見出し画像

『1518!』と僕らの九月(後編)

----------
とある埼玉県内の進学校。『1518!(イチゴーイチハチ)』を読んだ、ある男の子の冒険は、ここから意外な広がりを見せます。前編に引き続き、お楽しみください。

〈各編へのリンク〉
●前編
https://note.mu/auc_comic5884/n/ncc794cf45476
●あとがき
https://note.mu/auc_comic5884/n/n2c41b8f1d988
●まえがき
https://note.mu/auc_comic5884/n/n6abeee3193d5
----------

【7月10日(水)】

翌日、僕と永野は生徒会に呼び出された。生徒会役員に僕と永野、そこに野球部と映像研究部の部長が加わり、会議が始まった。

挨拶もそこそこに、昨日一緒に野球をした、二年生の書記が資料を配る。
そこには
「『1518!』のあのグラウンドで、実際に野球をやってみた!〜アンダースロー女子高生vs野球部」
と大きくタイトルが記されている。

説明によれば、生徒会組織を紹介する既存の動画に加えて、生徒自治の活発さや活動の自由さをアピールする動画を作り、学園祭で発表したい、とのことだった。
「生徒が自主的にやりがいを探す、その手伝いをする生徒会」という生徒会の基本方針に合致する僕のあの文章と、『1518!』の舞台を使って面白いことができないか、という書記の呼びかけに、全員が概ね好意的なスタンスで、それぞれの立場から実現に向けての課題が提示され、議論が始まった。

そんな中で、一人狼狽していたのは、永野だった。
「アンダースロー女子高生って、ワタシ?!」
突然振られた“主役”に、天を仰いで考え込んでしまう永野だったが、野球部主将の
「これはガチで対戦するの、それともお芝居?」
という言葉に、永野が
「……ちょっと試してみます?」
と応じ、グラウンドで永野と主将との〈おもちゃのバットとボールで野球対決〉が始まった。

永野の投球は、奇妙なものだった。
見慣れないアンダースローの軌跡ということもあったが、永野のストレートは腕の振りのスピードに比して微妙に遅く、タイミングが取りづらい。そこに、さらに遅くて極端に曲がる各種変化球を混ぜ込んで、緩急をつけてきた。
一方、毎日重いバットを振り込んできた主将は、軽いプラスチックバットについ力み、バットがミートポイントからブレてしまう。

3アウト分対戦してみて、意外な難しさに主将は真顔になり、
「本番はガチでいくから、よろしく」
と永野に握手を求めてきた。
「永野、主役だけどいいのかよぉ」
と僕がからかうと、
「いいよ、やってやろうじゃん」
どうやら永野に火が着いたようだ。

◎◎◎◎◎

そこからの生徒会の動きは速かった。
7月18日(木)の、一学期最後の職員会議で許可を得るべく、前日17日に生徒会担当教員にプレゼンするための準備が急ピッチで進められた。

まず、あのグラウンドの使用申請について調査。自治体ではない団体が運営に絡んでいたことから、調査が難航した。
そこで、あのグラウンドを使わない代替案を用意し、2パターンのタイトルとイメージラフを、映像研究部と僕と永野で準備した。
15日に使用申請の方法などが判明し、当初の予定通り、あのグラウンドを使用することに決定。

映像研究部と僕と永野は、野球の映像に字幕で僕の文章を合わせて、一つの映像作品にする、という具体的な仮台本とラフなイメージボードを用意。生徒会は企画内容と日程、予算案(予算はほぼかからない、という見通し)をまとめた企画書を準備して、17日のプレゼンに間に合わせた。
18日の職員会議では目立った反対意見も出ず、改善点の要望程度で済み、いよいよ動画作りにゴーサインが出た。

