見出し画像

シン・ウルトラマン感想


Amazon primeでの配信で見たので感想を。
まぁ、映画公開当時から「『シン・ゴジラ』に比べたら出来は悪い」という評判だったのですが、その通りです。
『シン・ゴジラ』で余った予算で作ったんかいなと思うぐらいのやっつけ仕事感。
いや、実際にゴジラに比べたら低予算だったらしいし、庵野氏自体も多忙で、監督として大きく関われなかったそうですから、そんな中では手を抜かずに頑張ったのではないかと思います。
言ってることがチグハグで申し訳ありませんが、これが全13話のTVドラマの総集編だと思えば出来はいいかと。
ただ、一本の新作映画と思えば、まるっきり面白くなかったのが正直な感想です。

とにかく、ただのゴジラの焼き回しと思ってみたら意外と面白かった『シン・ゴジラ』とは対照的に、意外と面白くなかった『シン・ウルトラマン』。
一つ一つのパーツは悪くなかったと思うのに、なぜ面白くなかったか、『シン・ゴジラ』と比較しながらダラダラ語ろうと思います。

1.主題の提示が遅すぎる

「シン・ゴジラ」では、ゴジラらしきものが現れるのは1分20秒。この時は船の揺れ、水煙で何らかの事件性を匂わす。そして畳み掛けるように次々に事件が起きて行く。
映画の主人公である矢口登場が1分40秒。その後、ゴジラが少しずつ姿を現していくのと同時に矢口の立場や人となりが紹介されて、ゴジラが完全に姿を現した15分には観客は矢口vsゴジラの対立構造を把握している状態。
あとは矢口に感情移入しながらストーリーを追えばいいだけである。
対する「シン・ウルトラマン」では、ウルトラマンらしきものが現れるのは9分。主人公である神永の登場はそれに先んずること2分49秒だが、彼がおそらく今作の主人公なのではないかと判明するのは、12分44秒だ。その時になって初めてヒロインの浅見弘子が登場し、神永がウルトラマンと同じく不明な部分が多い人物であると言及する。
もちろん、ウルトラマンはゴジラと違い、単純な主人公vs怪獣(異星人)の対立構造ではない。主人公であるウルトラマンが誰(何)と戦うのかというのがそもそものテーマなのだからこの比較は無意味だという意見もあると思う。
ただ、2時間という時間的縛りの中で観客にそれ相応の感動を与えようと思うなら、ダミーでもいいから何らかの主題は早めに与えておくべきだったんじゃないかと思うのですよね。
少なくとも、感情移入する対象が、主人公のウルトラマンなのか、ヒロインの浅見なのか、はたまたウルトラマンに合体された本来の神永なのかは、提示すべきだったと思う。
『シン・ウルトラマン』で、なんか詰め込み過ぎ感が拭えないのは、この冒頭のモタモタ感なのではないでしょうか。

2.ウルトラマンの必要性があまり無い(ネタバレ有り)


ここから少しネタバレです。

後半明かされるウルトラマンに頼りすぎたために、人類が正常な発展ができなくなって抹殺されるというくだりがこの話の主目的なら、ウルトラマンの出現はもっと早くすべきだったと思う。
冒頭の怪獣(映画では禍威獣)が次々と現れるシーンで、「次々現れるけど全てウルトラマンがどこからか来て倒してくれました」としていたら、禍威獣が出現することに慣れる日本人だけでなく、ウルトラマンに頼ることに慣れる日本人もそこで説明できたと思う。
禍特隊も、禍威獣対策と言いながらウルトラマンが来るまでの時間稼ぎ的存在なら、人数がたったの5名でも納得できる。
そもそものゴジラではあんなにたくさんいた専門家チームが、たったの5名(途中で浅見が入って6名)とは、ウルトラマンはゴジラとは違う作品だと言われても、リアリティが無さすぎる。

