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人のパラソルを笑うな

暑い。

夏がきた。

往生際悪く長袖を着ても、押し入れに仕舞われていくこたつ布団にしがみついて必死に抵抗しても、私たちは決して、夏の襲来から逃れることはできない。

私は夏が嫌いだ。大嫌いだ。

単純に、この逃げ場のない暑さも苦痛なのだが、それ以上に、夏にとるべき態度が、私はいまだにわかっていない。

水を飲むタイミングは?サングラスはいつ着けていつ取ればいいの?髪はやっぱり毎日洗わないとだめなの?私汗臭くない?ムダ毛恥ずかしい!日焼け止め塗りすぎてベタベタする!どうしてべつに食べたくもないアイスを食べてるんだ?誰に向けてアイスを食べているんだ私は?アイスとスマホで手が塞がってる!コーンの底からアイスが漏れていく!あぁもう駄目だ!!殺してくれー!!!!!!

夏のあいだの私の脳内は、だいたいこんな感じである。

厚い布を纏ってフクロウのように押し黙っていれば良い冬と違って、夏は気を配らなければならないことが多すぎる。爽やかなシャツ一枚で、心地よい汗をかきながら屋上で青春とポカリを味わうような夏は、私には訪れたことがなかった。

遠慮がちに出した黒い腕がヒョロヒョロと袖から伸びている。棒みたいで不安だ。

この棒みたいな腕を見ていると、昔の恋人に「あわちゃんを抱きしめると、沈没した船から投げ出されて、海の上で丸太にしがみついてるような気分になる。」と言われたことを思い出す。

また別の恋人も、新しく買ったスリムな茶色の本棚にしがみついて「あわちゃん大好き〜」と言っていた。

ふざけるなよお前ら。いつか熱々のアスファルトに磔にしてやる。

さて。

夏のさまざまな不安要素のなか、かつて私の心をもっとも憂鬱にしていたのは、日傘である。

一昨年の夏あたり、はじめて日傘を買った。

褐色肌の私にとって、日傘を買うというのは少々勇気がいるものだった。私は自分のことを「日傘をさしてはいけない人間」だと思っていたからだ。

この国において日傘は、というと主語が大きすぎるので改める。少なくとも私と私の周辺の、私の目に入るドラマや映画、アニメ、街の人々の範囲では、日傘は透き通るような白い肌を守る象徴だった。

銀魂の神楽、メリーポピンズ、そして私の母。みんな色白だ。私は褐色肌の人が日傘をさしているのを見たことがなかった。

褐色肌の人は日傘をさす必要がないんだ。子供ながらにそう思った。

それでも暴力的な日差しは平等に降り注ぐ。日傘をささなかった私の体は、虫メガネを近づけた黒い紙さながらジリジリと焼けた。

それでも、日傘は気恥ずかしくて欲しいとは思わなかった。その気恥ずかしさが、自分の肌の色ゆえだったのか、それとも女子がはじめてブラジャーを着けるときの躊躇いのようなものだったのか、今となってはわからない。  

どちらにせよ「私なんかがさしたら笑われる。」と思った。

猛暑のなかを鬼のような形相で歩く娘を見かねたのか、ある日、母が私を自分の日傘の中に入れてくれた。

涼しい。思っていたよりずっと涼しかった。

頭皮を焼いていた直射日光は遮られ、眩しくて開けられなかった目は苦もなく開いて、私は驚きながら周りの景色を見渡した。すごい、ずっと影の中にいるみたい。日傘ってこんなにすごいんだ。

意地を張っていた自分が馬鹿みたいだった。

日傘をさすようになってから日焼けもしなくなって、私は母から受け継いだ、少し青白さの混じった褐色を保つことができた。

日焼け止めもサングラスも、私もつけていいんだ。ちゃんと必要だったんだ、と感じた。嬉しかった。

夏が来た。先週人の家に日傘を忘れた。新しいのを買うべきだろうか。




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