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満月の癒やし ⑧

こんにちは。
今日もお立ち寄りくださりありがとうございます。

引き続き、バイオリニストYUKIさんから受けた
満月ヒーリングのあとの気づきについてのお話です。

お時間あればどうぞご覧くださいませ。

(前回の記事はこちらです↓)


⚜️生命の瞬き


YUKIさんに橋渡ししていただいた初回のメッセージのひとつ

「すべての生命の瞬きを目撃する」。


受け取ったそのときから最も印象深い言葉でした。

この言の葉はそこから2ヶ月以上にわたって、私に多くの大きな気づきをもたらしてくれました。

初めはなんのことかわからなかったのですが、この言葉を反芻するうちに、だんだんとたくさんの記憶の中から浮かびあがってくるものがありました。

それはさながら、ジグソーパズルのピースが合わさっていって、なんの絵だかわからなかったものが次第にハッキリしたひとつの絵になる、そんな感覚でした。


いつからかわからないけれど、写真を撮るのが好きです。
写真を撮れば、そのときの空気感とともに記憶に残るから。

フィルム付きカメラ、携帯電話、デジカメ、スマホ、タブレット…と道具は変遷しながらも、どんどん画像が撮りたまっています。

去年、初めてお会いした方と歩いているときに、ふと視線の先に見つけた虫や草を寄りで撮っていたら、そのことをほめられました。

自分では全く気がついていなかったことですが、普通は気がつかずに通り過ぎてしまうようなものを、私はよく写真に収めていたそうです。

「へー!そうなんやぁ?」と、意外に思ったのを覚えています。

普段あまり人物写真は撮ることがなくて、虫や鳥などの小さな生きものたち、花、木、空、海などの風景を撮る方が圧倒的に多いです。

この世に生きとし生けるもの、どんなにヒトから見れば嫌われものであろうとも、そのひとつひとつの造形は、細部に至るまで他に類を見ない完璧な美しさだなとよく思います。

自然の豊かな徳島県の山間部に行く機会が多かったせいもありますが、そこだけではなく、街なかで、家のベランダで、ちょっとしたお出かけのときにも、“撮りたいもの”はしょっちゅう目に飛び込んできました。

ただ、今年に入ってからというもの。

これまでになくシビアな自然界の様子を目にする機会がとにかく多くて、それが自然の摂理と頭では理解していても、気分が塞ぐような場面を繰り返し繰り返し見てきました。


春まだ浅い時期。ツバメたちが帰ってきます。

一斉にあちらこちらに巣をかけて抱卵を始めたものの、いつまで経ってもヒナが孵らない巣がありました。
ツバメは本来、夫婦で交代しながら24時間体制で卵を温めます。
ところが、このペアの片割れは事故にでもあったのか?帰って来ていませんでした。


初夏。セミの幼虫が羽化のために地上に現れます。

何年もかけて成長し、いよいよこれから羽化するという段になって木の方ではなく車道へ這い出してしまう幼虫。
ようやくのことで木に登り、その殻まで脱ぎながら最後まで脱ぎきれずに力尽きてしまったセミ。


夏。田に水が入り、それはそれはたくさんの生命が息づく季節。

少し歩けば、巨大な私を避けてモーゼのようにザザザザザーっと両側へ逃げゆく小さなカエルたち。
すぐ脇は交通量の多い車道。
私自身も運転中、もしかしたらこの小さな生命を踏み潰していたかもしれない。

蚊などの虫を食べるカエル、カエルを食べるサギ。

サギの生命を支えるカエル、カエルの生命をつなぐ虫たち。

どれ一つとして無くてはならない存在。
そこにあるのは良いとか悪いとかではなく。

生と死と、ただ生命の循環があるだけ。

先日ご紹介した、鹿ちゃん。
私が「見せられたのかな」と思ったのも、こうした背景があってのことでした。


⚜️地球の気持ち


前回の記事で

じゃあ、私にとっての地球って、どういうものだろう?

と考えた、と申しました。

(ワタシにとっての地球…)


(母なる大地…)


(ありとあらゆる生命をのせて…)




…まぁー!ほんまに、あんたらぁときたら…
ワタシの上で兄弟喧嘩よろしくドンぱちドンぱち…

すーぐにケンカ戦争始めるよね〜ぇ?


…まったくもう、、しゃーないやっちゃしかたがないなぁ。



(きっと、そんなんされても、世のオカンと同じく
 こんなふうに思てんのとちゃうやろか?)



…あー、もう!ハイハイハイハイ!また!こら!!
 もうそんなしょーもないことでケンカせんのー!!!


…ハイハイハイハイ!ハイ!そこまで!!うるそぅてかなぁんわうるさくてかないませんわ!!

…ほんまいっつもいっつもしょうがないなぁ〜

…みんなで仲よぅできんのかぃっ!!!



(ひょっとして、こんなことも思てたりして)



…あんたらなぁ、、、
お母ちゃんのお肌、ガリガリ削りまくってやなぁ、、、
いい加減にしぃや?
オカンがブサイクになってうれしいのんか?


…それであんたらが幸せならえぇけどな、
 お母ちゃんちょっとカナシ、なぁ、、、


…石油が欲しいならなんぼでも掘ったらええ。
 ちょっとやそっとじゃなくならんし、お乳みたいなもんや。
 それであんたらがお腹満ちて幸せなら、それでええ。


…ゴミかてなぁ、お母ちゃんが一所懸命、分解してるんやで?
 知らんやろうけどな、深い深い、深い深い、海の底でなぁ。


…知っとる?お母ちゃんのお腹の底、ゴミだらけやねんで?


