見出し画像

Vol.1 親の背中を追って

3年前の秋。

私は所用で大阪難波にいた。
知人と食事をした後、難波駅で切符を買い、神戸へ向かう。

人混みを掻き分け、改札機を通ろうとしたとき、ある事件が起きた。 

私の前にいた親子連れ(母親と5歳程の女の子だったと記憶している)が改札機を通過する際、母親はICマークにカードをかざして先に通過し、女の子も同様にICマークにカードをかざして母親の後ろについていく。

だが、女の子は目の前でバーに塞がれてしまい立ち往生。

慌てふためいた女の子は、もう一度ICマークにカードをかざしたが、バーは開かない。

閉じられたバーの先にいる母親の元へ早く行きたかったのだろう。
女の子はバンバンッと乱暴な音を立ててICマークにカードを叩きつけた。

私はなぜバーが開かないのだろうと思い、目を凝らして様子を伺った。すると女の子が手に持っていたカードは券売機か窓口で発券される茶色の切符だったことに気づいた。しかも、ICカードサイズの特急券。

そりゃバーも開かんわ!と心の中でツッコミを入れつつ、必死になって母親の真似をした女の子の姿が可笑しくてたまらなかった。

母親は後ろを振り向いて、女の子に身振り手振りを交えて切符を差し込み口に入れるよう伝えた。決して強い口調ではなく、不安を与えないよう優しい口調で。

改札機を無事通過した女の子は、母親に頭を撫でられ、手を繋いで共に雑踏へと吸い込まれていった。

私は一連の様子から母親が適切な方法で女の子の困り感を解決したことに感心した。もし母親が周囲を気にして、焦ってあたふたした姿を見せてしまったら、女の子は不安に押し潰されて泣いていたかもしれない。通行人や駅員が駆けつけ、大騒動になっていた可能性もあっただろう。

子どもは親の背中を見て育っている。
また、親の背中に限らず、世間の有り様もきっと見ているはずだ。

背中を見せること。

それは、今の時代を生きる人々の生き様を写す鏡となりうるのだ。

日々是好日