StirRed 4

 アレが追いかけてくるなか、私たちは三階建ての小さなビルへ近付く。
 一階はまるまる車庫になっていて、壁の一面が開けている。
 敷地内に丁度いいバケツが転がっていたので拾っておく。
 車庫の隅には二階へ続く階段があり、そのすぐそばの壁には小さな四角い金属板がある。
「カイ、この金属板を壊してくれ!」
 私はバケツから水を噴射して、触手の動きを捌きながら叫ぶ。
「わかった!」
 カイが壊した金属板の奥には縦に白、赤、白と三つのボタンが並んでいた。
「先に二階へ行って、二階にあるものを片っ端から白い粉に変えてくれ」
「お前は?」
「心配するな!すぐに行く!」
 私の返事に頷くと、カイは二階へと登っていく。
 私はバケツを使い、アレの動きを牽制しながら、アレが完全に車庫の中に入り込むのを確認する。
 金属板に隠れていたボタンの一つを押すとシャッターがゆっくりと降り始める。
 アレと同じ場所に閉じ込められているという、叫び出したくなるような事実からなるべく目をそらし、触手の動きと、シャッターの高さとに集中する。
 シャッターの動きは止まってるのかと錯覚するほどに緩慢に感じられ、私は階段の中程に立ち、絶えず襲いくる、触手をかわすことを諦めて二階に駆け出したい衝動を抑え付けた。
 水流を吐き出すバケツからの反動が与える両腕の疲労と相談して、シャッターの高さが人間の膝より少し高い位置へ来たときにシャッターの動きを止めて、私も二階へとかけあがる。
 私の立っていた場所にアレの触手が振り下ろされ、剥き出しのコンクリで出来た階段が撃ち砕かれる。
 触手はその砕かれた欠片を丁寧にかき集め、黒い煙と変え、その身に取り込む。
 二階では、そのフロアに有っただろう、机やパソコンを全て粉末に変えたのだろうカイが振り向いて得意気に微笑んでいた。
「こんなもんでどうだ?」
 床の上にはかつては事務用品だっただろうものが、粉末状に床に積もっていた。
「まだだ、はやくこっちに来てくれ!」
 私は階段から這い昇ってくる触手を、水流で押し返しながら、そういった。
 カイは丸い瞳を怪訝そうに歪めると、こちらに駆け寄って来た。
「よし、じゃあ階段以外の床をまるごと粉末にしてくれ」
 カイは大きく目を見開いて私を見ながらも頷き、両手で床に触れると
「こ、こうだな?」
 二階の床を全て粉末に変えた。
 ザッと、にわか雨のような音をたてると粉末は階下のアレの頭上に降り注いだ。
 極太ミミズのような触手は宙に舞う粉末を追って、まるで独立した生き物のように荒れ狂う。
 その動きの激しさに比べて粉末は小さく軽すぎるのだろう、触手が撹拌する空気の中を拡散されて空気を白く煙らせる。
 触手の激しい動きに引き摺られるように動いていた三本の脚が絡まり、電柱は空を舞い、アレはうつ伏せに突っ伏した。
 ジタバタした電柱と三本の脚が更に積もっていた粉末を宙に送り、触手がそれを掻き回す。
「よし!」ツイてる!
 と、喉まで出かかった声を呑み込み、全て計算の内、みたいな表情をつくりカイを促す。
「さぁ、屋上へ急ごう!」
 階段を駆け上がりながら、カイが
「今、お前小声でツイてるとかいわなかったか?」
 と、訊いてくるが、とりあえず聞こえないフリをしておいた。

 屋上に出ると、日は沈みかけて街は黄色く染まっていた。
 私は中腰になり、バケツを腰にあてるように両手で持ち、
「ここから飛ぶぞ」とカイにいう。
 カイは私の姿勢からアレコレ想像して、ようやく私の意図を飲み込んだらしく、
「いやいや、それはないだろ?」
 と顔をしかめる。
「ないって何がないんだ?
 飛ぶんだよ、アメコミのヒーローみたいに」
「ケツから水を噴射して飛ぶヒーローなんかいるかよ!?」
「なら、なくてもいいよ、私がそれになるだけだ」
「格好つけんな!ケツ噴水マン!」
 そこまでいうと、カイは諦めが付いたらしく私の背中におぶさった。
「うぉぉー!」
「はっはー!」
 屋上から飛び出して気付いたが、腰のバケツから出る水圧をコントロールして、バランスをとりながら落下の勢いを殺すというのはなかなか難しい…
 特に背中に人一人背負っているときは。
「おい、フラフラすんなよ!
 しっかり飛べ、ケツ噴水マン!」
「なんだよ、怖いのかよ?」
「怖いとかいってねーよ、あぶねーだろがよ!」
「いいから、黙ってしっかり捕まってろ」
 バケツの角度を調節して、ビルから離れたところに着地する。
 そのまま間髪いれずに、バケツの水をカイの頭からかけて、自分も頭からかぶる。
「な、ちょっなにす…」
 ごちゃごちゃいってるカイを地面に押し倒し、その上に覆い被さると、
「ライ!今だ!」と叫ぶ。
 私達より離れた場所で物陰に隠れていたライは、そのまま指先から電光を放つ。
 その光はまっすぐとビルに伸び、開きかけたシャッターの下をくぐるとガレージへと入り込んだ。
 低く重く轟く爆発音。
 シャッターの下の空気は赤く染まり、ふくらみ、私とカイの上を走り抜ける。
 一階と二階の窓は内側から弾け飛び、シャッターは内側から圧し広げられ形を歪める。
 その下からはかつてアレと呼んでいたものが黒い大量のスライムか、あるいは溶岩流の様に溢れ出ていた。

