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35 桜 (1)

私が今までの人生で最も美しい桜に出会ったのは、父が亡くなる3日前の桜だ。地面一面の桜の花びら。優しい風がそよぐ中、私はこれからどうしようかと決断するべく、暫くその公園のベンチに座っていた。

この1ヶ月弱、まだ寒さが残る4月の上旬から毎日のように病院と実家を歩いた。とにかく歩きたかった。歩いて歩いて、1日2万歩近くも歩いても、まだまだ歩き足りないくらいで、常にこの先のことを考えたり、泣いたりしながら歩いていた。




父の様子に変化が訪れたのは4月1日。なんとなく心に予感がして、ひとりで買い物に出た際に電話をした。
「ここんとこ、大変だったんだよ」とちょっと声の枯れた父が言った。前立腺肥大で何日か苦しんだけど、今は大丈夫だと。先日延期になった肝臓の手術の前に、もう一度、検査をするということだった。あきらかにどこか調子がおかしい様子だったのに、父はいつものように私を気にかける言葉を発し、電話を切った。話した時間も内容も大したことではなかったのに、なぜかとても心配になって、電話を切った後、ちょっと泣いてしまった記憶がある。

翌日、病院で検査をして、4/3に検査結果を聞こうと母に電話を入れた。
電話の向こうの気配を察知する時がある。このときは暗い部屋に独りでいる母の姿が目に浮かんだ。
母はこの世の終わりのような声で「今は話したくない」とだけ言って電話を切った。『父の死』という文字が不意に頭に浮かんだ。事実を事実だと確認するような作業はとても冷静でとても辛い。
叔母に電話を入れてみると案の定、父の肝癌は広がっていて、肺まで転移していた。余命1ヶ月だと言われたそうだ。

覚悟していたとはいえ、やっぱり泣いた。でも1ヶ月しかない。泣いていられない。まず腹立たしかったのが、状況がさっぱり分からないということ。今までも父や母に病状を尋ねても曖昧な返事しか返ってこなかった。その度に腹立たしくも思いながら、「心配しなくていいから、大丈夫」という言葉に流されて、、、いや、私自身が流してきてしまった。その自分にも腹が立った。

それから急遽、相方と話し合って、ネットショップを休業し、私は実家に戻ることにした。今ある全ての注文をこなし、それ以外の時間は相方と2人で何時間も肝癌についてネットで調べた。鼻血が出るほどに(本当に出た!)。とにかく必死だった。私が実家に帰るよと伝えると安心した母は少しずつ、今自分が分かっていることを私に伝えた。曖昧なそれらを基に、今、父に起こっている状況を必死に把握しようと試みた。分からないことはメールで問い合わせた。どこの誰とも知らない私に、とても丁寧なお返事をくださった方ばかりだった。

私は父の余命を聞いて、泣いた後にすぐに思ったことは「私には何が出来るか」ということだった。すぐに浮かんだのが「死に向かう父は怖くて痛くて辛いだろうから、私はその辛さを和らげてあげたい」ということだった。これだけだった。もちろん、今からでもセカンドオピニオンはするつもりで調べていたし、薬ではなく癌に効果があるというフコイダンとか漢方とか、そういったものも併用して、なんとかこの1ヶ月後に控えている弟の結婚式までは元気でいて欲しい、、、そうなるようにと思いながら、でも自分の芯にある一番の使命は「死に向かう辛さを和らげる」だと決めていた。



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長くなるので何回かに分けて書こうと思います。
よろしかったらお付き合いください。








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