あわい

絵を描く。

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最近の記事

語彙

自分が一年間で口にした言葉だけを集めて、一冊の辞書にしたら、とうてい辞書とは言えないような薄いものになると思う。 仕事柄家に篭りがちで、会話をあまりしないということもあるが、たまに人と話しても、何だか似たようなことを似たような言い回しで話している気がする。 件の辞書は別に分厚ければ良いというものでもないのだが、問題はそこではなく、自分の中で固まった便利で使い勝手のいい言葉で話ばかりしているような気がしていて、それが問題なのである。人によっては、少ない語彙で洗練された言葉が並

    • note先生

      noteで文章を書いていて、途中で手を止めてホームに戻る時に「執筆お疲れ様です」とか「続きが楽しみです」と表示されるのが、少し苦手です。なんかこう、キラキラした目で見られているような感じがして、なんとも言い難い気持ちになります。定期的に文章を書いてアップした時の「〇〇日連続で書きました。すごいです!」みたいなやつも然りです。 なんでしょう、すごく良くできた家庭教師の先生がそこにいて、あまり優秀ではない自分を褒めて伸ばしてくれようとしている感じでしょうか。「そんなに褒めてくれ

      • ポムポムプリンではどうにもならず

        消防設備点検の日だというのをすっかり忘れていて、散らかり放題の部屋に作業の人を通すことになった。 丁寧な言葉づかいで部屋に上がった二人の作業員が、ベランダでやや乱暴な言葉使いでやりとりをしているのが、怖いような頼もしいような気がする。自分の部屋なのに、自分の方がよその家にお邪魔している気分で落ち着かない。 何事もなくベランダのサイズやら、避難ばしごやらを点検し終えて、作業員のいなくなった部屋はなんだかスカスカした感じがする。 人が点検するのを見たからか、兼ねてから気にな

        • 思いついたことをバーっと書く

          タイトルの通り。特に推敲もせずに勢いのままに書いたものです。 例えば個人の世界に対するものの見方を変えてしまうような"答え"というものは、おそらくものすごく単純なことで、それだけを取り出したら毒にも薬にもならないというか、あまりにも当たり前のことすぎて、取り出した側と受け取る側の意図によっておおよそ毒に寄ったものになりがちだ。 "答え"は"方程式"と合致することで、初めて答えたり得る。式は一部がぼやけていても構わない。途中であっても良い。その式がいずれその答えを導くであろう

          ばたばた

          「いやー、最近忙しくてねえ」みたいなことを言うのはなんとなくかっこ悪いと思っている。思っているのに、いざ忙しくなるとつい口に出してしまう。全く自分のダサさにへこむ。へこむので仕事をする元気が無くなる。そのせいでさらに追い込まれて忙しくなる。忙しいと口に出したらどんどん忙しくなる仕組みだ。これが言霊というやつだろうか。違うか。 それにしたって忙しい。いや、忙しいって言ったって多分たかが知れていて、毎日集中して机に向かっていれば全然余裕がある仕事の量ではある。ただ、その集中する

          ばたばた

          久々

          ものすごく久しぶりにnoteを開いた。開いたついでに何か書いておく。 なんとなく寝られないまま朝になって、外では鳥がちゅんちゅん鳴いている。忙しくしているのか社交の時間なのかわからないが、とりあえず早朝は鳥たちの為の時間であるかのようにふるまっているように見える。そうしてそれでいいなと思う。 なんでしばらくnoteを開いていなかったのか。ひとつには言葉の断片は書けるけど、文章にまとめられないのが続いたから。もう一つは、noteを書くたびにnoteから「何日連続で書きました

          みんな静か

          ストンと秋になった。夕方になって、散歩に出かける。知らない路地に入って進むと、知っている場所に出た。「ああ、ここに繋がるんだ」と一人納得する。 薄い青から薄いオレンジのグラデーションの空は、よく言われるように、夏のそれより高くにあるような気がする。道すがらに見る植物達も、それぞれのやるべきことに静かに集中しているような感じで、適度な距離感がある。気持ちの良い無関心という感じ。春の植物達は、うかうかとしていて思わずフレンドリーになってしまっている感じがする。それはそれでおおら

          みんな静か

          えいやっと

          ふと気がつくと部屋の中が物であふれている。ふと気がつくと、なんていうのは嘘で、前々から「物が多すぎるな」とは思っていた。本当は引っ越してきたその日から思っていた。 まず紙類が多すぎる。下絵を描いた紙、小さいラフを引き伸ばして印刷した紙、気になるから取っておいたチラシ、いつかちゃんと絵として仕上げるつもりのスケッチ、良い紙の切れ端、昔描いた絵、保険料のお知らせ等。捨てても捨ててもすぐに溜まってしまう。まとめて捨てる為に紙袋を注文した。物を捨てる為に新たに物を買うというのは、何