職員会議の結果を生徒会室で聞き、集まっていた関係者はハイタッチで喜んだ。しかし、喜びの言葉に続けて何故か皆、でもなぁ、と言葉を続けた。

映像研究部は、これから9月28日(金)の学園祭に向けて、自分達の作品作りを抱えている。生徒会だって、学園祭に向けて準備することは多い。そして文芸部も、学園祭で部誌を発表することになっている。

「うちら、忙しくね?」
誰かの呟きに、あちこちから溜息が漏れた。

【8月1日(木)】

八月のコンピューター室は校舎の影で薄暗く、だだっ広いこの部屋を、僕らはいつも二人で持て余していた。
僕はここで、美術部二年の「テツ先輩」に、冊子のレイアウトの作り方について学んでいた。

僕は学園祭で頒布される、文芸部の部誌の編集委員になった。
僕が部誌に掲載する原稿は、例の『1518!』の感想文と、永野に出された「宿題」からピックアップする。
それゆえ一番暇な僕は、編集長の部長と編集部員の永野が作る「台割」と呼ばれるページの割り振りに沿って、部員の原稿を誌面に並べ、そのデータを印刷屋さんに渡す仕事を担当することになった。

広いコンピューター室にはパソコンが50台設置されていたが、その中のたった二台の「Mac」を使って、7月のうちからブラインドタッチとレイアウトソフトの使い方をテツ先輩に教わっていた。

8月1日に一週間ぶりに会ったテツ先輩は、この時期の高原の気持ちよさを懐かしみながら、自分で買ってきた土産の饅頭を頬張った。
群馬の山中で行われた吹奏楽部の、コンクールに向けた合宿に、手伝いで参加していたテツ先輩。
かつて、一年生の夏休みまで吹奏楽部に所属していて、今でも吹奏楽部にたくさんの友人がいるテツ先輩は、何かと吹奏楽部の手伝いに駆り出されていた。

楽器は好きだったが、「合奏」という共同作業が致命的に苦手だったテツ先輩。
さらに、Bチームではあったが、懸命に練習して臨んだ夏休みのコンクールの、舞台上で頭が真っ白になってしまい、テツ先輩は音をまともに出せないまま、コンクールが終わってしまった。
テツ先輩は、自分に失望して夏休みを過ごした後、二学期の始めに吹奏楽部を辞めたのだそうだ。
しばらく吹奏楽部の仲間たちに申し訳なくて、笑うことができなかった、とテツ先輩は話してくれた。

そんな時、選択教科の美術クラスで、テツ先輩を気に入ってくれていた美術教師に美術部を勧められ、入ってみることにした。
さらに教師と部長に「Mac」を使った「デザイン」を勧められ、やっているうちにその面白さに目覚めたという。

「共同作業が苦手なわけじゃ、ないんだよね」
テツ先輩は自分を冷静に分析していた。
「ただ、合奏って、みんなで同じフレーズを何回も、延々と繰り返したりするんだよ。それが何か、懲罰みたいで、辛くてね」

デザインというのは、相手のやりたいことに自分のアイデアをぶつけて、形にしていく共同作業。同じ共同作業でも、そういう過程は楽しめる。そんな風に時々ポツリポツリと話す、寡黙なテツ先輩は、『1518!』を読んだ時、自分のどこか後ろめたかった路線変更を、ようやく肯定できるようになったという。

先輩とは8月の長い期間、コンピューター室で一緒に過ごした。
先輩はいつも、どこかで聴いたことのあるような、古い音楽を流していた。
これはいつの曲ですか? と聞いて、
「1973年」
とすかさず返ってくる、先輩との静かなおしゃべりが、楽しかった。

