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エリック・カルメンのBrand New YearはRaspberries復活の予兆か

2014年1月19日発行のクリーブランドローカル新聞『Plain dealer』紙のインタビュー抄録です。
Brand New Year 創作秘話および悲願のロックの殿堂入りについても語っています。
(無断転載・引用はお断りします)

エリック・カルメンの新曲『Brand New Year』はラズベリーズ再始動の先触れかラズベリーズのメンバー、ソロアーチストとして、クリーブランド出身のロックンローラーとして史上、最も成功した1人であるエリック・カルメン。だが、1988年にシングル『Reason to Try』(ビルボード・シングルチャートで87位を記録)をリリースして以後、現在に至るまで、いくつかの例外を除き、Gates Milsで育児に専念し、さしたる活動はしていなかった。

しかし、この冬、不毛の時期に終わりを告げ、精力的に活動を再開した。エリックは自宅から電話でロングインタビューに応じた。

「はじめて湿った雪が木々を覆った日のことだ。時速10キロの嵐に見舞われたらGates Millesは停電する」

その嵐でまさに想像通りになった。

「暖房も、電気もすべてが閉ざされた中、僕は家に4つある暖炉で暖まろうとした。一番、居心地のよかったのがリビングルームだった。長椅子に座り、暖炉の灯で本を読んでいた」

カルメンはふだんその部屋にいることはあまりないという。そして、偶然にもそのリビングルームは彼のピアノが置き場所だった。

「そこはまったく遮音されていた。僕はピアノに向かい、何気なくピアノを弾き始めた。それがBメロとコーラスの節になった」

彼は新曲『Brand New Year』についてそう語った。この曲のインスピレーションを生み出した背後には、彼の知る、不遇な一年を過ごしていた2人女性の存在があった。1人は、中東で看護師として任務に励んだ結果、健康を損ねた女性。もう1人は、自身の問題に対処することを余儀なくされている、クリーブランドのみんなが知っている「ある人」だ。カルメンは彼の作品の背景を語ることは少ない。

「僕は、悪い、もしくは最悪の一年を過ごしたすべての人たちのことを考え始めた。ライターとして、僕はいつも誰もが共感できる何か、すなわち「普遍性」を探している。それが『All By Myself』の成功の理由だ。

やがてタイトルと冒頭の「It’s been a long, hard year」の詞が浮かんできた。

カルメンは、自身で詞を書いたとき、かつて同じようなことがあったと言う。この美しい曲は、「不吉な予感のする出だし」が、やがてポジティブで高揚感のある曲調に移行する。ラズベリーズおよびソロのファンにとっては、64歳にして再び曲を書きたいという願望を目覚めさせたことこそが、もっとも高揚することだろう。「僕のプロとして最初のレコーディングは18歳だった。15歳からずっと音楽の世界にいて、レコード会社の仕事を見てきた。いかにそれが「ビジネス・ワーク」なのかということを。本音を言えば、すべてに嫌気がさしていた。1997年が巡ってくるまでは」「16年間の活動休止期間を取ったのは、たぶん僕にとって最高の選択だったと思う。自分が何を書こうとしていたか、先入観なしに、ただ自分の可能性を信頼して見ていられたから」

それが現在との違いだ。あの当時は、アリスタレコード総帥のクライヴ・デイビスの言いなりで、デイビスに気に入られなければという重圧ばかり感じていた、という。

「アリスタでは、仮にクライヴが『好きではない』と言ったらもう大問題だったよ。クライヴは強い発言権を持っていた。それは時として正しく、時としてそうとはいえなかった」

