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終電を逃してしまった夜、愉快なことが起きた

その日、私は渋谷で友人たちと楽しく飲んでいた。気づいたら0時を過ぎていて、東横線の0時35分発の終電に飛び乗った。終電に間に合ったことにほっとして、空いていた席に座って目を閉じる。当時私が住んでいた学芸大学駅までは約10分。

ハッと目覚めたら、電車は見知らぬ駅にとまっていた。寝過ごした!戻りの終電はとっくに終わっている。

タクシーで帰らなくちゃと思い、そこがどこの駅だかもよくわからないまま、とりあえず改札を出た。

こんなことなら最初から渋谷でタクシーに乗って帰ればよかった、そもそもNYの地下鉄みたいに24時間運行だったらいいのに、と勝手なことを思いながらタクシー乗り場を探していると、左のほうから、一人の大人がこちらに向かってやってきた。

私は酔うと眠気に襲われるタイプで、そのときも半分寝ている状態だったから、その人の顔や年齢を認識できず、「男!」ということしかわからなかった。

その男は、私の前に立ち塞がると「飲みにいかない?」と声をかけてきた。彼も酔っ払っているようで、私のことを「女!」という記号でしか見ていなかったと思う。

私が「いや、帰るんで」と断ると、「えーっ、いいじゃん、いいじゃん、飲もうよ」とチャラい感じで迫ってきた。

そしていきなり私の手を握ってきた。

突然の接触に私は固まってしまい、あわあわしていたら、男は「ね、ね、始発まで一緒に飲もうよ。お願い!お願い!」と懇願してきた。私が「え、そんな元気ないんで」と冷たい態度をとっていると、今度は右のほうから1人の大人がこちらに向かってやってきた。

半分眠っている頭では、これまた顔や年齢を認識できず、「男!」ということしかわからなかった。

右からやってきたその男は、私たちの前に立ち塞がると、「すみません、タクシー乗り場はどこですか?」と聞いてきた。もしかして、私が困っているのを助けようとしてくれた?と思ったけれど、別にそういうわけでもなく、彼も彼で純粋に困っているようだった。

それで、その男は「学芸大に行きたいんですけど、タクシー乗り場がわからなくて」と続けた。

学芸大という言葉に反応した私は「私も学芸大に行きたいんです!一緒に乗りましょう!」と、勢いよく言った。

そしたら、私の手を握っていた左の男が、右の男に冷たく言い放った。

「この駅、タクシー乗り場ないよ。このへん、タクシーも全然通らないし」

えっ、そうなんだ、と思った瞬間、目の前を1台のタクシーが通った。

空車だった。

右の男は静かに手を挙げ、そのタクシーを止めた。私は左の男の手を振り切り、「私も乗ります!」と叫んで、右の男に続いてタクシーの後部座席に乗り込んだ。

そしたら。

なんと左の男も一緒に乗り込んできた。

後部座席に3人が並んだ形になった。

え?え?なにこれ?と思っている間に右の男が「学芸大学駅までお願いします」と言い、タクシーは走り出した。

気まずい沈黙のなか、1分ほどたつと、左の男がなぜか突然正気に戻り、「タクシー乗れてラッキーでしたね。僕、田園調布が最寄駅なので、途中までご一緒させてください」といきなり礼儀正しくなった。

すると右の男が「おふたりはカップルですか?」と聞いてきた。私が即座に否定しようとしたら、左の男が「まさか。まったく知らない人です」と答えていて、さっきの強引なお誘いからの豹変ぶりがすごかった。

右の男は「えっ、そうだったんですね。僕、2人がカップルだと思ったからタクシー乗り場がどこか聞こうと思ったんですよ。ひとりでいる人に声かけるの、なんだか怖いじゃないですか」と言ってて、私がタクシーに乗れたのは、左の男が私の手を握ってきたからこそだったのかと思うと、ちょっと複雑な気持ちになった。

