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高校生の時の話。

皆様こんにちわ。今日も笑顔でお過ごしでしょうか。
いつもくだらない思い出話をお読みくださり感謝します。

 さて、今回は悲惨な中学生から高校生になったお話です。
私学に行くの行かないの、公立にどうたらこうたら、、と揉めたけど先に高専の試験に落ちていたので公立の前に私学のテストになるんだけど、入学金の問題も発生するので、親には私学は受けないから公立に落ちたら就職するよと言ってたんだけど勝手に私学の入学金を納めてたみたいで、とりあえず受けろと強制的に受験。勿論通るわけなんだけど、まぁ、酷い学校でした。試験会場にも関わらずタバコの吸い殻に割れた窓ガラスとまぁ、終末感が半端ないとこで、ここしかダメになっても絶対行かねーと思っていました。公立は無事に余裕で合格し、入学することになり、専門的な授業もあって、ウキウキしていました。

 担任の先生は体育会系バリバリの先生で、何事も根性振り回しで、「曲がった事はいかーん!」の人でした。いい調子で1年目が過ぎ、2年目に入ってすぐに学校に来なくなって、なんかおかしいな、、と思っていたんだけど、ちょっと家にでも寄ってみようかなと先生の家に寄ったのさ。
そしたら中から奥さん出てきて号泣。あれー?死んだ?と思ったら、全く違って、何と他の女性と駆け落ちしたんですーと言われたけど、それ言われてもね〜と同級生たちとそーっと帰りました。夕焼けのオレンジ色に風に靡くススキの穂が私達全員を黙らせてくれました。その後、何の話題にも出なかったけど、数ヶ月後にしれーっと復帰していた。

 授業の中で思いっきり好きな授業が製図だった。昔はデカいドラフター使って鉛筆の先を色々な形に削って、製図を書いていた。今の時代はCADで画面の中で仕上げるけど、職業として出来ればいいのになと夢を胸に抱き授業を受けていた。
製図の授業は長い時は1時限からお昼を挟んで6時限までぶっ通しという時間割があったんだけど、別に気にもならなかった。そして、入学したらすぐに3年生までの課題のぶっとい教科書を渡されるんだけど、毎週1ページづつ仕上げていくというスケジュールになっていたんだけど、楽しすぎて1年生の時に既に3年生の課題まで書き終えていた。夏休みには宿題で数ページの課題を言われるんだけど、クラスほぼ全員の図面を書いてアルバイトしていた。
まぁ、全員同じ採点でおかしいと気付かれたのかは知りません。
ある時、機嫌よく授業で製図していたんだけど、急に「何しとるんじゃー!今日の課題書きなさい!」とブチ切れられる事件が発生し、机の引き出しから今日の分は終わってますよーと出してみせると言葉に詰まってウググとなったものの引っ込みが付かなかったのか「出ていけー」と言われたから家に帰った。

 次の日、いきなり校門のところで担任にキャッチされ(この時は駆け落ちから復帰w)一人だけ監禁。別室謹慎で一人で授業を受ける特別待遇でVIPかと笑った。2週間くらいだったと思う。まぁ、静かな教室で誰からも邪魔されずに平和な時間でした。それからは早い時間に学校行ってもどうせ別室で一人だから朝はのんびりとモーニングコーヒー飲んでから行ってたら再度職員室へGoと。謹慎1週間延長。結局もう、面倒くさくなって学校辞める決心をし、親に言った。殴られるかなと思っていたけど、何も言わなかった。次の日に退学届を持って行ったらすんなり受け取りやがった。その時に「もったいないなぁ、入学の時は全校生3位の成績やったのにな」と言いやがった。退学届返してと言ったが「受け取ってもーたからな」で、私の学生キャリア終了です。
当時の時代背景的に公立高校では生徒を辞めさせるというのが先生的にも面倒な奴らを減らすというようなことをしていたと思う。後で分かったことだけど、その製図の先生は、近所に中学の同級生が住んでたんだけど、何かやらかして、噂が出てたってさ。そのウサ晴らしかと思ったけどもういいや。
もっともっと色んなことが渦のように有ったけどまたの機会にしておく。
高校番外編はまた書くよ。衝撃的なことばかり。乞うご期待。

 学校辞めちゃったので急激にヒマになるわけで、お母さんに会いたいなと思って母を訪ねて三千里。そして会えて嬉しかった。この後のお話はまたの機会に。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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