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歌が闇から救ってくれた

10年前の今日3月11日。
私は乳がんの闘病中だった。
秋に手術、放射線治療を終え、ホルモン療法を続けていた。手術は意外なほど楽で、入院中は素敵な仲間ができ、楽しく過ごした。幸い発見が初期で、さほど不安もなく、痛みも、乳房の変形もなかった。文献も読み、確認すべき点はすべて確認し、ほぼ大丈夫だととらえていた。なんだ、こんなもので済むのか、案外楽勝だなと思っていた。

ところが、ホルモン治療が始まって間もなく薬の影響でメンタル面の不調に見舞われた。自分ではどうしようもなくある日突然、どんと落ち込んで、翌日も、その翌日もどん、どん、どんと落ちていった。ホルモン治療の継続を断念しようかと相談したほどだったが、メンタルクリニックでも並行して治療を受け、仕事も日常生活もなんとかやっていた。

そこに起きた東日本大震災。
地震発生時、私は自宅にいたので、まずは隣家の一人暮らしのお年寄りの安否を確認した後、当時、小学校4年生だった娘を迎えに学校に走った。
子どもたちは校庭に集められていた。いつもならふざけたり騒いだりする子どもたちも、先生たちの緊張感が伝わったのか、みな押し黙って整然と並んで座っていた。中には泣いている子もいた。集まってきた保護者たちは金網越しに様子を伺っていた。駆け付けた私を見つけた仲良しのママ友は、黙ってハグしてくれた。
クラスで一番先に娘を引き取って帰った。近所の子が不安げな目で羨ましそうに私を見ていたが、このときは保護者に直接子どもを引き渡すことになっていて、たとえ近所の子でも預かることはできなかった。
「引き取り」になったから、学校に迎えに行くようにと近所に告げて回った。あとはリビングの机の下で娘を抱きしめて震えていた。寒い日だったが、電気・エネルギーの使用を控えるように盛んにいわれていたので、暖房はつけず、照明も最低限にしてテレビだけ見ていた。
リアルタイムの津波の映像も見ていたはずなのだが、その記憶は消えている。

その後、一気に鬱状態に突入した。
一時期は「いっそ明日、震災がきて死んじゃえばいい」とまで思っていた。2年半はほぼ引きこもり。
東日本大震災の悲惨な状況と、私の個人的な闘病の苦しさが重なって、いま思い出してもひどくつらい。

そんな闇から救ってくれたのが、「歌」だった。
ようやく動く気力が出てきて、このままじゃいけないと思ったとき、声楽家の親友がボイストレーニングのスタジオを開設した。グループレッスンならば、体調のいいときに予約せずにふらっと出かけられるし、途中で気分が悪くなっても親友は事情を知っているので気が楽だと、月2、3回通うようになった。別に歌が歌いたかったわけでもない。人前で歌など歌ったこともない。ただ、出かける予定を作りたかっただけだった。

でも、歌ってみると案外、楽しかった。半年後に「発表会」があると知り「ドレスでも着たら気が晴れるかな」と、ドレスを着ることを目標に参加を決め、舞台に立ったら、なんだか気持ちが盛り上がってきた。
それを機に復活に向かった。
鬱から立ち直るまで実に5年かかった。

そんな経験から、老人ホームで張り合いのない様子で暮らしていた母に、なんか楽しいことを届けてあげたいと、4年前に友だちを誘って「歌のボランティア」を始めた。
「歌」には力があると信じたからーー。

一番最初のボランティアで目玉として歌ったのは、ベット・ミドラーの『THE ROSE』と、『いのちの歌』だった。

素人なので、到底、お聴かせできるようなしろものではない。あくまでもシングアウトリーダーとして、みなさんに歌ってもらうイベントだ。
老人ホームのイベントでは、「女学校・旧制高校時代に歌った曲」に絞ってセットリストを作り、大いに歌っていただいた。
「年寄りだからって童謡なんて歌いたくない。私が歌いたいのは、こういう曲なの!だから嬉しかったわ」
と興奮して話してくれたご婦人。
「子どもじみたと歌を歌わされるのに辟易としていたんだよ」
と、シューベルトの『セレナーデ』や『野ばら』をドイツ語で嬉しそうに歌ってくれた紳士。『テネシーワルツ』は、日本語の部分だけ歌っていただこうと考えていたが、思いがけず英語で大合唱となってびっくりしたこともある。

老人ホーム、老健施設を皮切りに、障がい児の放課後デイサービス施設からもお声がかかって、通算15回ほど公演を行った。
そのうちアコーディオンバンドからお声がかかり、そこでもシングアウトリーダーとして歌わせていただくことになった。市民音楽祭や、公民館や文化センターの市民イベントなど、多いときは100名以上のお客様の前で歌う機会を得て、楽しく歌わせていただいた。

そんなこんなで歌っていたのだが、直近で出演するはずだった昨年3月のアコーディオンコンクールの記念コンサートが延期となり、以後、人前で歌うことはなくなった。今後も当面、大勢の前で歌うという機会は巡っては来ないだろう。なにせ歌は、ウイルスをまき散らすリスクのある危険なアクティビティとなってしまったから。

歌は祈り。

歌は言葉。

歌は思想。

歌は訴え。

歌はつながり。


10年前の真っ暗な闇が、いまの状況と似ている気がする。
3月11日が巡って来るたび、あの闇を思い出す。私にまたあの闇が訪れるのではないかと怯えるような気持ちが湧き上がってくる。

でも、歌があれば、きっと大丈夫。
歌は祈り。歌は言葉。歌は思想。歌は訴え。歌はつながり。

再びみなで声を合わせて、笑顔で歌える日が、遠くない時期に訪れますように。


3.11に寄せて。


#音楽 #3 .11 #歌