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リフレクションジャーナルとしてのnote活用のすすめ

いつもは誰のためでもなく書き連ねたことをnoteにも転載しているが、「書くことと書いたことを振り返ること」が「自己と世界に対する認知」をよりいろどり鮮やかなものにし、何より今日という日を味わうことに繋がっていることを実感するので、今日は「すすめ」という形で書いてみることにする。

もっともっとnoteを有効活用しているもたくさんいると思うが、noteを使おうかどうか迷っている人、始めたけどどうやって活用しようかと思っている人、もしくはリフレクションジャーナルを書きたいけどどこに書いていこうかと迷っている人にとって選択肢の一つになれば嬉しい。

1.リフレクションジャーナルとは

私の書いているものは、いわゆる日記に近い。いわゆる、と言ってもイメージするものは人それぞれだろうから、「夏休みの絵日記」を想像してもらうといいだろう。「その日起こったことと、それに対する感想」というのが日記の主な内容だと考える。

書いているリフレクションジャーナルと日記との共通点と違いを挙げるとすると…

<日記との共通点>
・その日起きたことを書く(こともある)
・目に映ったことを書く(こともある)
・感じたこと、考察したことを書く

<日記との違い>
・一日に何度か書く(こともある)
・書いたものを、少し時間をあけて読み直し、時には修正する
・書いたものを読んで、それがどんな視点で書かれたかを考察する

日記との一番大きな違いは最後の項目だ。ただ単に、今日のことを書くのではなく、「書いた自分」を後から眺めてみるということをしている。

2. リフレクションジャーナルの目的

「内省」や「振り返りの時間を持つこと」の重要性については近年、人材育成やリーダーシップ開発の領域でも取り上げらえるようになっているが、どちらかというとPDCAの進化系(あくまで具体的な行動プランを作り業務改善をしていくことが目的)のものも多いように思う。

しかし、現在私がリフレクションジャーナルを活用しているのは行動改善のためではなく、「行動をする自分自身」や「行動を選択している物事の捉え方」自体を成長させていくためだ。そのために、自分自身の物事の捉え方や視点自体を客観的に捉えるということを行う。行動にも変化が起こる場合もあるがそれはあくまで結果だと考えている。

逆説的だが、「物事の捉え方」を成長させていくためには、「現在の捉え方で世界を存分に味わう」ということも必要だ。背伸びせず、感じるままに、ただただ味わい尽くす。もちろんそれは日々の暮らしや仕事、他者との関わりの中でも行なっていければいいが、実社会ではそうも言ってはいられないこともある。

「今見ている世界を存分に味わう」そして「自分がどんな風に世界を見ているかを客観的に考察する」のが、リフレクションジャーナルの目的であり特徴とも言える。

3. なぜnoteがリフレクションジャーナルを書くのに向いているか

「その日見たものや感じたことを書きたいように書いて後から見直すのであればどんなツールでもできるじゃないか」と言えば確かにそうだ。私が実際にnoteにリフレクションジャーナルを転載するようになって、「これはリフレクションジャーナルを書くのにおすすめのツールだ」と思った理由は大きくは3つある。

<noteにリフレクションジャーナルを書くのがおすすめの理由>
1) 簡単にはじめられる・つながらなくていい
2) 見た目がシンプルで美しい
3) 下書きの共有機能がある

なんだそんなことかと思うかもしれない。ちょっとしたことだが、「始めること」「続けること」に重要な要素だと思う。

まずは簡単にはじめられること。日記を書きたいだけなのに、アイコンやプロフィールを設定するのは面倒だ。登録すると連絡先を知っている知り合いと繋がることができるなど余計なお世話だ。人に読んでもらうことを前提にすると、どこかで「良く見せよう」という気持ちがはたらく。特にビジュアルイメージ重視のツールが出回っている中では「盛る」ことが無意識に当たり前になっている。「盛りたくなる自分も自分」と言えばそうなのだけれど、「盛る」ことに必死になって、その根底にある自分の気持ちや考え方に気づかなければリフレクションジャーナルに取り組む意義はあまりないだろう。noteのコンセプトは「つくる、つながる、とどける。」のようだが、つながることを目的としていない人におせっかいをしてこないところがnoteの心地いいところだと感じている。