          えいやっと

          おおらかさ

          とんでもない時代だなと思うことはあるが、大体いつの時代だってとんでもない時代だったのだろうなとも思う。何か違いがあるかといえば、今は繊細さとその延長にある偏狭と凶暴みたいなものが前面に出てきているのだろうか。 昭和の文学を読んでいると、ずいぶん乱暴な時代だと思う反面、そのことの下敷にあるおおらかさに少しホッとするところがある。自分を省みて、あんまり繊細であると他者の乱暴さに眉をしかめてしまいがちだし、眉をしかめることにはある種の快楽もある。行き過ぎるとおおらかさに対しても「

          おおらかさ

          文字が目をすり抜ける

          ここ最近本が読めない。文章を追っていても、字がするすると手応えなく流れていってしまうよう。夏の暑さで思考力もへばっているのだ。夏でなくたって、大した思考力があるわけではないが、本が読めないのはよっぽどだ。 こういう時には、胃腸が疲れている時にさらさらと温かい、柔らかいものを食べるように、疲れた頭に馴染みのいい、何度も読んだものを読むにことにする。本棚から「富士日記:下」を取り出す。日記なのでどこから読んでもいい。本当に、何度読んだかしれない。ふと、人の日記を読んでいるのは不

          文字が目をすり抜ける

          ぶらぶら自転車

          気がついたら3日間、一歩も外に出ていない。あまりにも不健康だし、座りっぱなしで腰も痛いので、自転車に乗ってあてもなく走ることにする。今日は気温も高くないし、日も照っていないので走っていて気持ちがいい。 20分も走れば見慣れない町に出る。下校中の小学生をたくさん見る。空のびんを持ち上げて熱心に見つめながら歩く子がいる。本来であれば夏休みの筈なのに、コロナの影響でまだ学校がやっているのだと後で気づいた。 緑の多い神社の前にさしかかる。セミが大合唱している。道端で腰を伸ばす運動

          ぶらぶら自転車

          ちくわ

          ちくわをモチーフに絵を描くことが度々ある。度々絵にはしているが、好物かと言われるとそうでもない。磯辺揚げとチーチクは結構好きだけれども、それ以外にちくわを食べることもめったにない。おでんのちくわも好きでも嫌いでもなく、ストローのようにして出汁を悪戯に吸ってみる時に意識するくらいのものだ。 ではなぜ絵に度々描くのかといえば、皮の色味とシワが寄っている感じ、形、そして何より穴が空いているところが好ましいからだ。穴が空いているというだけで、ずいぶんと絵の中で遊べる。花瓶がわりに花

          ちくわ

          窓際のメモ

          細長い間取りの部屋に住んでいる。窓は一面にしかない。毎年この季節はほとんど一日中開けはなしてある。小さな虫が網戸をくぐり抜けてこようとするのを、デコピンで落としたりする。遠くで救急車がサイレンを鳴らしている。 ベランダに足を投げ出して本を読む。洗濯物が風で揺れる。ハンガーがカチャカチャと音を立てる。紫外線で脆くなり砕けた洗濯バサミの破片が落ちている。子供が道を楽しそうに通る声を聞きながら、ページをめくる。お茶を入れに行く。遠くで救急車がサイレンを鳴らしている。 真夜中、友

          窓際のメモ

          わからないに向かって

          例えば面倒くさい確定申告や、契約の書類なんかを済ませた後は気が大きくなる。何かこう、社会というやつに受け入れられたのだ、という安心感がそうさせるのか、もしくはめんどくさいことが終わって安堵しているだけか。この気が大きくなるというのが良くない。少なくとも、自分には。 わかったような気になってしまうのだ。人が作った仕組みに順応できたというだけで、何もわかってなどいないのに。わかった気になっている時は、危険だ。自分に関係ない人の事や世事を、分析、判断などして評論家めいた断言をして

          わからないに向かって

          日記のようなもの2

          グラフィックソフトの契約に関して手続きが必要だったので、オペレーターとチャットでやりとりをした。まずオペレーターとチャットが繋がるまで2時間半を要した。休み明けで、さらに大型連休前ということもあって、混雑するのは承知の上であったが、想像以上に待つ事になった。途中トイレに行きたくなる。その間に繋がったらまずいなと思い、なかなか用も足せない。結局ノートパソコンを使っているのだから、パソコンを持ってトイレに行けばいいということに少しして気づいて、ことなきを得る。 いよいよ繋がった

          日記のようなもの2

          服好き。

          出かけることが少なくなって、毎日部屋着かパジャマで生活をしている。近所を散歩するときや買い物に行くときも、スウェットにゴムウエストの楽ちんパンツの部屋着のまま。靴もスリッポンの出番が増えた。今年の春にたくさん着ようと思って買った服たちも、タンス及びクローゼットの中で眠ったままだ。 自分にとって良い服を着ることは、対外的なものだったのだなあとしみじみ思う。好きな服があるならば、別に誰に会わずとも部屋の中で着れば良いはずなのだが、なんとなく毛玉だらけのスウェットや、袖が擦り切れ

          服好き。