセを自転車に積んで、自転車で15分のところにある湖の畔に行き、人が誰もこない場所を見つけて、そこでカセットテープに録音している曲を聴きながら、「REOスピードワゴン、スティクスっていいよね・・・」なんてお互い言っていた。

曲のことだけでなく、そのうち「クラスの女の子で誰がいいよね」「家族でこんなことがあったよ」「将来はなにになりたい」なんて、まさに洋楽を聴きながら語り合う時間であった。



これをきっかけに私は当時流行っていた曲はもちろん、60年代のビートルズやローリングストーンズなど様々なミュージシャンの曲を聴くようになった。当時、4つ上の兄がビートルズや洋楽のアルバムをたくさん持っており、よく兄の部屋のコンポでレコードを聴いていた。ジョンレノンが暗殺された時の兄は憔悴し、夜なか中、泣きならがビートルズを聴いていた記憶がある。

私がはじめて洋楽のアルバム(LPレコード)を買ったのは、ドゥービーブラザーズの「ワン・ステップアップ・クローサー」だった。聴いたことはないけど、アメリカの西海岸で人気のバンド!とラジオで聞いて、思い切って買って聴いてみようと決断し、自転車で20分の商店街にあるレコード屋さんで購入した。アルバムはドゥービーブラザースのメンバーが並んでいるジャケットでとてもセンスが良く、聴く前に何度もジャケットを見ていた。リードボーカルのマイケルマクドナルドは、当時は声が籠っていてあまり魅力は感じなかったが、大人になって改めて聴くととても味のある渋い声に、ただただ毎日聴かないといられないぐらい好きになってしまった。日本に来日してLIVEをしてくれないだろうか。


高校生になって、中学までしていた野球をやめ、思い切って高校の軽音楽部に入った。
選んだ楽器はベースギター。中学までエレクトーンを習って楽譜も読めることから上達は早く、3か月程度である程度弾けるようになった。組んだバンドでは、当時人気があったTOTOやジャーニーなどの曲をコピーしていた。スタジオで練習し、その後喫茶店に行き、バンドの仲間と夜遅くまで、音楽の話をしていた。この時代、飛躍的に人気があったのはマイケルジャクソン。アルバム「スリラー」は全ての曲が好きだった。
そして衝撃的だったのはU2のデビュー。アイルランドのバンドだが、とにかくボーカルのボーノの歌声とギターのリフ、メロデイがとにかく格好よかった。私服だった高校へもU2のメンバーが着ていた古着のロングコートを着て、髪型もロングヘアーにして通っていた。

洋楽との出会いのきっかけと高校時代(80年代)までのことを綴ったが、その後の90年代、2000年代、2010年代は、そんなに洋楽は聴かず、どちらかというと邦楽の方を聴いていた。ここ数年前からサブスプリクションの曲聴き放題のサイトの会員(Amazon music)になり、80年代洋楽ポップスベスト100曲や好きだったミュージシャンのアルバムの曲を毎日聴いて楽しんでいる。
中学時代に洋楽を好きにさせてくれたS君はいまでも洋楽を聞いているのであろうか?

#洋楽 #1980年代 #バンド演奏 #カセットテープ

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