僕くたちのラジオと過ごした青春の日々~since1998~vol.3
あの山の向こうには、どんな街があるのだろう。となりの駅には、どんな街があるのだろうか。
ラジオが放送されてる東京は、どんな世界なんだろう。考えるだけでワクワクした2000年。
自分で決めなくてはいけない進路②
高校3年生になり、部活も引退して、また受験生と名前を変えた。
私の通っていたT高校は、専門的な学校だから就職が8割近く。私は就職する気はなかった。
相変わらず、深夜ラジオを聴いていた。なんとなく、人に影響を与える仕事に憧れていた。
私は、人見知りで、コミュニケーション能力は低く、そんな業界に向いてる性格ではない。
運動部で、放送部でもなく知識はなかった。
ただ、今やらなければ…その時想った。
上京と一人暮らしとラジオ
私の学力で、自己推薦で、メディアの勉強が出来る大学を探した。
学力は三流だが、スタジオのある大学を見つけた。
無事に合格し、一人暮らしをすることになった。
知ってる人はいない。誰も私を知らない。茶髪にした!
大きな野望はなかった。勉強してみたかっただけ。
ラジオ仲間とサークル入会。
大学講義だけでは、スタジオを使うことはない。目星のサークルがあったので、説明会に参加。
女子だらけのサークルで、男性は少なかった。
同期は、機材オタク、アニメオタク、アイドル目指してます!みたいな人だらけで、私は何も出来なかった。
喋りたい訳でもなく、機械に詳しい訳でもなく、文章作りは苦手。
先輩との出会い
サークルで、ある先輩に出会った。
たぶん話したのは一度だけ。
田舎が一緒で、隣のS高校の出身。進学校ではなく、専門的な高校。勝手に親近感をもっていた。
2002年の春、先輩は就職が決まっていた。まだ、公には言えない時期だが、NHKアナウンサーの内定していたらしい。
三流大学からは信じられない。
私にとっても衝撃的なことだった。
後々、田舎の友達に聞いたはなしだと、当時から地元でも有名な人だったらしい。
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