また、それまで禍特隊で何とかできてきたのなら、あれぐらいの危機でウルトラマンが出てきた意味も分からないし、ウルトラマン登場シーンが劇的になる演出も阻害してしまっている。
もっとゴジラ並みに危機的状況を作って、そこでウルトラマン登場!→やったぁ!助かったぁ!
からのたたみ込むような次々と現れる禍威獣とウルトラマン(ニュースペーパーで表す手法はここでもいい)というシーンとかの方が効果的だったのでは?
中盤はこのウルトラマンが持つ技術を各国が取り合い、それに付け込む異星人(映画では外星人)という構造になるのだが、観客側が「ウルトラマンはすごい!」っていう気持ちになっていないから、なんか置いてけぼりを食らっている気になる。
そしてエピソードの詰め込み感が否めなくなってしまう。
ゴジラは元々映画として作られていたのに対し、ウルトラマンはTVドラマ。
この二つは話の構造がそもそも違うのだから、映画としてリメイクする以上大胆な構成変更すべきだったのは間違いない。
監督不在とか予算不足云々より、そもそもの脚本や構成のミスではないかと私は思うのだ。
だから、「ゴジラに比べて予算が少なかった」とか、「庵野氏が忙しかった」とかは全く言い訳にならないと思う。

3.キャラクター造形が甘すぎる(ネタバレ有り)

公開当時、浅見の尻叩きの件で「セクハラかセクハラでないか論争」が巻き起こったらしいが、そもそも論でこのキャラクター付けは必要だったのだろうか?
他にも、船縁が図太そうに見えて意外とストレスに弱いとか、滝が特撮オタクとか、ストーリーに関係ないキャラ付けばかり。
ストーリーに関係ないとは、ストーリー上必要なという意味ではなく、そのキャラクターのキャラクター性を深めることに役に立っている設定では無いという意味だ。
そもそも滝のオタク性は、デスク周りにそういった模型を置いているだけでしか表してないし、船縁だって政府に軟禁されてお菓子をボリボリ食べているシーンだけだ。
出動時も常にお菓子を手放せなくて、ポッキーをポリポリかじっているとか、禍威獣が現れたら密かにテンションが上がって、勝手に禍威獣の名付けをしているとか、キャラクター付けはもっと出来たはずだ。
そのキャラクター付けが弱いから、神永、あるいはウルトラマンと合体した神永の異常性が際立たない。
浅見も神永とバディうんたらを言う割には、そしてそれが中盤以降重要になる割には、神永(ウルトラマン)とどのように信頼関係を築いたのかが描かれていない。

『シン・ゴジラ』で、首都が半壊して落ち着きを失っている矢口に対して、ペットボトルを胸に叩きつけて「まずは君が落ち着け」と言った泉。
たったこの一言で、泉のキャラクター性から矢口との信頼関係までが表せていた。
そういった細かいキャラ付けが『シン・ウルトラマン』では足りなさすぎる。
また、『シン・ゴジラ』では巨災対のメンバーが徐々に矢口と信頼関係を築いていった過程も描かれていた。
そしてそれは、ラストの矢口の演説に効いてくる。
『シン・ウルトラマン』はウルトラマンと浅見の信頼関係だけでなく、禍特隊と神永の信頼関係も描けてなかった。
メフィラス星人との長い問答を入れている暇があったら、もっと本来の神永の人格や禍特隊とのチームワークを描いてくれよ!と頭を抱えたくなる。

いや、メフィラス星人は山本耕史が演じているせいか、なかなか面白いキャラに仕上がっていて、そのシーンはそのシーンで面白かったけどね。
実は、さんざんキャラ付けと言ったけど、人間より禍威獣、あるいは外星人のキャラ付けの方がキチンとされている。
メフィラスだけでなくザラブも中々面白いキャラだった(誰かが突っ込んでいたけど、部下いないんかーい🫱とか)。
禍威獣も電気大好きネロンガとか(透明になる意味ある?)、劇ヤバ光線のガボラとか、ちょっと可愛いくない?
おかげで、ゾーフィに「人類滅ぶべし」と言われても「しょうがないね」としか思えなかった。
人間のキャラ付けが薄々だから「死んでほしく無い!」と思える人物がいないのだ。(メフィラスは死んでほしくなかったが)
宇宙の秩序を壊してまでウルトラマンが人類を守る意味、それが最後のテーマだっただけにこの薄々キャラ設定はなんとももったいない。
さらにはウルトラマンが仲間との信頼関係の末のラストシーンが、これまた全く感動できない塩梅だ。
「ワザとです」と言われた方がいっそスッキリするような薄々キャラ付けの上の薄々信頼関係だった。
「バディ」という言葉を強調する意味あるのだろうか?
なんでも当初は浅見と神永のキスシーンもあったが、整合性が無いということで無くなったらしい。
キスシーンの整合性よりもっと他の整合性をつけて欲しかった。
ここからも、決して低予算とか多忙さが言い訳にならない理由がはっきりと出てる。
脚本の段階で話の内容が全く練れていないのだ。

