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Atusy,博論やめたいってよ

博論執筆をやめたいと上司に伝えた.

共同研究者や費やされた研究費,仕事の傍ら博論を執筆することに協力してくれた勤め先,全てに申し訳ないと思う.

でももう書けない.諦めてくれと言う他ない.今年6月に持病の悪化で腸閉塞を患い,23日間に及ぶ入院をした結果,そう思ってしまった.症状悪化の主な原因は博論によるストレスと疲労だと思っていて,退院後も博論執筆を意識させられるだけで体調が斜めになる状況である.そして狭窄した腸はまたいつ詰まるかわからないし,将来的には外科手術の可能性もある.入院の恐怖ですっかり原稿を開くこともできなくなってしまった.

上司らは私を責めなかった.私の心身が回復するまで博論から離れたらいいと言ってくれた.でも,どうぞおやめとは言ってくれなかった.私の博論をスケールダウンさせてでも私が学位を取得できる道がないか一緒に模索しようとのことだ.共に働く仲間としてなんとか道がないか考えさせて欲しいと言われてしまうと,私には何も言えなかった.入院前ならありがとうございますの一言くらいは言えたのかも知れない.

本当は「Atusy,博論やめるってよ」というタイトルのつもりだった.しかし案の定,周りはそう簡単に諦めさせてくれないらしい.私はいつまで暗澹とした思いを抱え,恐怖と向き合えばいいのだろう.

学位を持った人々は揃ってあの時は辛かったが学位をとってよかったと言うが響かない.タダでくれるならもらうさ.健康と引き換えられるものではない.

7年間,病気と付き合いながらアカデミアに関って生きていく術をずっと模索してきた.多くの妥協をしながらここまできた.でももう模索する心すら折れた.

どこでも辛いことはいっぱいあるのにそんなことでやっていけるのかと言われそうだ.自らも問いかけてしまう.私は私がやっていける道を探すしかなくて,アカデミアに続く道は違うようだ.

以下では私が学生時代から病気と付き合う中で何を感じ何を決めてきたかを振り返ろうと思う.

大学院生時代を振り返る

私がクローン病を発症したのが2013年,修士1回生の時のことだ.当時は下痢・腹痛・痔瘻に悩まされていたものの,未来を楽観していた.丁度,リーディング大学院のプログラムに採択され,博士課程を含めた向こう5年間の生活費と研究費が安定したおかげだろう.この調子でアカデミアでキャリアを積もうと思った.

修士2回生ごろから体調が悪化し始め,午前中大学に出られないことが増えた.それでもまだ頑張れると思った.

博士課程に進むと状況は悪化の一途を辿った.2015年12月,2016年10月,2017年3月と毎年入院し,私はアカデミアで生きていく意思を失なっていった.

最初の入院で,海外の研究機関に就職する選択肢を除去した.医療技術の高い国が母国であるメリットは手放せない.それから入院を繰り返す内に,任期が切れるごとに新天地に移るアカデミアでのキャリア初期に恐怖を覚えた.継続的なポスト獲得には継続的な成果が重要だが,持病の悪化や入院は大きな障害たりうる.新天地に移るごとに最適な病院を探し,医師との信頼関係を構築し直し医師に症状を理解してもらう負担も心配の種だった.

入院は毎度三日三晩の40度の発熱から始まった.魘されながら白い天井と暗澹とした気持ちを眺め,純粋なアカデミアで生きることを諦めた.

アカデミアでの就職を諦めたのが2017年3月だったおかげで,私は悪くないタイミングで企業での就職活動に舵を切れた.内定先は民間企業ながら文科省の研究機関指定を受けており,競争的資金を獲得して研究を続ける道が開いた.

ただし体調不良や,入院で失った時間,挫けた心は私の学位論文執筆に影を落とし続け,卒業までに学位を取得できず終わった.内定先は研究機関に所属する人間を学位取得者に限定していたが,ありたがいことに入社後に働きながら学位を取得するという前提で研究期間に所属することを認めてくれた.

