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噴出するソーシャルメディアの課題

 SNSを含むソーシャルメディアの抱える課題が浮き彫りになるような記事、事件は絶えることがありません。つい最近の日経電子版の記事からだけでも、【フェイスブック、転向の意味 曲がり角の「自由」なネット】、【フェイスブック、防げなかった銃撃生中継 NZ乱射】、【NZ銃乱射、SNSに犯行声明 ネットが犯行に影響か】など枚挙に暇がないほどです。



 これら、様々な記事で取り上げられるソーシャルメディアの課題を一覧してみると――

▶ソーシャルメディアの課題

① ネット広告での個人情報の利用に関するもの

② 個人情報の保護に関するもの

③ 不快な(気味の悪い)ターゲティング広告

④ 個人情報の流出・漏洩に関するもの

⑤ フェイクニュース

⑥ ネットで拡散されるヘイトスピーチ

⑦ コンテンツの管理に関する法的責任

⑧ インターネットへの依存に関するもの

⑨ フィルターバブル(AIが個人の嗜好を把握し、その人に合った情報を
 優先して表示する結果、人が見たい情報だけしか見なくなり、視点が
 極端に偏ってしまう現象)


 まだまだあるかも知れませんが、このような課題は何故起きてくるのか、そもそも、ソーシャルメディアとは何なのでしょう?ネットなどから、ごく一般的なソーシャルメディアの定義を抽出してみると――

 ソーシャルメディアとは、不特定多数の個人が参加してコミュニケーションを取れる(=情報共有・情報拡散)、双方向性のあるインターネット上の情報メディアである。



 この定義を一見して、まず真っ先に明白な点は、本質的にソーシャルメディアはオープンなプラットフォームである、ということです。このような定義には、『規制』の「き」の字も含まれてはいないのです。ソーシャルメディアは、この定義からだけでは、全くの無政府状態、悪く言えば無法地帯だと言えます。基本的には、プラットフォーマーの定める規約やユーザーの良識によって支えられている、と言えそうです。

 このようなオープンなプラットフォームは、ユートピアのような性善説の下では、グローバルな人と人の繋がり、という稀有な果実をもたらしますが、どんな社会も性善説だけでは成り立っていない事は明らかです。ソーシャルメディアによって作られる社会も、その例外ではあり得ません。何の規制もなければ、性悪説によってもたらされる課題、冒頭に列挙したような課題が噴出してくる事に何の不思議もありません。

 旧来のマスメディアであれば、不特定多数が情報発信することもなく、双方向性もありません。そして、メディア企業による自主規制、業界団体による規制、そして政府による規制と、表現の自由などが阻害されないように課題を解決する努力が積み重ねられてきました……

 ソーシャルメディアにおいても、情報発信する不特定多数の人々の自由と責任、権利と義務が論ぜられるべきなのは、当然の事なのです。



 噴出するソーシャルメディアの課題を解決するのに、何らかの規制が必要な事は明白ですが、その規制をどのような内容にするのか、規制のあり方については非常に難しい問題がありそうです。結論から言うと、その落としどころは、広く議論を重ねて、各種の討論会、ヒアリング、有識者会議、そして国会等において議論を尽くすしかない、と思われます

 その際、ポイントとなると思われるのは――



(1)『表現の自由』と『公共の福祉』

 『表現の自由』は極めて重要な権利であって、諸説ありますが、例えば――

▶『表現の自由』によってもたらされるもの
 
 ① 自由な『表現』という行為によって、自己実現が達成される。

 ② 自由に『表現』を闘わせることによって、真理に到達できる。

 ③『表現』の自由がなければ、民主主義は成立しない。

 ④『表現』の自由があることで、政権の正統性が担保される。

 ⑤『表現』の自由があることで、反政府的行動が暴力に発展しない
  安全弁
となる。

 ⑥ 自由な『表現』で討論することで、社会的なコンセンサスが形成
  され、分断を回避できる。

 『表現の自由』は、それに慣れ親しんでいると忘れがちですが、極めて重要な権利なのです。『公共の福祉』などとのバランスで制約(規制)が必要な場合でも、厳格な基準の下で適用するように配慮しないと、大きな禍根を残すことになりかねません。



(2)自己規制には限界がある

 その一方で、ソーシャルメディアにおいて、情報発信の主体である個人に自己規制が必要な事は当然ですが、自ずと限界もあります。個人による情報発信である為、その個人が情報発信すると決めたら、それまでなのです。

 例えばメディア企業であれば、多数の人間が関与して良心が発動される余地が残っていますが、ソーシャルメディアではそうはいきません。悪意の利用を抑制するには、何が悪意かという定義と外部からの規制がどうしても必要です。



(3)企業収益云々を言っている場合ではない

 ソーシャルメディアの及ぼす様々な悪影響、ソーシャルメディアの課題を検討する時に、プラットフォームのオープンの度合いを引き下げる事による収益減という議論は、優先順位が低いと言わざるを得ません。

 企業の存在意義は様々な生活課題、社会課題の解決にあるのであって、自らが社会課題の原因となることなど、あってはならないことなのです。



(4)コンテンツについてのプラットフォーマーの
   社会責任

 ソーシャルメディアにおける個人の情報発信に自己規制の有効性が極めて乏しい以上、悪質な情報を公開する場を提供したプラットフォーマーに、コンテンツに関する一定の社会的責任があるのは明らかです。AIによる削除、自主規制、そして法的規制が必要ではないでしょうか。



 ソーシャルメディアの課題は広範囲に渡っており、論点はまだまだありそうです。確かな事は、抜本的な対策が打ち出されるまでの間は、ネット情報の受け手である私達一人ひとりの見識が問われている、ということだと思いました。


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