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Vol.10 想像力の欠如。それは時に危険を生み出す。

身が危険に晒された時、あなたならどうするだろうか。
通常ならば、何らかの手段を講じて危険を回避することだろう。では、身が危険に晒されていないことに気が付いていない場合、どのように回避すれば良いのだろうか。

新東名高速道路土山サービスエリアで休憩を取っていたときのこと。
タヌキの信楽焼の隣に幼い娘を立たせ、親は少し離れてスマートフォンで写真を撮っていた。幼い娘は親に言われるがままポーズを取っているものの、観察してみると、明らかに怪訝そうな視線を走らせている。

結局、親の自己満足に過ぎないじゃないか。
厳しい言い方かもしれないが、子どもは親の道具じゃないし、手を握るなり抱っこするなり、もっと大事なことに時間を割いてあげて欲しいと感じた。

そして今日の夕方。
公園でランニングをしている時、あり得ない光景を見た。

50センチの高さがある丸テーブルに幼い娘を立たせて、花壇を背景にして写真を撮っている親を見たのだ。

テーブルに土足で乗せること自体、マナー違反であるし、それ以上にテーブルから落ちて怪我をさせたらどうするんだ!という怒りが沸々と沸き起こった。

もちろん親としては、落ちそうになったら手で抱えるから大丈夫と思っているかもしれないが、幼い娘は身が危険に晒されているなんてきっと認識していないだろう。

それはあくまで私の主観かもしれない。だが、感情を排して客観視しても危険なことに変わりないと判断した。

注意をしようと思い立ち、現場へ走って直行しようとすると、親は空気を察知したのか幼い娘を抱き上げ、さっさと駐車場へ引き揚げてしまった。

繰り返しになるが、子どもは親の道具ではない。子どもをわざわざ危険に晒す親が何処にいるのだろうか。怪我をしたら子どもが痛いを思いをするのである。打ち所が悪ければ、後遺症を負うことだって有り得るのだ。

想像力の無さが深刻な事態を生み出す引き金となる。

今日は声を大にして叫びたくなりました。

日々是好日