4.今回も自衛隊の方々のご協力があったみたいですが

の割には、リアリティが全くない。
順にツッコむと、
まず先にも言ったが、禍特隊の人数少なすぎない?
『シン・ゴジラ』では、巨災対は名前が判明しているだけでも13人いる。
首都が半壊した後、矢口が35人ぐらいの人を前にして「チームの半数以上は残った」と言っていたから、実際には50人〜70人ぐらいはいたのだろう。
『シン・ウルトラマン』の禍威獣はゴジラ並みが次々と襲ってきているんだよね?
5人で足りるの?
『シン・ゴジラ』では描かれていたけど、攻撃する前の避難指示から生物の特徴の分析、そして有効な攻撃方法の立案、作戦行動の指示、関係各所の連絡調整、そう言ったリアリティ溢れる動きが『シン・ウルトラマン』には無い。
序盤、神永が突然逃げ遅れた子供を助けに行くけど、「え?助けに行けるの?」と思ってしまった。
あなたはどちらかと言うと貴重な頭脳の一人なんだから、持ち場離れちゃダメでしょう?
そこら辺の自衛官に任せなよ。
田村班長も許可するなよー。
実はウルトラマンの隊員が、なんだかんだで肝心な時にいなくなるのは、ウルトラマンの様式美だったので、どうアレンジするのかと思えば、びっくりするほどどストレートだったので、拍子抜けしてしまった。
この段階で、「これはリアリティを追求したウルトラマンでは無いですよ」というメッセージならいいんですが、ちょいちょいリアルを挟んでくる(しかも中途半端なリアル)からタチが悪い。
とはいえ、何かその中に意図が見え隠れすればいいのだけど、そうでもない。(例えば人間の醜悪さは徹底的にリアルに、美徳はカリカチュア的にとか)
正直何がしたいのか分かりませんでした。

私の中でリアルとフィクションの混合と言えば、『機動警察パトレイバー』。
ガンダムのモビルスーツみたいなロボット(作中ではレイバーと呼称)に乗り込んだ主人公・野明が怪獣のような未知の生命体(実は実験中の生物兵器)と戦うシーンは秀逸だったと思う(漫画版)。
裏ではアメリカだとか日本だとか政府の思惑が蠢く中、現場の人間である野明が叫んだ言葉が「給料上げて〜」。
小さな一コマだったけど、ココ一番お気に入りのシーンです。
ゆうきまさみさんは、こういったリアルを混ぜたフィクションが得意で、吸血鬼が現代社会に生きる『薄暮のクロニクル』では、吸血鬼たちを管轄しているのが厚労省という設定。思わず然もありなんと頷いてしまいそうになる。

『シン・ウルトラマン』でリアリティさを感じたのは、禍特隊が禍威獣退治に前線へ赴いた時、船縁がつぶやいた「毎度お邪魔しまーす」のセリフぐらいだろうか。後、その時班長が交わしていた書類交換と。
そういうテンションを最後まで保って欲しかった。

5.結論

正直、良かった点ってあったかな?と思うぐらい、脚本レベルで失敗している『シン・ウルトラマン』であるが、こう長々と感想を書いてしまう何かはあるのだと思う。
おそらくそれは、多彩な性格を持つ魅力的な外星人たちでは無いかと。
彼らの地球へのアプローチの仕方は、それぞれ性格が出ていて非常に面白かった。
そして地球を支配したはずの私たちが、逆に外星人から発見され、開拓されてしまう恐怖。
この辺りを膨らませると、なかなか面白い作品になったのに、と残念にも思う。

予算と時間が足りないと言うなら、予算と時間がそろった時に満を持して出して下さい。
予算不足と時間不足は制作者なら誰もが抱える悩みです。
それを言い訳にしないで、面白い作品を作ってください。
それがクリエイターの仕事と責務だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?