次に、見た目がシンプルで美しいこと。具体的にはパソコンで見たときに余白が十分にあり、明朝体のフォントが選べることが気に入っている。現在はゴシック体がデフォルトだが、明朝体との二択というのが潔い。noteで誰かが書いたものをふらりと読んでも、ごちゃごちゃせず、この世界観の中にいることのストレスが少ない。「赤ちゃんのときからスマホに触っていました」という人たちにはちょっとした設定がなんともなくても、私も含む30代後半以降の「デジタルテクノロジーの変化の荒波の中であっぷあっぷしている」という人たちにはこのシンプルさがちょうどいいだろう。

自分の言葉を、すっきりとした美しい世界観の中に置くと、書いているものもなんだか素敵なものに思えてくる。誰かに見せるためのものや誰かに評価されるためのものでないけれど、自分で「なんとなく素敵」と思えることは気持ちよく続けるためには大事な要素だと思う。手軽に自分でサイトを構築できるツールやブログサービスもあるけれど、始めようと思うとそれなりに手間がかかるし、フォントなど下手に選択肢があり、もっさりしたものができあがってなんだか心地よくないとなると続けることは難しい。それならばプロが作った整ったバランスの土台の上で気持ちよく続けるほうがいい。今のところnoteの潔さと美しさのバランスをとても気に入っている。

最後の下書きの共有機能というのは、最近見つけて「これなら人にnoteをおすすめできる」と思ったポイントだ。今まで何かを書く習慣がなかった人が書き始めること、そして書き続けることは簡単なことではないと思う。そこで誰かの反応があるというのは後押しになることもあるが、リフレクションジャーナルの目的を考えると、直接的な反応はなくていい要素だ。まずは、他者からの評価や反応を気にせず、誰に向けるわけでもなく、自分が見たもの、感じたこと、考えたことを書いていけばいい。

だったらわざわざインターネット上のツールを使う必要もないだろうという見方もできる。確かにそうだ。そこで敢えて、公開することの面白さを伝えたい。そもそも私がリフレクションジャーナルを書くようになったのは、すでにリフレクションジャーナルを書くことを習慣にしていた友人の勧めがあったからだった。それまでは不定期で友人の書いたリフレクションジャーナルは読んでいたが、自分が書き始めてみると、他者が書いたものを読むのも一段と楽しくなった。自分とは違う場所で、違う景色を見て、全く違うことを考えている人が書いたものを読むことで、自分自身の世界を見る目が一層色鮮やかになり、思考もゆらゆらと自然に揺れ動くようになった。

他者が書いたものが何かを考えるきっかけになることもあれば、食生活を改善するきっかけになることもある。そして私が見て感じた世界が他者の世界の中に新たな模様を作り出すきっかけになることもある。ゆっくりとあいまいに世界が重なり新しい色をつくり出す感じはなんだかとても新鮮で、やはり心地いい体験になっている。即時的な評価や反応でも、直接的なメッセージでもなく何かをゆるやかに交換していくのは、既存のコミュニケーションツールを介した方法に次ぐ、あたらしいコミュニケーションの在り方になっていくのではないか、そうなっていけばいいなとさえ思う。

だったら、普通に公開すればいいじゃないかという話なのだけれど、私がそうだったように、いきなり知らない人に自分の書いたものを公開するのがハードルが高いという人もいるだろう。だから「下書きの共有機能」がありがたいのだ。既に何かを書いている人や信頼できる人にだけ、書いて保存したもののURLを共有すればいい。

「手軽に、安心できて、気持ちいのいい美しさの中で書けること」それがnoteの良さであり、私がリフレクションジャーナルをnoteで書くことをおすすめする理由だ。

4. 実際の運用方法・書き方

最後に実際にどうやってリフレクションジャーナルを運用しているかと、続けるコツを紹介する。

<運用方法>
1) まずはwordやpagesなどのオフラインのツールで書く
2) 1日から2日寝かせて読み直し、誤字脱字や表現でしっくりこないところを修正する
3) noteにコピペして公開する
4) 2)で溜まっていったものを少し時間が経ってから読み直し、表現しなおしたいことがあれば修正する
*私はその後、4)を20項目ずつまとめたものをPDFでも公開している