クライヴとの闘いは、その後数年間、エリックに筆を置かせる結果となった。

「曲を書くのは、自分の内面から伝えたいことが湧き上がってくるものであって、他人を喜ばせるために書くものではない」

ただ、Sony Legacyから3月25日にリリースされるラズベリーズ結成以前からラズベリーズ、ソロのキャリアから30枚を厳選した2枚組アルバムが、多くの人を喜ばせるものであるのはたしかだ。『Get the Message』にはじまり、『Brand New Years』がエンドを飾る。30曲のうち少なくとも数曲は、カルメンがまさに望んでいたサウンドに置き換えられることになる。そのうちの一曲は、『Get the Message』だ。この曲はラズベリーズの前身ともいえるサイラス・エリーが1968年にレコーディングし、1969年にリリースしたファーストシングルのB面で、A面はハーモニー主体のピアノバラード『Sparrow』だった。プロデューサーのMike Petrillo は『Sparrow』をテンポ・アップし、ギターを加えるなど、勝手な改竄を加えてカルメンを失望させていた。「彼らは2曲をぶち壊しにするのに90,000ドルも費やしたんだ」PetrilloはB面用の曲を探しているとき、カルメンにこう尋ねたという。「君の一番、出来の悪い曲は何だい?」カルメンによると、PetrilloはどちらがA面かリスナーが混乱しないように、出来のよくない曲を求めたという。「なぜPetrilloが2曲の良い曲をシングルにしないのかどうしても理解できなかった。僕は『Get the Message』のことを思った。僕はピアノで意図的にその曲をちょっとばかり”悪く”弾いたんだ。途中まできたら、マイクは言ったものさ、『よし、これでいこう』ってね」。

「翌日、ワンテイクだけ収録した。そのテイクでは途中でドラマーのMike McBrideがドラムスティックを落としたというのに、録り直しどころか、ギターかヴォーカルを加えることすらしなかった」

2週間後、そのシングルは棚にみすぼらしく並んだ。だが、今回のLegacyのレコーディングでは、『Get the Message』を含むアナログ音源は、丁寧にデジタルに置き変えられた。プロデューサーのTim SmithとエンジニアのMark Wilderは、カルメンいわく化学者がオシロスコープを使うように、曲の良さを回復させた。

「マークの15分か20分のマジックで、突然、曲がぐっと良くなるんだ。ちょっとしたバスドラムやちょっとしたバスギターを加えたり、ほんのちょっとボーカルを変えるだけで、ほら、名曲だ!」

「自分で言うのは気恥ずかしいけど、本当は実にかっこいいい曲だったんだ、僕は1968年にこんなふうにしたかった、という音になったんだ」

これは、ファンがLegacyのコンピレーション・アルバムに発見する「嬉しい驚き」のほんの一例だ。

そして、もうひとつの「嬉しい驚き」があるかもしれない。それは恐らく準備が進められている。ツアーだ。

「僕は2000年に2,3か月間リンゴ・スターのツアーに参加した以外、ほとんど演奏をしてこなかった。僕はエド・サリバン・ショーでビートルズと一緒にステージに立ったんだ!リンゴのドラム、クリームのジャック・ブルースのベースで『A Little Help From My Friends』を演奏したんだ。Brush High School出身者でビートルズと共演したヤツはそうはいないよ」と彼は言った。

「『Brand New Year』を含むコンピレーション・アルバムは、再びヒットチャートに上がるだろう」と彼は語った。

「『Brand New Year』にはBrian Wilson’s Bandのメンバーが参加することが決まっている。彼らが『Brand New Year』のバックミュージシャンなんだ」

クリーブランドボーイであるカルメンにはもうひとつ語ってもらうべきことがある。「The Rock and Roll Hall of Fame」(『ロックの殿堂』)だ。ここクリーブランドにあるが、ここにラズベリーズは入っていない。

「今年までKISSが入っていなかったなんておかしなことさ。Moody BlucesとKISSや、他にもまだ殿堂入りしていないのが信じられない人(グループ)がある」

彼自身のチャンスは?たぶん。

「ラズベリーズか僕?きっといつかはありえるだろう。おそらく「influence category」になるだろう。ブルース・スプリングスティーンがラズベリーズの大ファンだからね」

6、7年前、最後に2人で逢ったとき、スプリングスティーンは彼に言ったという。「僕(スプリングスティーン)が『The River』を書いているとき、『ラズベリーズ・グレイテスト・ヒット』が3枚擦り切れるまで聞いたよ」

「僕が聞いた他の話では、ジョン・ボン・ジョヴィが曲を書いているときに助言をもらおうとブルースのもとを訪ねたところ、ブルースはボン・ジョヴィに『ラズベリーズ・グレイテスト・ヒット』を渡したそうだ」とカルメン。

カルメンは世界が変化したことを知っている。彼は『All By Myself』がパンドラで6か月だけでも979,000回再生されたが、彼はたった39ドルしか印税の支払いを受けていない。それは曲に対して0.0004パーセントにすぎない。彼がこれに憤慨するのは当然だ。だが、ただひとつ変わらないのは、彼の曲作りに対する愛だ。それがもう一度、彼が『Go All The Way』の体制を整えた理由なのだ。