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イアン・デューリーとアイルランド

サムネイルの写真をフェイスブックで流れてきた投稿で見つけた。
イアン・デューリーの少年時代の写真、ドニゴールにて、とある。
特に説明はなかったが、投稿についているコメントを読むと、彼の親戚がアイルランド西部のドニゴールに住んでいて、そこに遊びに来ていた時の写真らしい。正確にはキリーゴードンというドニゴールから内陸に入ったところにある小さな村らしい。でも彼にとっては、ドニゴールというのは特別な場所に違いない。こういう歌があるのだから。

O' Donegal

Fresh mist on the morning and tears in my eyes
I'm back for the dawning of Donegal skies
My life in the city seems light years away
When I see the Blue Mountains from Ballybofey

Where the wanderer's welcome is kindest of all
I've come back to my darling, my sweet Donegal

We'll meet at the cross on the Rathmullan Road
Where the sight of Lough Swilly is a beauty bestowed
As we're counting our blessings away from the throng
We will hear the wild birds sing their Donegal song

Where the stranger is welcome to a true free for all
They named you, my darling, my brave Donegal

I raise up my glass at the end of the day
God bless every sunset o'er Donegal Bay
Sure nothing is sweeter wherever I roam
As the smell of the turf of my Donegal home

Where there's always a welcome and a how-d'you-m'ca
Forever my darling, my sweet Donegal
Forever my darling, my sweet Donegal

「おおドニゴール」

爽やかな朝の霧に包まれ、
僕の目に涙が浮かぶ
バリーボフェイからブルー・マウンテンズを眺めると、
都会での暮らしが何年も昔のように感じる

放浪者を優しく迎えてくれる場所
愛するドニゴールに帰ってきた

ラスミュラン街道の十字路で出会おう
スィリー湖の眺めが美しいところで
人混みから離れて幸せを数えよう
野鳥が歌うドニゴールの歌を聴こう

よそ者を歓迎する、誰もが真に自由なところ
皆がそう呼ぶ、愛しき、勇敢なドニゴールよ、

一日の終わりにグラスを掲げよう
ドニゴール湾に沈む夕日を祝福しよう
どこを歩いても、これほど甘いものはない
ドニゴールの故郷の泥炭の香り

いつでも暖かく迎えてくれる場所
永遠の愛しきドニゴールよ
永遠の愛しき、愛しきドニゴール

なんだか、これはアイリッシュトラッドの一曲として、全然いけているのではないだろうか。クレジットはしっかり作詞・作曲イアン・デューリーとなっている。今度ドニゴールに行くことがあったらみんなで歌うことにしよう。

おっと、若い人たちの中にはイアン・デューリーを知らない、という人もいるかもしれない。僕のように80年代に青春時代だった中年には説明不要のイギリスのロックンローラーである。ロックンローラーという呼び方が相応しいのか迷うが。当時はレーベルもスティッフだったりしたからパブロックというジャンル分けもしたが、少し毛色が違う。バンドサウンドはファンクやレゲエなど黒人音楽も取り入れていた。しかし、なんと呼べばいいのかスッキリしない。ただし、冒頭の少年時代のリーゼントを見れば、彼はロックンローラーに憧れていたに違いない。だからロックンローラーで良いことにする。

特にこの曲はロックンロールだ。

1942年5月12日、ロンドンのハーロウに生まれる。7歳の時に小児麻痺を患い、左半身が不自由になる。1966年に美術学校に入ると、友人たちとバンド活動を開始。最初のバンド、キルバーン&ザ・ハイローズを結成。プロとして2枚のアルバム出すが、ヒットに恵まれずすぐに解散。その後1977年、34歳の時に、チャズ・ジャンケル(ギター)、チャーリー・チャールズ(ドラムス)、ノーマン・ワット・ロイ(ベース)、ジョニー・ターンブル(ギター)、ミッキー・ギャラガー(キーボード)と共にイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズを結成。すると『Sex & Drugs & Rock & Roll』が全英チャート2位に、1st.アルバム『New Boots and Panties!!』が全英チャート5位となる大ヒットになる。80年にチャズ・ジャンケルが脱退し、代わりにドクター・フィールグッドから抜けたウィルコ・ジョンソンが加入している。

1986年にはRC解散後の忌野清志郎がロンドンに行き、ブロックヘッズとアルバムを録音、その縁もあり、翌年には来日し、僕も今は無き中野サンプラザに観に行った記憶がある。その後俳優業などもやっていたそうだが、2000年の3月27日に癌で死去している。まだ57歳だった。

こちらは1987年の清志郎の中野サンプラザでのライブ映像。当時よくわかってなかったが、これはなかなかすごいことだった。演奏がバッチリ決まってて素晴らしい。

当時のイギリスはアフターパンク、ニューウェーブの流れの中で、雨後の筍のようにあらゆるジャンルのバンドが出てきた時代であったが、このバンドはとにかく群を抜いて演奏が上手く、リズム隊の作り出すグルーブが最高にオシャレでカッコ良かった。そしてイアン・デューリーの腰の座った反骨精神と、茶目っ気のあるブラックジョーク。再評価あってしかるべきだと思う。

こちらはスコットランドのテレビ局制作のイアンデューリーのドキュメンタリー。なかなか見応えがある。

15分くらいからの場面、イアンが色々な大きさの紙に思いついた言葉を書きつけていく、それを朗読するのだが、いくつかにはすでにリズムがあって、音楽がついている。
また冒頭で曲の歌詞を考えているシーンでは、ラジカセを操りながら、TSエリオットを引用して「アマチュアの芸術家は悲嘆に暮れながら盗作するが、プロの芸術家は単に盗む」などと呟いていてかっこいい。作家である。

冒頭の”O’ Donegal”は、1992年にリリースされたイアン・デューリーの7枚目のソロアルバム”The Bus Driver's Prayer & Other Stories”に収録されている。ドラマーのチャーリー・チャールズの死に触発されて集まったブロックヘッズ再結成ライブの後に録音されたということで、ベーシストのノーマン・ワット・ロイを除くすべてのメンバーがアルバムに参加している。またこの曲はイアン・デューリーも役者として出演している1990年に上映された”After Midnight”というアイルランド映画への挿入歌ともなっている。映画自体はあまりヒットしなかったようで、観ることはできなさそうだが、こんな映画だ。

監督は1952年インド生まれの恐らくイギリス人。舞台はダブリンにある安ホテル。そこで夜間の警備員として雇われた主人公ランジットが、アル中の上司ジャスを悪の世界から救い出す、というような映画らしい。イアンはそこで働く電話交換手役。観たい。

イアン・デューリーがアイルランドにゆかりがあるということを初めて知り嬉しくなった。

これはfacebookのコメント欄に投稿された、多分写真再生アプリで加工したものだろう


追伸)
つらつらとyoutubeを見ていたら、こんなインタビューがあった。1998年、亡くなる2年前。肝臓に癌が見つかり、最新の治療を受けていること、1歳と3歳の息子がいて、そのせいで明るく暮らせていること、ユニセフのボランティアでアフリカでポリオワクチンの接種を支援していること、インタビューの最後にはブロックヘッズは最高のバンドだ、今まで色んなバンドと一緒にやったが彼らが最高だ、などと語っている。顔色も良く元気そうなのにと、聞いているうちになんだか泣けてきてしまった。


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