…ま、それであんたら幸せならええけどな?
 歳とったから、さすがにちょっとしんどいねん。
 ちょっとだけ優しいしてもらえたらうれしぃなぁ。

…おぅおぅ、よしよし、、、泣かんでええ。
 あんたらが幸せなんがなによりや、自分を責めんでえぇ。
 ちょっと言いすぎたかなぁ。


…子供が暗い顔しててうれしいオカンがどこにおるかいな。


…ほやからな、いつでもゴキゲンさんでニコニコしとき?


…その方が美人さんやし、オっトコマエやしな!!


…別にな、特別なことなんにもせんでええんやで。
あんたらが機嫌よぅいてくれるだけでお母ちゃん幸せや。


…ほやからな、ニコニコしときぃ?  な、頼むわ!


…あんたらのためやったら、お母ちゃんなんでもしたる。


…あんたらがすることなら、削られても掘られてもええ。


…顔の上になんや、よぅわからんもんボンボン建てられても、
蚊や鳥と違ぅてビュンビュンうるさいミサイル飛んでてもな。


…お母ちゃんあんたらのこと大好きやねん。


…ほいでもなぁ、お母ちゃんにも堪忍袋っちゅうもんがあんねん。


…だからな、ちょいちょいカッとなってドーン!火ぃ噴いたりな、、、


…痛ぅてブルブルッて身震いしたりな、、、


…水が汚れたら吐きそうになるしな、、、


…それに甘やかすばっかりやとダメにしてしまうからな、どんなにつろぅても、厳しいせんといかんこともあんねん、、、


…お母ちゃんな、ほんまは、…ほんまはそんなんするの、つらいんやで。


…でもな、甘やかすばっかりが愛じゃないねん。


……厳しいせんといかん時もあるんよな、、、


…そんなときのお母ちゃんの気持ち、考えたこと、あるか?


…ほんまはつらいねんで、、、堪忍な、、、

なぜか関西弁風の言葉で次から次へとポンポンポンポン浮かび上がる、地球の気持ち。気がついたらワタシ、お風呂で号泣していました。

このときの気持ちや言葉は、母の日に出した記事のときと同じく、なにかワタシであってワタシでない、どこかいつもと違う感覚で、あふれ出てきたものでした。

母なる大地/母なる地球、とはよく言ったものだなぁと思います。

地球はオカンで間違いない、
確信しました。

普段のワタシはこんなに出来た母親ではありません。
むしろなにごとにつけ至らない母であり、器の小さな“ちっさい”母親です。

なのにこのときはあふれる思いに涙が止まらず、しばらく一人、湯船で咽び泣いていました。

悲しみの涙ではなく、ただただあふれる愛に心動いて…といった感じですが、言葉でうまくお伝えできる表現が見つかりません。

⚜️わたしも、あなたも


しばらくその感情を流れるままに味わって、ようやく落ち着いた頃。
ストン、と腑に落ちたというか、確信したことがありました。


あ、私、やっぱり地球だ、ということ。


そして、実は私だけでなく。


この世の誰もが、一人一人、自覚が無くとも


それぞれが地球だ


ということ。


YUKIさんのくれたメッセージの意味というのは、私だけの特別なことではなく。

あぁ、そうか、これはみんながそうなんだ、ということ。


誰もが本当は母なる大地、母なる地球と繋がっていて、いや、むしろ地球の中に自分がいて、自分自身が地球そのもの、あるいは、地球のカケラであるのでは?と思いました。

目には見えているけれど、この世のすべてはマボロシか?…はたまたワタシの目が節穴なのか?…と、最近よく、そんなことを思います。

同じものや起こるできごとを見ていても、私と私以外の誰かとで、見ているものが全く違っていたりするからです。


外に見えている地球と、自分の内なる地球…

どちらも同じ地球なのかもしれないと、ふとそんなふうにも思います。


大変にぶっ飛んだ話だし、思い込みの激しさからものごとを丁寧に見ることができていないのかもしれないけれど、そこに正解も不正解も要らないのかもしれないと思い、思いきってご披露申し上げました。

この気づきが、合ってるか間違ってるかというのは誰にもわからないこと。
あえてそれをどっちかに決める必要もないのだとも思います。


ただ、もし「自分=地球」であると仮定すれば、

地球を大切にすることは自分を大切にすること
逆もまた、然り。

そして、一人一人が地球であるならば、
自分を尊重することは他人を尊重することであり、
これまた、逆もまた、然り。


正解のない問いに正解を意味づけるのは、自分の意思ひとつです。

ワタシが正解って思うんならセイカイ!!

ワタシがルール!!!

この考え方が好きだから、この考えが納得いったから、コレ採用!!


…こんなんで、いいのだと、ワタシは思います。
あくまでも、ワタシは、です。

今日もここまでお読みくださり、ありがとうございました。

たぶん、もう一回くらいでひと段落しそうですが、慣れない連投にやや息切れしておりまして、失速気味です(笑)

書いている本人が失速するなか、毎度飽きずに読んでくださる方々には、ただただ感謝しかありません。ありがとうございます。

くたびれようとも、たとえ優しくされずとも、地球は今日も私たちを乗せて淡々と回っています。

地球さんにも、
同じ地球のあなた様にも、
そして自分にも、
ねぎらいと感謝を。

いつもありがとうございます。

すべての生命は美しい。

いつもそんな美しいものに囲まれて、私は一等幸せです。

宇宙の営みに比べたら、ほんの短いこの生命。
ひとつでも多くの生命の美しさを、この目に焼き付けておきたいと、そう思います。

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