パラレルワールドの作り方。
最近、出会う人たちに感じることがある。
この人は、わたしが「選択しなかった道」を選択し、今、目の前に現れたわたし自身ではないか、と。
パラレルワールド。
”ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空ともいう。”
(出展:ウィキペディア)
「人生の分岐」は山ほどあって。
そして今でもふと思う。
あの時、別の道を選んでいたら。
出会う人と対話を重ねると、たいてい、「似ている部分」がある。まぁ、「似ている部分」以上に、「似ていない部分」もあるのだけれど。
例えば占いで、誰にでも当てはまるようなことを書いてあったとして。100文の内の1文でも自分に当てはまる部分を見つけたら、当たってる!とつい思ってしまう、そんな感じに似ているだろうか。
そして目の前の、ちょっとわたしに似ている部分がある人、は、わたしがやりたくてできなかったこと、もしくはわたしが選択できたけれどもやらなかったこと、を選択し、やっていたりする。
わたしにちょっと似ている部分がある人、を目の前に、
わたしはちょっぴり奇妙な感覚になる。
この人は、わたしの代わりにその道を選び、経験を積んできてくれたのだろうか。そして今、わたしにそのことを共有してくれているのだろうか。
わお。なんとも自己中な考え方。
でもひっくり返せば、そうでもない。
わたしが選択してきた人生は、今、目の前の人が選択してこなかった人生。目の前の人の代わりに、わたしが経験してきたんだ、ってね。
して、それがどういうことなのかって、考えてみる。
これまで別々に経験してきたことを共有したらどうなる?人生の豊かさは単純に2倍になる?いやきっと、そんな単純なことじゃなくて、ケミストリーが起こる。ある「人生の岐路」からできたパラレルワールド同士が出会うことで、また新たなパラレルワールドができる感じかなぁ。
なんでそんなこと感じたのかっていうと。
いろんな現象があるのだけれど、分かりやすいのを1つ。
やりたいプロジェクトがあって。イメージはしている。こんなシステムがあって、こんな機能が実装されていたらいいな。でもこれを自分で作るのはちょっと無理そう。既存のサービスでもなさそう。開発には資金がかかるし、そんな冒険できないし。誰に頼んだらよいのやら、見当もつかないし。まぁ、これは今はちょっと無理そうだから横に置いておいて。わたしは今、自分にできることをやろ!
ということがあって。
1年くらいたったころ、いよいよそのプロジェクトを具現化する「流れ」が来る。「あーー、やっぱりこれ、やりたいことだったんだよねー、改めて考えてみても。」となったとき。
パッと現れるわけ。そういうのを開発してくれていた人たちが。ああ、こういうのが欲しかったんだよ!って、なるよね。そしたら1年前には実現出来なかったことが、突然動き出すわけ。
もしかしたらあの時、強くイメージした「形」をパラレルワールドのわたしが作り始めたんじゃないかと思って。
だからね、こういうことが、「思考が現実になる」とか言うのかなって思う。イメージを強くっていうのは、パッカーンって、脳みそをクラウドで共有する感じね。そしたらそれを具現化できる誰かにピピピっってつながって、形にしてくれるの。
発明家は「アイデアが突然降りてくる」って言うじゃない。
それはきっと、アイデアやイメージはあるけど形にできない誰かと頭の中が繋がったんじゃないかなーとか思うわけ。
っていう風に思うとね、自分が考えていたことを、自分じゃない誰かが発明・開発して、誰かの役に立ったり社会貢献したりしたら、素直に喜べるの。やってくれたか!ありがとうっ!てなる。そして刺激を受けて、よし、こちらもがんばるよ!ってなる。
一人の頭の中なんて、独り占めするほどの価値はないのよ、本当のところ。
共有して初めて、一人の頭の中の価値が生まれる。
共有するたびにどこかで生まれるパラレルワールド。
いつどのタイミングで別のパラレルワールドに会えるかは分からないけど、その時は必ず来る。そして来たら、分かるよ。
ああ、こういうことかって。
これまでの経験で、なんとか自分の役割に気づくことができました。与えられた役割を全力で全うするため、「わくわく」と「ドキドキ」のど真ん中を走ります。 サポートでの勇気づけ、素直に嬉しいです\(^o^)/