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海のにおい

家の窓から見える冬のグレー色の空の海のにおいは重くて冷たくて 無。遠くから見えるそれとは違い、近くに行けばそれなりに波は立ち、荒々しくも真っ当に浜に押し寄せる。
どこにいて何を感じるかって、結局どれも同じだなとそんなふうに思いながら、自分の全てを誰かと共有することの不可能さを実感する。ただそれはいつも「お互い様」だと思うから、「気持ちを寄せる程度」で充分だと思う自分もいる。分かると理解するとの違いとか、そもそも自分に心地よく合致する言葉をまだ知らない。

人に言われて少し恥ずかしいような気持ちになることやそうじゃないよと軽い否定をしたくなるようなことは、実はそこに真実があるのだろうとも思う。(本気の否定は全く別のものになるけれど)

最近の私は自分の芯を探していて、そもそも芯なんてなかったんじゃないかと思うくらいに、開けてみたら空っぽで。もともと大きな欲や願望や想いってあったのだろうか?と思うほどの。人によっては「皆んなそんなもんだよ」とか、「そんなことないよ」って言うんだけれど、さっき言ったように私は波打ち際で見てるから、そんなんじゃ波に飲まれてあっという間に沖に流されてしまう。流された先にあるものはなんだろう。無 なのか、それともそれでもそこに何かは残るのか。

いつでも気持ちのいい海のにおいを嗅げるなんて思ってはいないけれど、出来れば今のような感じじゃない心持ちでどんな海も見ていたい。そうなるにはどうすればいいのか。暗い気持ちとか泣きたい気持ちとかじゃなくて、すごく静かに考えている今日この頃。

自分と他人の違いをだんだん受け入れられるようになって、天秤が取れていなくても ごめんなさいね と思う自分勝手な自分もいたりする。曖昧な表現や匂わせた文章を書きたいわけじゃないけれど、それをなんでも批判する人達にぐったりするけど、私は別にストレートに言ってくれと言われれば個人的にはいくらでもストレートに言うけど、誰か1人に向けた文章じゃないんだから、それはそれでしょと思う今日この頃。


私は天邪鬼なのか、そうできているのか分からないが、言ったことと逆になることが多い。暫く忙しくて書けないよと書いた深夜の数時間後にこうして書いていたり、人のnoteを読む時間があったりして。ホラ吹きみたいにならないように、そういう時は静かに黙っていた方がいいのかもなとも思う。だからって宝くじが全部外れるって断言したら、宝くじが当たるって訳じゃないけど。
そうならいいのになぁ。


支離滅裂な文章になってしまったけど、今日はこんなで。
また。

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