もし与えられた仕事を淡々とこなせたら
そこに焦りや苦しみが生まれないですね。

じゃあ、どうすれば目の前の仕事が
苦しくなくなるのでしょう?

以前、息子の野球部の母の会の会長を
した時のことです。

実は、子どもの部活の保護者会の運営は大変です。

もちろん、お手伝いに参加要請される保護者もとても大変なのですが、

運営側は練習や試合をするグランド手配

合宿先の手配、

子ども達の水分補給や
ケガ対応のための保護者の付き添い、

試合後のピッチャーのアイシング、
遠方移動のための配車、

スポーツ保険加入、
納会の準備…

などなど、1年間を通して
気を抜けません。

子ども達へのケアだけでなく、保護者間のトラブル対処もあります。

私もご多分にもれず、そのような苦労をしました。

はじめの頃はつらくてやめたい…と
何度も思いました。

なんせ、私は今まで責任ある立場に立った経験がありませんでしたから。

でもドジをしながらも、なんとか1年間終えたとき、気づきました。

頼りない会長だからこそ、
皆さんが力を貸してくれた、と。

偉い会長でなくてもいい。
みんなに助けてもらう会長でいいんだ、と。

ふつうは母の会長になりたくないので、
選出では自らなります、なんて挙手しません。

でもウチの息子がその学年で1番最初に入部したという責任?から挙手して
立候補しました。後悔の嵐でしたが。

だから目立ちたいのだと、誤解もあったかもしれません。会長の器ではない人間ですから。

でも、1年後、得られ経験の大きさは
ちっぽけな私だけの経験とはいえ、
私にとって大変大きい宝になりました。

人の上に立っても助けてもらって何とかやり切れるという、自分への自信という宝。

完璧でなくても、いい。
完璧でない方が、助けてもらえる。
助けてもらえる会長を目指せばいい。

この経験があったからこそ、ヨガへ前進できました。

以来、与えられた仕事は淡々と引き受けてみよう、と思うようになりました。

淡々と、というのは、
何も頭で考えず、という意味です。

考えたら、不安がもたげてきます。
その仕事への感情をもたないように
気をつけます。

引き受けたら、大いに後悔して、
苦しんで、自己嫌悪にまみれ、
心の中でのたうち回るのですが、

それでも、這いつくばって前進する、ほふく前進のように

ジリジリと進めば、
必ず何か成長を得られます。

嫌な事をしなければならないのは、
大ピンチなのではなく、

成長への大チャンスなのだ!と。
ただ、睡眠時間を確保するのは
大切ですが。

睡眠不足が慢性化すると、必ず
心が壊れますから。

自分の心身を守りながら
できる範囲で。

自分のペースを守れないときは却下!
やってはダメだと自分を戒めています。

家族がいると、世話をしなくては
いけないので、

この時間を仕事に回せたら
もっとできるのに!と思って焦るときが
あります。

でも実際に家族がいない時間に
集中して仕事しているかというと
そうでもない。

恋は障害がある方が燃えるといいますが、
仕事も家族の世話という障害があるときほど、スキマ時間を活用して

アラは多いけれど、すごい速さで
できたりします。

家族は障害ではなくて、
家族が私が仕事中毒になるのを、
止めてくれていました。

家族のためにご飯を作るから、
何とか私も栄養のある物を食べられる。

家族がいなければ、必ずや私は食パンだけとか超粗食になって栄養バランスを
欠いて病気を呼びこんでいたはず。

家族は私の暴走を止める、
大切な歯止め。

そう思いなおして、毎日延々と
ご飯を作りました。
365日×3食×25年間=2万7千375食。

旅行してる間や、外食や学食もあるから
実際にはこんなに作ってないけど。

でも数字にすると、恐ろしい回数、作ってますね。

家族にご飯作る人だって、
作りたくない時はたくさんあるはず。

でも、これも与えられた仕事。
この仕事を淡々と引き受けて、
こなし続けてきたからこそ、

今まで生命を保ってこれたはず。
与えられた仕事を淡々と引き受けて
こなし続けることは、

実は自分のためになることも。

世の中のすべての人は、お母さんやお母さんに準ずる人がそうやってたゆまぬ努力でご飯を作り続けてくれたから、いま命を得て生きていられているのですよね。

淡々と腐らず、自分に与えられた仕事をしていきましょう。


お読みくださりありがとう
ございました。

皆さんがたくさん幸せでありますように。
後世の人も幸せでありますように。