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ボシーバンド 45年振りの再結成?!

こちらはつい先日、1月23日にスコットランドのグラスゴーで行われたケルティックコネクションというフェスティバルで行われたボシーバンドの再結成ライブの模様だ。

一曲目は「After Hours」と同じ”Kesh Jig”。ドーナル・ラニーが力一杯掻き鳴らすブズーキで始まる、余計な小技などはない、ハーモニーも無い、全員が同じ旋律を同じように奏で、リズムも一定を保っている、それなのに分厚い音の壁が作られ、グルーブが生まれる。さすがだ。

動画に出ているのはこのメンバー。

パディ・グラッキン (フィドル)
ケヴィン・バーク (フィドル)
マット・モロイ (フルート)
パディ・キーナン (イリアンパイプス)
トリーナ・ニ・ゴーナル (キーボード)
ドーナル・ラニー (ブズーキ)

結構高齢だと思うのだが、みんな元気だ。最高齢はマット・モロイとドーナル・ラニーで同じ1947年生まれ、今年77歳だという。すごい。

同じ曲をやっている昔の映像があった。1976年のようなので48年前ということになる。ほぼ同じメンバーである。

ちなみに以下のメンバーはすでに亡くなっている。
トニー・マクマホン (初期のアコーディオン奏者)
ミホール・オ・ドーナル (トリーナの兄でギター担当)
トミー・ピープルズ (フィドル)

バンドは1975年にプランクシティを脱退したドーナル・ラニーが新しいレーベル、マリガンレコードを立ち上げるに際して、最初のプロジェクトとしてメンバーを集めたのが始まりだという。バンド名はミホールがスコットランド滞在中にエディンバラのSandy Bell'sというパブで目にした「The Bothy Band 1898」と題された伝統音楽ミュージシャンの写真に由来するのだという。「Bothy」というのはスコットランドで丘の上などに建てられた農作業の休憩用の小屋のことを指すという。きっと昔はそこで音楽を演奏したりしていたのだろう。

1975年にファーストアルバムの「Bothy Band」、1976年、1977年にそれぞれスタジオ録音のアルバムを出し、1979年ライブアルバム「After Hours(Live In Paris)」を出して、同年解散している。

「After Hours」の4曲目、「Farewell to Erin」、フィドルのソロが一回り終わり、二巡目に入るときのドーナルのブズーキがガーンと入るところは今聞いても鳥肌が立つ。

ここでフィドルを弾いているのはケヴィン・バークだろう。大好きなフィドラーで「Up Close」というソロアルバムを好きでよく聞いた。その立板に水のような、弓が弦から全然離れないで、滑らかな音の抑揚だけでノリを作り出してしまうフィドルは彼にしか弾けないのでは無いだろうか。
こちらはギターのミホールとケヴィン・バーク二人の演奏だ。

またボシィ・バンドと言えば、トリーナの歌も素晴らしい。アイリッシュトラッドでは珍しいハープシコードを弾きながら歌っている。こちらは同じく1976年の映像。

もともとギターはトラッド音楽では使われていなかったし、ブズーキに至ってはギリシャの楽器だ。そういう色々な楽器を実験的に持ってきて、伝統的な楽曲をよりエキサイティングなものに作り替え、コンサートホールで大音量で演奏する。パブやキッチンでのセッションでしか演奏されていなかった音楽が、世界に出ていくきっかけを使ったのがまさにこのバンドの功績なのだろう。

これについてはやはりドーナル・ラニーの存在が大きい。彼はプレイヤーというよりも仕掛け人なのだ。あちこちに顔を出して、いろんな企画を考えて、いろんな人に声をかけて、新しいことをやるのが好きなのだろう。派手なことが好きで、金儲けが好きで、大きなホールでライブをやるのが好きなんだと思う。しかし一貫しているのはアイルランド伝統音楽への愛だ。

プランクシティ、ムービングハーツ、クールフィン、モザイク、そして数々のプロデュース作品。例えばBBCが制作したアイルランド伝統音楽のアメリカの音楽への影響を明らかにし、それをもう一度取り戻そう、というプロジェクト「Bring it all back home」の音楽監督はドーナルが担当したという。
ポール・ブレイディとのこのヒリヒリする共演もそのプロジェクトの一環ではなかったか。

まさにアイルランド音楽を牽引してきた人なのだ。

それにしても、1979年に解散したバンドが2024年に再結成してライブをやっているというのは本当に奇跡のようだと思う。感慨深い、というのはこのようなことを言うのだろう。


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