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「ある少年の告白」

原題: Boy Erased
監督:ジョエル・エドガートン
製作国:アメリカ
製作年・上映時間:2018年 115min
キャスト:ルーカス・ヘッジズ、ニコール・キッドマン、ラッセル・クロウ、グザビエ・ドラン、トロイ・シバン、ジョエル・エドガートン

 2016年「マンチェスター・バイ・ザ・シー」はとても好きな映画作品の一つ。あの時の少年が映画主役という、只それだけの個人的な理由で観に行く。ニコール・キッドマンは役柄で髪の色は様々に変化することを承知でも今回はインパクト強いカラー。同様に驚くことはいつそこまでお太りになったのとラッセル・クロウの姿。エンドロールで見る限り役柄が反映していたのはニコール・キッドマンだけ。

 作品の舞台は2004年アメリカ南部アーカンソーのプロテスタントが中心ではあるがバイブルベルト地帯とも云われる保守的な地域。父親は聖書の言葉を特に重んじる宗派の牧師。
 著者ガラルド・コンリーの実体験に基づき2016年に発刊された回顧録「Boy Erased: A Memoir」を原作としている。当初著者は映画化には反対だったらしいが最終的には脚本に参加している。
 牧師家の一人息子が大学生になってから自身のセクシャリティが絶対多数側ではないことに気が付く。受け止めてもらえると信じている両親に告白するが、父親は牧師という保守の立場からしかの発言も行動も起こせず、牧師長老の意見に従い映画作品の中心となるコンバージョン・セラピー(強制治療)の施設に入ることになる。

 俳優でもありこの作品の監督・脚本ジョエル・エドガートンはこの施設のセラピスト役。鬼軍曹のようにも見える役回り。
 投薬がないだけの話で遠い昔の精神科病院、或いは刑務所のようにそこから出ることは一筋縄ではいかない。ルーカス演じるジャレットよりも先に入所した友から「理解している演技をするんだ」と諭される。それしか確かにこの矯正施設から逃れる道はない。

 信じた筈の両親は息子の告白に当初は大きな戸惑いを見せながらも、少なくとも母親は南部土地柄故か発言を慎み父親が属する牧師陣には距離を置く。映画を観ながら子に対する「父性」と「母性」をずっと考えてしまう。
 もし父親が牧師でなければ、息子を許容し守ることができたのか。本当に牧師故立場上の拒絶だったのだろうか、と疑念が生じる。
 第二次世界大戦関係の話は夏を中心にまだ知られていないことが映画作品となって世に出る。しかし、もう女性参政権については(日本では未だ女性の首相が出ずとも)話題性はない。
 だが、LGBTQ問題はまだ市民権を得るには道程は短くは見えない。だからこそ、国内に於いても同性婚は記事になる。映画、ドラマ化もされている現状。

 作品の終わり方は著者と監督と揉めたそうだ。実際、公の場に姿を現すのが母親だけということがそのことを物語っている。
 日本は家族の宗派さえ知らない人もいる、仏教徒が平気で教会で挙式する国でもある。それに対し、ヨーロッパはじめアメリカではキリスト教徒が多く、日々の生活に教会(この場合宗派は置いて)が関係する国では聖書の言葉と相反するLGBTQにどう向くかはとても難しい問題になる。「人間として」考えるのであれば迷わないで済む筈ことが悲しい。

 ルーカス・ヘッジズは大切に育てられた一人息子、これまで親の期待通りに優等生に生きたにも拘わらず大きな壁に阻まれ苦悩のする役を台詞は決して多くはなかったが表情、振舞いで好演していた。
★★★

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