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あわいものやとわたし 途中の雑記


5周年企画「あわいものやとわたし」更新中です。
メッセージを送ってくださる方との出会いのタイミングが全部違うのでそれぞれの印象の違いなども読んでいて面白いです。
昨日メッセージを送ってくれたジュンさん(中野トナカイでの占星術勉強仲間でした)がお店に立ち寄ってくれたので「新しき村なんて言ってた?覚えてないけど」と言ったらジュンさんは「それは覚えてるし 神妙な感じで言ってた」と言われへええとなったんですが、昔からお墨付きを得てるものだけを評価する傾向にある社会が嫌いだったと言いますか、誰かが評価したものだけを消費する社会は安定して消費を楽しめるんだと思いますが、誰かの許可を得なければという姿勢でいることはずっと苦手です。若い頃は免罪符になるものはあった方がよいとは考えていたんですが、免罪符になるようなものも手にしていなかったので社会から見ると存在はしていなかったようなものだと思います。
物の見方は意地の悪いところあると思いますが自分の中に悪意はありません。物の見方は甘いけど悪意ある方が多数派だったりするのか?と思うこともあります。
感情は揺れてるけど感覚は揺れていない表現より、感情は揺れてないけど感覚は常に揺れている表現の方が好きで、新しき村とは思いませんがたぶんこんな考えの実践の場所であるとは思います。

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