見出し画像

自己開示の効果


かつて、「自己開示」がすごく苦手だった。

特に子育て初期、1日中日本語を話す相手がいなくなった辺りから、自分のことを人にうまく伝える方法が分からなくなった。「わたしは~」と、自分を主語にして話すことがほぼなくなった生活を日々送るうちに、「わたし」の中身がなくなっていったように思う。

それから17年ほどの月日が流れた。わたしを取り巻く環境は激変したが、その変化の始まりは、わたしが恐る恐るでも、自己開示し始めた辺りだと思う。当時は「自己開示」なんていう言葉も知らなかった。

facebookのアカウントを作ったときは、清水の舞台から飛び降りるほどの勇気がいった。不特定多数な人に自分の存在を見せる必要性は感じなかったし、不特定多数の中で、自分の存在がちっぽけすぎることを目の当たりにするのが怖かった。


それでも、子どもの成長とともに、「わたしは~」と、主語を自分にして話すことが少しずつできるようになっていった。特にパートナーに対して。わたしを取り巻く環境の激変は、わたしが行動変容し、自己開示を始めたからだと思う。リハビリのように、調子が良かったり、悪かったりする日を繰り返しながら、少しずつ、少しずつ、自己開示がうまくできるようになっていった。

自己開示は、傾聴に匹敵するほどの強力なコミュニケーション方法だと思う。言葉通り、そのままの自分をさらけ出すこと。それは等身大の自分であり、良い悪いの判断はしないこと。

やりたいことはやりたい、と。
したくないことはしたくない、と。
できることはできる、と。
できないことはできない、と。
したいけどできなさそう、と。
できるけどやりたくない、と。
できそうにないけどやってみたい、と。

そして、やったことないけどやってみたい、と。

「わたしはこう思う。」そう言えるようになったころ、
かつてパートナーにことごとく論破され、くやし泣きしかできず弱っちかったわたしは、どっかに行ってしまった。

自己開示の試行錯誤は長い時間かかった。自己開示してみてもうまくいかないと感じ、自己開示したことを後悔したことも度々。今ならうまくいかなかった理由がわかる。自己開示するときの自己理解ができていなかったからだ。自分のことを自分でよくわからないまま、納得感のない言葉を相手に投げかけていた。

本当は、自分のことがよくわからない段階でこそ、自己開示をするべきだ。自己理解と自己開示の両方がスパイラルのようにぐるぐる巻いて深まっていくものだ。でもこの時、自己開示をする相手に傾聴スキルがない場合は、残念な結果になってしまうので注意が必要、ということだ。


さて、今、わたしは「自己開示」と「セルフブランディング」をテーマとしている。このブログでの発信をはじめたこともそうだ。等身大の自分をそのままブランディングしてしまおう、というところだ。

その心は。

楽だから(*^-^*)。


ブログをはじめたには複数のきっかけがあったが、自分のことを目の前の方に自己開示する機会は度々いただくものの、なかなかうまく伝わらない(自分では伝えているつもり)ことが重なったりして。

もう、めんどくさいから、常日頃から自分のことをさらけ出しておくと、あ、こういう人ね!と理解されやすくなる。

これって、超らくちん(*^-^*)、なことなのです!


そして自然と、自分をなりたい自分に寄せていける。
そして品行方正にも。
さすがに、人様に言えないことはできなくなっていくからね(;''∀'')

これまでの経験で、なんとか自分の役割に気づくことができました。与えられた役割を全力で全うするため、「わくわく」と「ドキドキ」のど真ん中を走ります。 サポートでの勇気づけ、素直に嬉しいです\(^o^)/