最初からnoteに書いていってもいいと思うが、私の場合は移動中やあえネットを繋げずに書きたいときもあり、またバックアップという意味でも、まずはオフラインのツールに書くようにしている。

そして、すぐに公開するのではなく、寝かせる時間をつくることで、自然と「書いている自分」を客観的に見る機会ができる。書くときは書くことに没頭し、後から没頭していた自分を眺める感じだ。そしてさらに時間をあけて読み返すことで、自分自身の視点や考え方が変化していったことや、その中で変わらない想いがあることを確認することができる。

リフレクションジャーナルは定点観測のようなものなので続けてこそ意味がある。とは言え私も、今でも特に旅先では1日が終わる頃にはエネルギーも時間も使い果たしてリフレクションジャーナルを書けないこともある。試行錯誤中ではあるが、なんとなく分かってきたのは…

<続けるコツ>
1) 書きやすい時間帯を探してみる
2) 書く場所と、書き始めの流れを決めてみる
3) 仲間をつくる

私の場合は、基本的には朝、簡単なヨガのポーズをして白湯を飲み、1日の仕事を始めるその前にまず書くようにしている。そして夜は夕食の後、それに加えて夕方にも書くこともある。夜は朝よりも落ち着いて書くことができるが、一日の過ごし方によっては書くエネルギーがあまり残っていないこともある。できれば寝る前はパソコンを使うのをやめてゆっくりしたいので、そうすると必然的に夕食の後ということになる。

「そもそも手書きなら寝る前にベッドの中でも書きやすいのでは?」とも考えられるが、手書きの場合、浮かんできたことをそのまま書くほどのスピードではかけず、同時にその場である程度の推敲が起こるので、書かれたものはかなり無駄なくそぎ落とされたものになってしまうだろう。私も当初、「手書きの方がどこでも手軽に書けるのでは?」と思ったが、パソコンを使って書いていなければここまで色々なことを書くことを続けられなかっただろうと思う。

個人的には朝は心も空気も澄んでいる感じがしておすすめだが、「朝いきなり何を書く?」という疑問もあるだろう。私の場合は、朝に限らず日記を書くときはまずは書斎の机の前に座り、窓から中庭を見る。中庭で猫が散歩をしていたらしばらくその姿をぼーっと見ていることもある。中庭に響く鳥の声を聞き、植物を見ていると、昨日の出来事や、考えてもいなかったことが、泡のようにふわっと浮かんでくる。見ていること、聞いていること、感じていること。そのどれかからなんとなく書きはじめると、自分が「こんなこと考えてたんだ」と思うことを書いていることもある。もしくは日中、「これを書こう」と思うこともある。いつも見える景色が同じなら、いつも同じように書き始めてもいいだろう。何を考えているか・感じているか・書きたいかなんて、書いてみないとわからない。とにかく、簡単なことから書き始めてみることがおすすめだ。

そしてやはり、同じようにリフレクションジャーナルを書いている仲間がいると続けやすいだろう。先ほども触れたように、ゆるやかになんとなく他者の見ている世界を感じるというのは、自分とは違う視点で世界を見る興味深く面白い体験だ。書けない日があっても人が書いたものを読むと、自分もまたゆらゆらと感覚を言葉にしてみようという気になったりもする。それぞれがそれぞれの音を奏でていることを遠くに聞くような、馴れ合いではない、凛とした関係の仲間がいれば、リフレクションジャーナルをつけるという取り組みは、より清々しく奥深いものになっていくだろう。

noteへの転記元となっているリフレクションジャーナルの様子

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分かったように書いているが、ここに書いたことのほとんどは、リフレクションジャーナルを書くことを勧めてくれた友人が教えてくれたことだ。友人への感謝を込めて、私は私なりに、まだ見ぬ誰かに少しでも何かを伝えられたらと思いここに言葉にしている。2019.7.19 Fri 18:58 Den Haag


*リフレクションジャーナルはインテグラル理論における統合的実践の具体的な取り組みの一つでもあります。

参考書籍:
インテグラル理論のことをまずはざっくり知りたい方に
入門 インテグラル理論』鈴木規夫・久保隆司 ・甲田烈 著

統合的実践も含めてより詳しく知りたい方に
インテグラル理論 多様で複雑な世界を読み解く新次元の成長モデル』 ケン・ウィルバー著 加藤洋平監訳 門林奨訳

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