遠回りして帰る

労働終り道に出ると バス停にバスがちょうど来て 行き先も見ずに 乗ってしまった あとから 浅草方面行きってわかって 用もないのに 浅草に出る なんで バスが来ると 乗りたくなるんやろね かなり小さい頃からの習性で 映画でも バスに乗り込むシーンが好きなんだけど バスに乗りながら 思う 少し前 高円寺でIさんと 飲んだ時 「よく そうかって 言葉が出るね」と指摘されたが つい 「そうか」って 言ってしまうかな 例えば 友人が 「ごみが捨てられん 生ごみはたまにだすけど 他は ずっと捨ててない」と聞いて 「そうか」って言ってしまうんだよな 共感はせんけどね 肯定はしたいからなんかね そう たいした意味はないけど 浅草着くまでに バスから あしたのジョーの ジョーの等身大みたいなの 見かけた 浅草ついて とくに何か見ることもなく でも 仲見世でシャッター下りてる店何軒か見て ビール飲んで 地下鉄で帰る 家の近くまできて 思う 誰かのために 何かしたいとか 考えたことないけど 「そうか」って言うだけなら 同じ 位置に 立ってるようで そのひとの 顔も見ずに 一緒に 風景を眺めることに ならんかなって

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