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準備すること

久しぶりに釣りをした。
仕事は日々やることが増え続け、SNSを見るのもおろか、最近は明日の予定を確認するのもいっぱいいっぱいだったのだけど、ようやく数日の休暇を取った。

およそひと月前から目的地となる河川の情報収集、地形、標高、その地域に住んでいると思われる方々のSNSやブログを眠る前に眺めつつ、ゆっくり準備を始めた。

出発の当日も、忘れ物が無いか数回確認して向かったのだが、朝マヅメ、川に入る直前になって、クリッパーという釣糸を切るニッパー状の小さなハサミと、疑似餌であるフライを水面に浮かすためのフロータントを一束にまとめた道具を忘れてることに気づいた。

それらが無くてもベストに入っている小さなポケットナイフで代用できるのだけど、使用する度に小さなストレスがたまった。

好きなことをするための準備を怠ること。
これは大人になるにつれ、自分の中で“許せないこと“の1つになった。
これは自身の性格の問題で、他の方の考えには一切関与しない。

単独ではなく仲間と釣行に出ることもあるし、もし彼らが何かを忘れていたのなら躊躇うことなく貸すが、自分は借りるということが性格上できない。
最悪、現地で調達すればどうにかなるだろうという思いもあるが、それは自分の中で大きな減点対象となってしまう。

アウトドア全般に言えることなのかもしれないが、原則的には人の力を借りてやる趣味では無い。
ハナから他人に道具を借りようとして訪れるキャンパーがいたとしたら、たまったもんじゃない。
何かを忘れたせいで散々な結果になったとしても全て自分が悪いのであって、アウトドアというフィールドはその境界線がはっきりしているから好きだとも感じる。
2日目、日の出間近の福井の農道を走りながら、そんなことをボンヤリ考え運転していた。

今の仕事で、モノの準備が必要になるということはほとんどない。リアルタイムに変化する情報を頭に叩き込むことはあっても、紙とペン、若しくはスマホやパソコン1つあれば済むことがほとんどである。
だから、モノの準備が必要な趣味が好きになったのかもしれない。

ある旅で事前に準備したモノが全て機能するような旅程であってくれたら、それだけで満足するようなところさえある。

トーキョーは暑いけど、山の中は寒いかもしれない。
川はアブやブヨまみれかもしれない。
予報に反して、急な雷雨に遭遇するかもしれない。
タイヤの空気圧は問題ないだろうか。
バッテリー、エンジンオイルは。
クマ、サル、シカは。

ゴルジュ帯もあるゴツゴツとした川

そんな想像を酷暑の首都圏で膨らませ、穏やかな山麓をひた走り、山へと向かう。
狙いの魚が釣れても釣れなくても、そこに向かっているだけで半分は目的を達成している。

果たして釣りが好きなのか旅の準備が好きなのかわからなくなりそうだが、生きるバランスとしてはこのままでいい気がした。

帰り道、福井の三国という町で土産を買った。
地域ならではの産品が並んでいたが、隣りに添えてある商品案内を見て、やられたと思うアイデアがあった。

干物コーナーに添えられたPOP

三国地域に住む小学生たちが地元土産の紹介をしてくれているのだが、「ときめく味」とか「世界で一番美味しいスイーツ」みたいな商品ポスターよりもずっと信頼ができてしまい、気がつけば必要以上に買ってしまった。

つかの間の5日間だったが、よき旅となった。

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