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私が風俗を始めた頃の話①ケンコバに舞い降りた天使

季節は夏だったと思う。深夜、一人でテレビを見ていた。家族が寝静まったリビング、いつの間にかお目当てのバラエティ番組が終わり「お笑い芸人の風俗談義」みたいな深夜っぽい番組が始まっていた。当時なぜか母親の方針でクーラーが絶対禁止されていた過酷な環境下の実家で、やっと浅い眠りに落ちかけていた私のアタマに、ハッキリ届くくらいの熱量と声量で、ケンコバがこんなことを喋っているのが聞こえてきた。

「……あの子たちは天使なんですよ、人間の姿さえしているけれど真実の姿はこの世に舞い降りた天使なんです。皆さん信じないでしょうがこれは本当です。僕はその天使のやわらかい胸に顔をうずめたり、時にはさめざめ泣いたりしていると、ああ今日も頑張った、生きててよかったと心から思えるんです。実際彼女たちは電話一つで夜中でもひらりと飛んで来てくれるじゃないですか!」チュートリアル徳井と南海キャンディーズ山里が深く頷き、それぞれも己の風俗愛を語り始める。

「これだ……これならなんとかなるかもしれない……。」相変わらずぼんやりとした私はぼんやりとしたアタマで、風俗嬢になることをぼんやりと決意していた。

そのおよそ二日後には、その後しばらくお世話になる最初のお店に面接の電話を入れていた。ぼんやりとではない、キッチリ固めた強い意思のもとで。

この業界に飛び込んだ当時の私は、出来るだけ明るくざっくり表現すると「風俗 or die」的な精神状態だった。人生がゆるやかに詰み始めていた。同世代の知人や友人が人生を謳歌し、自由を享受し、未来を切り開き、日々を楽しむさまをSNS などに上げていた頃、私はジリジリと追い詰められていた。そこに至るまでの経緯や細かいディティールを楽しく愉快に表現するには力が足りないので避けるが、ともかく住むところ、返済のためのお金、そしてフルタイムじゃない高給の仕事が必要だった。すぐにでも。

店は案外すぐに見つかった。お客様が見る公式ホームページ、この業界では最大手である広告媒体「ヘブンネット」の写メ日記、「バーニラ バニラ バーニラ 求人♪」の耳障りの良い宣伝カーでお馴染み「バニラ」の求人ページ、果てはネットに落ちているお客様の数々の風俗レポートまで目を通し、お店を比較検討した。

条件としては即入居可能な寮があり、経験が少なくても通用しそうな素人系のお店、制服がカワイイ、何かあったら店員さんがすぐ飛んできてくれそうな店舗型のお店。
社風が一番まともそうで、お客様からの信頼も比較的厚く、写メ日記から読み取れる女の子たちの雰囲気も真面目そうな、全国展開のヘルス一つにしぼった。その選択は間違っていなかったし、その当時の私には最良だったと今でも思う。

話はあっけないほどトントン拍子で進んでいったように思う。家族が(私の部屋が用意されていない)ピカピカの新居へ引っ越すためのゴタゴタのなか、「リゾートバイトで兵庫の旅館に住み込みで働くことにしたから」と嘘を付いた。そのための引っ越しという体で段ボールに必要最低限の荷物を少しずつ詰めている最中、家族が誰もいない時間を見計らって、その風俗店に電話を入れた。

電話口に出た男の人は予想よりずっと丁寧な口調で、それでいて初対面なのにやたらと親しみやすかった。拍子抜けしている間に私の年齢、身長と体重をアッサリ聞き出したら、それ以外は特に何も聞かずにサクサク面接の日取りを決めてくれた。それが後に一番お世話になることになるZ店長だった。
世間知らずだった私はやっぱりのんびりと「意外といい人そうだったし、仕事も出来そうな雰囲気だったな、これアタリの店かもしれない」なんて思いながら翌日の面接のために夕飯を抜いたまま荷造りを進めていた。伝えた体重は二キロもサバを読んでいたから。

まさかその店長に月々の指名本数を煽られ過ぎてご飯が喉を通らず離乳食を食べることになるのはそれよりもうちょっと後の話である。

反響次第でつづく♡

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ソープのおねえさん

現役です、川崎アラビアンナイト所属、源氏名ニーナ。好きな入浴剤は「温素 琥珀の湯」「オリヂナル薬湯 ヒバ」