◎◎◎◎◎

テツ先輩はアプリの使い方やデザインを教える代わりに、僕に様々なレイアウト業務を手伝わせた。
生徒会関連の印刷物は時間が許す限り、テツ先輩がレイアウトを作成している。時には教師からの依頼で、テストや教材以外の配布物を作ることもある。
小さなプリントから大判のポスターまで、様々な依頼の中から、一つ選んで僕に作らせ、それをテツ先輩が手直しして、比較して見せることで、僕に不足している考え方を示してくれた。
一ヶ月の間、ひたすらテツ先輩の見様見真似で印刷物を作るうち、ぼくはいつの間にか、デザインの面白さにも目覚めてしまった。
月末になるとテツ先輩は、美術教師に紹介されたというデザイン事務所にバイトに行き、僕はテツ先輩の代理に指名され、生徒会関連の印刷物をデザインした。
テツ先輩はいなかったけど、僕は先輩に教わった昭和歌謡を詰め込んだYouTubeプレイリストを再生しながら、夏休みの終わりを黙々と過ごした。

◎◎◎◎◎

テツ先輩と関わって、美術部にも知り合いが増えた。
特に文芸部の部誌に、テツ先輩の推薦で美術部から参加してくれた、二年の相澤先輩とは自然と話すことが多くなった。
相澤先輩とは、上がってきた原稿に入れる「挿絵」の打ち合わせを、夏休み中から何度も行った。

「川田君はさ」
相澤先輩は他の美術部員に聞こえないように、こっそりと聞いてきた。
「永野ちゃんのこと、好きなの?」

いやいやいやいや……あんまり考えたこと、無かった。
「それより、あいつ、うちの部長が好きみたいですよ」
実際、永野は何かと理由をつけて、部長と行動を共にした。文芸部内では、永野の気持ちは暗黙の了解事項であった。

「え、それは、部長相手だから永野ちゃんのこと、諦めるってこと?」
相澤先輩は面白がって、踏み込んでくる。
いやいやいやいや、そうではなく。
……とそんな感じで相澤先輩と打ち解け、先輩好みのイラストや漫画を教えてもらったり、進路の話をしたりするようになった。

相澤先輩は、付けペンやボールペンを駆使してノスタルジックな道具や機械を描き、時には幻想的な魔法世界を描き、その美しさに僕は目を奪われた。

先輩は最近になって、美術部の活動に力を入れ始めたそうだ。美大の受験を視野に入れ、必要な準備を今から始めるのだ、という。
つい最近まで、この学校に入ったからには、普通の大学に入って普通の就職を、と考えていた相澤先輩。
だが『1518!』の、生徒会の庶務・三春英子の「冒険」に心動かされ、自分も何か挑戦しないと勿体無い、と思った先輩は、様々に葛藤し、周囲の理解を得た上で、「この学校初の美大進学者」を目指し、そしてその先に「この学校初の漫画家」を目指すことにしたのだそうだ。

落ち着いた口調で、目標を丁寧に語る相澤先輩の優しい声と、ペンを握る指の細さが僕の心に染みて、僕はいつしか相澤先輩を、好きになっていた。

【9月2日(月)】

9月の昇降口の暗がりから、8月と変わらない、強い日差しの中へ出る。一瞬視界がホワイトアウトするのに任せて、僕は一歩先へ歩き出す。

今日は例の野球動画の素材撮影の日。
制作の都合上、今日一日で全ての素材を撮影するべく、夏休み中に構成をほぼ固め、絵コンテを作り込んで、撮影の順序まで綿密な打ち合わせが行われた。

始業式とHRが終わり、昼食を摂ってから、参加者は校門前の広場に集合。
野球部と文芸部という珍しい取り合わせに、映像研究部と写真部の有志、生徒会役員と広報委員会、そしてその場で、このイベントの噂を聞きつけた野次馬達。
総勢で50人近くになってしまったので、生徒会によって三班に分けられ、最寄駅へ移動。そこからグラウンドのある駅へ、そしてちょっと分かりにくい河川敷への道を誘導されていく。

河川敷の道は日差しが強かったが、その開放感に、やはりみんな、はしゃいでいる。例のグラウンドに降り立つと、『1518!』のあのシーンと同じ光景に、改めて驚きが広がっていく。