「スゲーな、そのじんふん爆発ってのは…」
「粉塵爆発!」カイの言葉を被せ気味に訂正する。
「うーん、人糞は爆発してないかなー」
 私とカイに肩を借りながら、ライもやんわり否定する。
 私達は、少し離れた位置でシャッターの下にはみ出してるアレだったものを観察している。
「巨人の話をしてたときに、瞬間的に圧倒的な熱エネルギーをぶつけるのが一番有効なんじゃないかと思ったんだ。」
 私は黒い煙を立てながらピクピクと脈動を繰り返す黒い塊をみながら、そういった。
「まぁ、ミサイルでバラバラになった前例もあった訳だしね…」ライは言われてみれば、といった雰囲気で返す。
「たぶん、電撃も一瞬だけダメージを与えてすぐに止めることを繰り返せばある程度有効かもしれません。
 電撃を与え続けると、エネルギーを取り込みはじめてしまうでしょうから…」
「なぁ、これは死んでるのか?」
 カイが私の言葉を遮り、疑問を口にした。
 黒い塊の表面は黒い煙に包まれ、アスファルトとも、コンクリートとも、金属とも爬虫類の表皮とも例えられるような質感が入り交じり、音もなく脈動を繰り返していた。
「いや、多分、今は活動に支障が出るほどダメージを受けた部分をそうじゃない部分が取り込みなおしているんだろう…」
 黒い煙は宙に上がるわけではなく、アレだったものにまとわりつくように広がっている。
「もうしばらくしたら、真っ黒で巨大な粘菌の塊みたいに動き始めるんじゃないかな」
「なら、もうここから離れようぜ」
 ライの言葉に私は頷き、
「とりあえず、安全なところまで移動してタンカの代わりにできるものでも作ろう」
 そう続けたとき、突如地面が弾けるような音が響いた。
 私とカイはほとんど反射的に後ずさった。
 その轟音は繰り返し鳴り響き、後に続くほど音は大きくなっていった。
「あ、あれ…」
 ライが見上げる目の先には、ビルよりも背の高い巨大な漆黒の塊があった。
 私達三人ともが、身動きもとれずその漆黒の塊が目の前のビルを踏み潰し、鉄筋コンクリートの破片ごとかつてアレだったものを黒い煙に変えて、その身体に取り込むのを黙ってみているしか出来なかった。
「おい!
 逃げるぞ!」
 カイが絞り出すように声を出す。
「あ…ああ…」
 そう返したものの、身体がまるで私のものではないように動かない。
「おい!」
 カイは私の襟を掴むと、強引に私の頭を引き寄せ鼻先に頭突きした。
「くゎっ!」
 私は思わず声をあげ、反射的にカイを睨む。
「これ以上グダグタすんなら、もう一発食らわす!」
「悪い、助かった」
 鼻筋に走る痛みが、この身体が自分自身のものだと思い出させる。
 私はライの身体を支え直すと、カイと呼吸を合わせジリジリとその場から離れた。
 それ以上にゆっくりした動きだというのに、その巨大な絶望は、確かに確実に空を覆う。
 例え今、カイとライを見捨てて一人で駆け出したとしても逃げ切れないことがハッキリと判る、その緩慢さはまるでスケールが違う静な動きで、巨躯を持った絶望は沈み行く黄色い太陽をも覆い隠す。
 視界が漆黒に沈む。
 ライの身体から伝わる動悸も、カイのハッキリとした丸い輪郭の瞳とそれがつくりだす明確な意思を感じさせる表情も、私自身の息遣いも、なにもかも、ひんやりとした真黒に塗り込められる。
 空が割れる唐突な響きを聴いたのは、まさにその瞬間だった。
 目にも止まらぬ速さで、宙から落ちてきたのに私の目には、その巨人が二つの膝をハッキリと地面に向け、黒い絶望の上からそれを突き刺すように全体重をぶつける姿が、焼き付いた。
 絶望は、その巨躯を揺るがし、藍の巨人は金柑色に染まる空を取り戻す。
 私とカイは黙って目を合わせ、出来る限りの慎重さと、速さで、その場から離れる。
 巨人と巨大な絶望とが身を叩きつけ合う度に、大地と空は轟いた。
 アスファルトは叫び、コンクリートは震え、そして、私達三人の身体は宙に放り出された。

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