そうこうしているうちに田園調布駅に到着。メーターは1000円だった。左の男は礼儀正しく1000円払って車を降りていった。

残された私と右の男は特にたいした会話をすることもなく、20分後、学芸大学駅に到着。メーターは3000円くらいだった。

私が半分出そうとお財布を出すと、男が「ここは僕が出しますよ。もともとタクシーにひとりで乗って帰るつもりだったし。田園調布で降りたあの人が1000円出してくれてラッキーなくらいでしたし」と言ってくれ、その言葉に甘えることにした。

ラッキー!と思いながら、じゃ、ありがとうございました、と言ってその男とは、駅前でスパッと別れた。

なんだかんだ面白い夜だったなータクシー代浮いてラッキーだったし、とニヤニヤしながら自宅に向かって歩いていたら、スマホがないことに気がついた。

えっ?あれっ?!もしかしてタクシーに置き忘れてきた?!

顔面蒼白になった。タクシーに連絡しようにも、私はレシートをもらってないし、タクシー会社の名前もまったく覚えていない。

どうしよう。もしかしたらタクシー降りたあとに道に落としたのかもしれないとも思い、とりあえず来た道を戻ってみることにした。

一緒に降りた男に会えたらタクシーのレシートもらえるだろうけれど、さすがにもういないだろうなと思いながら、道端にスマホが落ちてないかチェックしつつ50メートルほど戻った。

そしたら。

いた。

右の男がなぜか道端にいた。

今思うとなんですぐに家に帰らずに道端に佇んでいたのか謎だけれど、そのときは「これでタクシー会社に連絡できる!」と喜んだ私は、男に駆け寄り、スマホをタクシーに置き忘れたかもしれないからレシートを見せてほしい旨を話した。

男は驚きつつも、「公衆電話探すの大変だろうから」と、自分のスマホでタクシー会社に電話してくれた。

やはりスマホはタクシーに置き忘れていた。しかしタクシーはだいぶ遠くまで行ってしまっており、ここまで戻るのに数十分かかるという。それに、メーター分の料金が発生するとのこと。

オッケーオッケー。その旨をタクシー会社に伝えてもらって、タクシーが戻ってくるのをひとり待つことに。そしたら男が「こんな夜中にひとりだと危ないから一緒に待っていてあげますよ」と言ってくれた。

十数分後、タクシーが戻ってきて運転手からスマホを受け取った。もちろん自分で払おうとしたら、なんと、なんと、男が支払ってくれた。

なんて親切な人なんだーー!

私は感激し、後日お礼しようと思い、男の連絡先を聞いた。

1週間後。

私はお礼をするためにその男に会った。シラフの状態で会った彼は、清潔感のある紳士だった。話を聞いたら、彼はとある新聞社の文化部の記者とのこと。カルチャーに詳しく、話がはずんで、また飲もうということになった。

………これがドラマだったら、そこから男女の仲に発展したかもしれないけれど、特にそういうことにはならなかった。私は彼のことをもっと知りたいと思ったけれど、彼は特に私に興味がなかったのだと思う。次第にメールの回数も減っていき、自然に連絡が途絶えた。

結局、彼とは一回飲んだきりだったけれど、終電を逃した日の一連の出来事は、愉快な思い出として今でも鮮明に記憶に残っている(でも左の男の顔はどうしても思い出せない)。

そんなこともあり、私にとって一番エモい言葉は「終電」だ。終電後の世界では、予想もつかない出来事が起こったりする。人の欲望に直に触れたり、親切にしてもらって感激したり。終電なんてなければいいのにと思うこともあるけれど、今回の愉快な出来事も終電という制約があったからこそ生まれたものだ。制約はエモさを生むと思うと、制約も悪くないかなと思うのであった。

余談だが、同僚にこの一連の出来事を話したところ、「強引に飲みに誘って一緒にタクシーに乗り込んできた左の男、謎すぎない? ……もしかして! その男って、未来からやってきた榎本さんの息子で、榎本さんを家に帰らせると未来が変わっちゃうから、なんとしてでも引き留めようと一緒にタクシーに乗ったんじゃない…? それでもうダメだと諦めて途中で降りたんじゃない?」と言ってておもしろかった。

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