まずは台本に沿って、お芝居パートの撮影を30分ほど行ってから、いよいよ実際の試合パートに入る。ここからはガチンコだ。

野球部はすでに秋季大会に向けて新チームが始動しており、引退した三年生でチームが組まれ、審判も三年生が買って出た。
夏の地区予選は二回戦負けだったこともあってか、三年生達はどこか不完全燃焼を持て余し、元気が空回りしている感じがした。
一方、文芸部チームは、まだ部誌の原稿ができていない、予備校に行く、などで出た欠員を生徒会役員が補って、なんとか10人のチームになった。

先行の野球部チームは、主将の前情報があるにも関わらず、永野の軟投に予想以上の苦戦を強いられた。フルスイングしているのに、うまく芯を食わずにボールが飛ばない状況に、なかなか慣れなかった。
しかし、もう引退した野球部チームはその状況を、まるで新たなチャレンジを見つけたかのように、楽しみながら代わる代わる打席に立った。

流麗なアンダースローでボールを投げ込む永野は、野球部を打ち取るたびに、喜びを拳に込めて、小さくガッツポーズをした。それはまるで、相手に敬意を持て、と厳しく教わった、甲子園球児の慎ましさだった。
そんなところまで、こいつはかっこいい。

一方、文芸部+生徒会チームの攻撃は、速い球を投げ込んでくる野球部に対して、なるべくバットを当てるだけ、前に飛ばすだけ、という作戦に出た。
実はこの野球の一番の肝は守備で、カラーボールを素手で処理する難しさに両チームとも翻弄されて、5回表で8-7というハイスコアゲームになった。

最終回、5回裏もツーアウトながらランナー2、3塁と、一打逆転のチャンスで四番・永野に打順が回るという、ドラマチックな展開となった。
ここで野球部は、温存していたエースをワンポイントリリーフに起用。意地でも抑えにかかる。

エースの投げた球に、仰け反る永野。そのボールは永野の目の前を落下しながら左にスライドする。昔ならドロップと呼ばれたであろう、落差の大きなカーブ。
同じ球をもう一球。今度は永野は避けずに、見送る。
そして第三球。不意をついたはずの速いストレートに、永野のバットはスムーズにスイングされる。

瞬間、ボールは、エースの眼前で受け止められた。
天を仰ぐ永野。本気で喜ぶ野球部。

こんな彼らの野球を見ながら僕は、もし自分に、永野ほどの野球センスがあったらと、ふと考えかけて、止める。野球はもういいよ、こんな遊びで充分。
それより今は、面白い動画を作ることを考えよう、と思い直して、最後の整列に加わった。

【9月30日(日)】

2日に撮影された素材は早速、映像研究部によって編集され、作品に仕立て上げられていった。
僕と永野は、構成の変更や追加の字幕の要望に合わせて、仮台本を修正して確定台本を仕上げる作業につき合っていた。

映像研究部は自分たちの作品制作と並行して、この動画の制作を進めた。
学園祭前にYoutubeにアップして、宣伝したい生徒会の無茶な要望に応え、土日も使って作業した結果、9日(月)には12分の動画を完成。教員のチェックを経て、10日(火)には生徒会チャンネルに動画をアップすることが出来た。

動画への反応は日々、増えていった。
Twitterでの広報で、漫画系のインフルエンサーの目に止まったことから、すぐに再生回数が伸び始め、学園祭前日には1.3万再生を記録。Twitterの生徒会アカウントや映像研究部のアカウント、学校のFacebookにも問い合わせが来るようになった。

生徒会や学校関係者が喜んだのは、問い合わせが『1518!』のファンに限らず、県内外の高校の、生徒会や生徒指導の担当者から、生徒を勇気づけるいい試みだ、という賛辞と、企画の経緯に関する問い合わせがあったことだ。

