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傘立て

 ハッと気がつくと降りる駅の一つ前の駅を発車したところだった。イヤホンからは相変わらず、さして聴きたくもない曲がダラダラと流れている。電車の中でいつの間に意識を失っていたようだ。窓の外はすっかり日が落ちて、地平線の方にかろうじて光が覗いていた。今日もまた遅くなってしまった。

 気分に反して、今週中にやらなければいけない課題がたまっている。そういうのをなんとなく棚に上げたまま、今日もだらだらと友達と話し込んでしまった。
 こうして電車に揺られる間はいつも、帰ってからやることの計画を立てたり、翌日の予定を考えたりするのだけど、今日はなんだか体がだるい。五月の終わりの木曜日、昨日はあまり眠れなかったし、ふわふわと落ち着かないような違和感を感じていた。
 今日は何をしていただろうか。誰と会って、何をしゃべって、何を思って、どう思われたか。事細かに思い出してみると、何だか、本意でない自分が勝手にしゃべっていたようで、嫌になってくる。「五月病」というやつだろうか。どうにもならないとわかっている問いを頭の中で反復する。集団の中での自分の立ち位置がどうの、レベルが、価値がどうの。あらゆる疑問が頭の中に現れては、逃げていく。
電車に揺られながら、今日はダメな日だ、と気づいた。こういう時は自分よりずっと個性的で、優秀な人間を引き合いに出して、ちっぽけな自分を人ごみの中に消し去ってしまおうと試みる。

 「あの映画は……なんていうか普通だった」
自分が今日発した一言が頭に浮かんだ。誰かが話題に出して、反射的に言ってしまった。その映画を好きだった友達には申し訳なかったと、今になって後悔したが、同時に、言葉の意味が独立して僕自身に疑いの目を向けてきて、僕はどうにも居心地が悪い。自分が普通ではない、特別であると胸を張って言えるくらいの自負も僕にはない。それを考えるたび、自分は自分以外の何者でもないという事実を黙って飲み込むしかない。電車の揺れに身を任せていると眠気の波がまた押し寄せてきたので、ぐっと背筋を伸ばしてみる。
 ふと、右隣の空席の手すりに傘が一本、置き去りになっているのに気づいた。最寄駅が近づく。手にとって届けるか否か、数秒迷った末、僕は無視を決め込むことにした。関係のない人間の、関係のない傘。
 アナウンスがほとんど聞こえないくらいにイヤホンの音楽のボリュームを上げて、小さく息をした。間もなく降りる駅に着いたのでのろのろと立ち上がって、同じドアから三、四人が降りるのを見届けてから、最後にその車両を降りた。ホームを歩き出すと、すぐにスマホの充電がなくなって音楽が途切れ、現実世界に引き戻されてしまった。舌打ちをしたい気分だった。投げやりにイヤホンを外すと、ごちゃごちゃした雑音が覆った。ホームは割合に混んでいる。さっきまで降っていたにわか雨は止んでしまったようで、傘を持ってきていなかった僕は少しほっとした。向かいのホームに電車がやってきて、風が吹いた。
 人の流れに沿って階段を昇ると、ゴロゴロゴロ、というような連続した足音が振動となって、響く。黙々と住処に向かうその集団は、いつかテレビで見た、セイウチだったかトドだったか、島を覆いつくさんばかりの、塊のような体をうごめかせる群れの光景を思い起こさせた。僕も必死についていこうと頼りない足を引っ張るが、どうもぎこちなくなってしまう。いつも以上に体が重い。無理矢理顔を上に向けるといろんなチラシから文字や絵の部分を切り取って敷き詰めたみたいな、チラチラした駅の壁の広告がやけに目に付いた。
 普通、普通、普通、何もかも普通の光景が続く、普通に埋もれて行く。急に意味もなく怒鳴ってやりたい気分になるが、きっとそのあと陥るであろう心情を想像して、やめておく。改札を抜け、スーパーとの通用口の手前から階段を降りる。踊り場の窓から外を見てみると、輪郭のぶれた、猫背の僕が窓のしみと重なって映っていた。

 街は夜だった。濡れたアスファルト越しに、さびれた駅前の電飾が弱々しく光っている。生ぬるい空気が敷き詰められた中を、ゆらゆら歩いてロータリーを抜けていく。すぐに灯りは減っていって、人気のない住宅街に差し掛かった。
 急にどこからか、多分とても遠くの方から、笑い声とも怒鳴り声ともつかない声が、街全体を覆う空気によって薄まって、響いてきた。一体どこのどいつが、と思ったけれど、考えるのも気にするのも面倒臭くなっていた。誰の声であれ、自分に向けられたものでない限りそれについて考えることに意味はない。一定のリズムを刻みながら歩き続けた。ぼんやりした景色の中、さらに暗い、小さな路地に入る角を曲がった。