社会人になってから博論をやめるまでを振り返る

社会人1年目となった2018年は体調が良好な状態で踏み出せた.新しく始めたアダムリブという薬が効果を発揮してくれたおかげだ.体調が良い時に論文を書くぞと思ったが,私事に時間に追われてしまった.

2018年秋からは時間的な余裕が出てきて博士論文の執筆を本格化させた.ところが,これを契機に徐々に下痢と腹痛が頻度を増した.一方で体重は減った.学生時代に受けたコメントへの対処が思い受かばず苦心したり,論文に集中し過ぎて彼女に「これでは結婚した意味がない」と言われ互いに辛い思いをしたりした (「ツレとの時間」 参照) ストレスの影響だと思う.プライベートを論文執筆に費やすことによる疲労も大きかっただろう.

積極的にストレス発散して体調のコントロールに努めたが,書くたびに不調を訴える体は徐々に書くことそのものに恐怖を覚えさせた.これまで協力してくれた人や注入された資金に対する責務だけが私を博論に向かわすようになり,研究への情熱はもはや駆動力を失っていた.

本格的な体調悪化は2019年3月からだ.繁忙期を過ぎた会社から,業務時間の一部を論文執筆に充ててよいとの,手厚い支援を受けた.しかし,なまじ業務時間として執筆させて頂いた結果,逃げ場もないと勘違いした.執筆を進めるに連れ,学生時代の容態が悪かったころにとったデータの質の悪さに辟易とし,やりくりする内にわけも分からず涙してしまうほどになった.ツレに言わせればノイローゼだそうだ.結局,論文に向き合っているようで碌な進捗を出せず,2019年3月完成の目標には遠く至らなかった.

2019年4月以降は論文に使える時間が減ったおかげか,一度は少し体調を取り戻した.しかし,取り戻した体調で取り組んだ結果,1日10回を超える下痢が常態化した.2019年5月の GW は論文を書くこともままならず,特に前半は寝込んだままで,掛かり付けの病院を大病院に変えることも検討した.幸いというべきか栄養療法のおかげか,GW 後半には下痢の頻度は日に片手に数えるほどに減少したので,様子を見ることになった.

2019年5月の末には学会に参加したが,学会でなまじ論文のことを意識し過ぎたのか,また体調を悪くしてしまった.

そして来たる2019年6月.ツレは体調斜めで食欲のない様子だった.私が美味しそうに食事すれば,彼女もつられて食べるかなと思ってしまった.お腹の調子が悪いくせに食べ過ぎてしまった.

結果,腸管を詰まらせ入院沙汰となってしまった.医師曰く,炎症が治まるに合わせて腸管が収縮することがあるらしく,再燃を繰り返した私の腸はすっかり収縮していたのかも知れない.

入院して容態が少し落ち着き始めた時思った.

もう私に博論は無理だし健康を犠牲にする気概もない.

23日後に退院して今でも,この気持ちは変わらない.加えて入院で味わった過酷な症状が,博論執筆を恐怖の対象にしてしまった.

終わりに

勤め先は私がいずれ学位を取得することを前提に,研究員としての受け入れの前倒しを特例として認めてくれた.私が学位取得を諦めた以上,研究員の肩書は返上するのが筋だろう.ただ,社内ではまだ私が学位を取得する可能性があることになっているので,少し先の話になる.

現職を選んだ理由は研究に身を置ける可能性を魅力に感じたからだ.アカデミアへの未練だった.これを手放すなら転職も選択肢だと思っている.とはいえ,体調が安定するまでは今の場所にいたいので,しばらくは様子見するつもりだ.

この件について身内からも,もったいないだの今までが無駄じゃないかだのと言われた.これからも色んな人に言われるだろうが,生きてればそういうこともあるよね,くらいの気持ちだ.研究や執筆で得た知識や技術は私の中に残るので一概に無駄とも思っていない.

誰だったかに学位はせっかくならとった方がいいと言われたが,「せっかくなら」くらいのモチベーションが丁度よかったのだろうと今は思う.「せっかくなら」くらいのものならいつだって諦められる.こうなる前に諦められた.

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