28日(金)の学園祭初日は、近隣の小学生と、申し込みのあった中学校、高校の関係者を招待する特別日だが、申し込みが例年の1.4倍になり、生徒会と受験担当の教員は来客の対応に追われた。
29日(土)、30日(日)の一般開放日も来客は例年の1.3倍と盛況。学校側は生徒会と協働して、例の動画をなるべく来客に見せるために、空きスペースを休憩所として開放し、そこにモニターを設置して、動画を繰り返し放映した。

その効果があったのか、文芸部の部誌は用意した150部を30日にほぼ完売、映像研究部の作品集DVDも100部を29日の早い時間に完売して、慌ててジャケット無しのDVDを作って翌日販売した。

一方、学園祭に訪れた『1518!』ファンに好評だったのが、広報委員会が作成した、あのグラウンドについて詳細にまとめたフリーペーパーだった。
『1518!』の聖地としては川越が有名で、川越の聖地情報はネットでたくさん見つかるのだか、あのグラウンドについての情報はほぼ見当たらないため、レア情報として喜ばれ、フリーペーパーは3日で500枚捌けたそうだ。

◎◎◎◎◎

9月の終わりを告げる夕焼の中、クラス出店の「エクストリーム射的」の片付けがおおよそ終わった教室には、もう数人のクラスメイトしか残っていなかった。
もうじきキャンプファイヤーが、校庭で始まる。

永野にお茶を買ってきて、二人で校庭を眺めていると、永野は不意に
「川田はまだ、野球部やりたい気がする?」
と聞いてくる。

いや、もう全然。僕ははっきりと答える。
「文芸部の方が楽しいよ」
「どうかなー美術部の方がいいんじゃないの? 相ちゃん先輩いるし」
バレてる……。このやろ……。

「お前こそ、部長といたくて編集委員やったくせに」
あったりまえだろ、ワタシは部長の右腕として、公私共に側にいるんだよ! と宣言して堂々としている永野は、ふとグラウンドに目を戻し、
「まあでも、お前が元気そうで、何よりだよ。恋もしてさ」
まだ言うか、このやろ。

「お前さ、ずっと放課後、野球部見てたろ? 入学してから」
急に過去の、寂しい話を思い出させる永野。
「お前がさ」
永野は少し言い淀んで、それでも言葉を続ける。
「野球部のこと、つまんなそうに見てんの、嫌だったんだよ」

はっとする。
そうか、今わかった。
永野はあの時、僕と烏谷公志朗を、重ねて見ていたんだ。

「やっぱ野球は、楽しく観ないとさ」
明るく永野は言うが、僕は何も言葉を返せなかった。そんなに心配してくれてたんだな、と思うと、ありがたかった。

暫くの沈黙の後、ようやく僕は言葉を返した。
「心配してくれてありがとう。今は、楽しいよ」

それから僕は、永野との付き合いの始まりについて、ずっと抱いていた疑問を、永野にぶつける。
「そもそもさ、何で俺に、感想文を書かせようと思ったわけ?」

永野はニヒルに笑って
「ついにそこに触れる日が来たか……」
と言うと、ロッカーの中から白っぽい冊子を持ってきた。
【平成27年度 全国読書感想文コンクール 入賞作品集】
オレンジの付箋が貼ってあるページには
【優秀賞 永野未季】とある。
もう一枚の、水色の付箋のあるページには、
【特選 川田亮治】。

思い出した。小学校六年生の夏、課題図書が面白くて、頑張って書いた読書感想文で表彰された事が、確かにあった。
「この時のさ」
永野が話し出す。
「お前の文章が、かっこいいなって、思ったんだ。いいこと言ってるし、言い回しとか、これは敵わないなって」