 ふと、曲がってすぐ視界の左側に、小さな電飾看板が見えた。違和感を感じて、通り過ぎようとした足を止めた。少し体を仰け反らせてよく見てみると、場末の、という言葉が似合いそうな小さなスナックの、薄汚れた看板が掲げてある。やけに際立って見えるその看板は、毎日通りすぎているはずなのに、これまで意識の範囲に入ることはなかった。気づかなかった、というより気づくまでもなかった、という方が正しいのかもしれない。単なる背景に埋もれていたその場所に、気づくことができるほど僕は、普段よりこの街の風景に埋没していた。同時に、そこに何かざわざわした予感を感じていた。見つめられているような、語りかけてくるような……。入り口はドアがなく、入ったところがすぐ階段になっているのが見える。見回すと、誰も見ていないようだった。そっと近づいて入り口から階段の上を覗き込むように見上げてみた。辺りはすっかり暗闇に包まれている。

 階段のうえに、傘立てがひとつ。絵の具のチューブから出したみたいな、緑色に、黄色の花柄の、プラスチックの傘立てだった。右側に、スナックの入り口と思われる扉がある。傘は一本も入っていなかったけれど、僕はその円柱の物が傘立てであると確信した。
 僕はなんだか浮き足立っていた。こんなところで、こんな見たこともないような、安っぽい傘立てに出会うとは。そのみすぼらしい傘立ては、開き直ったように、階段の上の蛍光灯を反射して光っていた。曖昧な景色の中で、その空間は傘立てを演出するステージとして、輪郭を際立たせてそこに存在していたのだった。それなのに、傘立て自体はどこまでも安っぽく、不自然な程に鮮やかなその色と模様とを堂々と見せつけながら、階段の踊り場の真ん中から、僕を見下ろしていた。それはさながら、暗く沈んだ世界から切り離された異空間のように見え、しかしながらその中身はくだらない茶番劇の世界であるような、激しい違和感を放っている。毎日通り過ぎる道の端で、僕は何かいいものを見つけた気分だった。

 それから一週間が過ぎた。今日も、重い体を電車に乗せて帰る。特に日々の情緒的な変化はほとんどなかった。今までどのような感情で過ごしていたのか、と云うのはあまり覚えていないけれど、きっと何も変わっていないのだろう。人は急に別人になったりはしない、と定期的に再確認する。直線的な日常が、生活が続いて行く。
 しかし、なぜだか、ふとした瞬間にあの傘立てのことを思い出す。あれは、結局何だったのだろうか。誰が、なぜあんな傘立てを選んだのか、スナックにどんな人がいるのか、気になることはたくさんあるけど、それより、僕があれを見つけたことは、僕にとって何の意味があるのだろうか、と考える。僕は特別じゃないし、特別なことは何も起きないけれど、傘立てが立っていたあの空間みたいに なんの脈絡もなく、それでも絶対的に存在しているような、特別さが羨ましくなる。きっと、あの傘立てが、直線から少し外れた場所にあるように思えたからだろう。
 今日も、友達と映画の話をした。階段を昇りながら思い出す。疑われないように、細心の注意を払って、よく考えて喋っていた。僕は、あの傘立てになれるのか。堂々と、情けない姿をさらして階段の踊り場に立つ事ができるだろうか。唯一無二の、特別な自分として。
 今日は階段の入り口にシャッターが下りていて、中を窺うことはできなかった。


 やがて梅雨入りし、雨の日が多くなった。傘立てを見つけた日から二週間が経とうとしていたある日の帰り道、あの日と同じように湿った夜道を、例のスナックの手前の角を曲がる時、ちょうどそのことが頭に浮かんだ。あの傘立ては、今日も階段の上で待っているだろうか。一体どんな様子で、僕にどんな印象をあたえてくれるだろう。
 角を曲がって左を見れば、やはり薄汚れた看板がこちらを見ていた。下の入り口は開いている。僕は、さも当たり前のように入り口に近づき、中を覗き込んだ。

 傘立ては、やはり階段の上にあった。しかし、違った。緑色に、黄色の単調な花柄と思っていた傘立ては、黄土色に、赤茶やオレンジ、黄色などの、大小様々な形の花が複雑に重なり合うような、小洒落た柄の装飾を纏っていた。そして、そこには傘が二本、立てられていた。
 普通の、傘立てだった。二週間前に見た記憶は、間違っていた。勝手に記憶を補完して、色や柄を偽って覚えていたのだ。二週間前、異質に見えたその空間も、なぜだかすっかり馴染んで、奥行きを失っている。僕が見たかった姿は、見えなかった。僕はすぐにそこを立ち去って、まっすぐ家に向かった。

 足早に家に向かいながら、考えた。二週間前は、なぜあんな風に見えたのだろう。考えても、これといった答えは出ない。

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