永野は僕を知っていたのだ。
そんなにも昔から。

小学校では野球を、かなり熱心にやっていた永野だったが、その時始めて「かっこいい文章を書きたい」と思うようになり、中学校では文芸部に入ったのだそうだ。

僕はふと永野の、部誌に寄せた作品を思い出す。
重力が現在の三分の二になった地球で、高層ビル群の屋上を、パラシュートと小型エンジンで飛び移る新競技。そのワールドツアーを転戦するSF+スポーツ小説。
それは競技のスピード感と低重力の浮遊感、そして選手とサポートスタッフのチームワークが活写された、胸が熱くなる短編で、正直かっこよく、続編を読みたいと思わされた。しかし同時に、こんな小説をすでに書ける永野に、ちょっと嫉妬していた。

正直に作品の感想を言い、今はもう、とても敵わない、と言うと、
「あったりまえ。努力したからな」

あの短編を書くに至るまで、こいつに火をつけたのは、僕だったんだ。その事を嬉しく思うとともに、この三年間でついてしまった差を、悔しく思った。
僕は何で野球に、あそこまでこだわっていたんだろう、とすら思えてきた。あんなに愛している、と思い詰めた野球への気持ちが消え去り、今はもう、全然違うことを考えている。

「俺は、今からでもお前に追いつけるかな」
という僕の問いに、
「ブランクはあの感想文である程度、埋めてやった。あたしは三年間、努力したんだ。簡単には追いつかせねぇよ」
と啖呵を切ってから永野は、じゃ、部長のところに行くわと言って、颯爽と教室を出て行った。

恋する乙女であるはずの永野のその姿は、それでもやっぱり、かっこよかった。

【epilogueとしての10月】

後夜祭のキャンプファイヤーを思いがけず、相澤先輩と一緒に過ごしてからというもの、どちらからともなく、自分の部活動が終わると相手の部活動に顔を出して、帰り道を一緒にするようになった。

テツ先輩は、文化祭後も何かと忙しそうにしていて、僕をデザインの助手にして、忙しい時に手伝わせた。
それでも、相澤先輩がコンピューター室に顔を出すと、僕を解放してくれることが多かった。

文芸部では、僕は暇を見てはファンタジー小説を読み、自分でファンタジーを書くための下準備をしていた。相澤先輩の漫画の、原作を書くためである。
彼女のオーダーは「男の子と女の子と二匹の猫が出てくるもの」とシンプルで、想像の余地が大きすぎる。だが、ファンタジーの構造をある程度知ってから、アイデア出しを重ねるうちに、次第にしっくりくる世界観が2、3案、見えてきた。

中間考査を無難に乗り越えて、いよいよこれから、原作の世界観を固め、相澤先輩にプレゼンし、決まった案を文章にする、というプロセスに入る。

今まで僕は、自分が物語を書くなんて、ましてやファンタジー小説を書くなんて、想像したこともなかった。正直、自分にその素養があるかどうかなんて、全然わからない。
でも、文芸部の先輩に教わったファンタジー小説は面白かったし、こんな非現実的で自由な物語を書けたら、すごくいいなぁ、と思っている。

永野は僕の、創作の動機が不純だと、からかってくる。
まあその通りだし、あいつには恩があるから、言わせておく。
そのうち追いついてやるから、覚悟しろ。

でも例え不純な動機でも、僕は今、力が湧いてくるのを感じている。
相澤先輩の、あの美しい絵にふさわしい作品を書く。そのための努力なら、自分にはできるはず、と期待している自分がいる。

自分に期待できるうちは大丈夫。
これが僕の道の途中だと、とりあえず今は前を向いて、笑おうと思う。

----------
川田と永野のお話は、名残惜しいところではありますが、とりあえずここで終了です。最後に「あとがき」として、制作秘話的なことをかいてみました。ごく短い文章ですので、少しお付き合いください。

〈各編へのリンク〉
●あとがき
https://note.mu/auc_comic5884/n/n2c41b8f1d988
●前編
https://note.mu/auc_comic5884/n/ncc794cf45476
●まえがき
https://note.mu/auc_comic5884/n/n6abeee3193d5
----------

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?