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喪失の予兆 映画『ジュリアン』によせて

先進国のなかでも、人権や性のあり方といった問題を考える上で、常にそのモデルとして参照されてきたフランスですら、現実ではいまだ家父長制という伝統的な価値観が大きく、男性の支配力は女性に比べて圧倒的に強いということを『ジュリアン』という映画は示してみせた。しかも、子どもの親権をめぐる離婚訴訟や、夫からの家庭内暴力という陰湿にならざるをえない題材にもかかわらず、全編を通して緊迫感を保ったサスペンス調の演出が冴え渡り、決して退屈させず観客の内心へと突き刺さる刺激的な作品へと仕上がっているのは、端的に言って監督であるグザヴィエ・ルグランの手腕によるものだろう。

STAFF
監督・脚本:グザヴィエ・ルグラン
製作:アレクサンドル・ガヴラス
撮影:ナタリー・デュラン
編集:ヨルゴス・ランプリノス
音響:ジュリアン・シカール / ヴァンサン・ヴェルドゥー / ジュリアン・ロッチ
CAST
ミリアム:レア・ドリュッケール
アントワーヌ:ドゥニ・メノーシェ
ジュリアン:トーマス・ジオリア
ジョゼフィーヌ:マティルド・オネヴ
サミュエル:マチュー・サイカリ

ヴェネツィア国際映画祭にて監督賞を受賞した本作は、フィリップ・ガレルの作品などにも出演している俳優のグザヴィエ・ルグランが初監督作品として手がけた短編映画『すべてを失う前に』を下敷きとして、同じテーマをさらに掘り下げるべく、主要キャストはそのままに新たに長編映画として作り直したものだ。

その冒頭の場面を振り返るに、裁判所で開かれた離婚調停に関する話し合いの場面では、夫であるアントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)と妻であるミリアム(レア・ドリュッケール)が居るにもかかわらず、カメラが映し出すのは、判事や彼らに付き添う弁護士らの表情であって、彼ら夫婦の表情を捉えたショットは少ない。この夫婦の口から交わされる言葉からは、離婚後の息子の親権をめぐり、彼らのあいだで意見が食い違っている様子がわかる。

あくまで単独での親権を主張するミリアムと、反対に共同親権を主張するアントワーヌ。イランの映画監督であるアスガー・ファルハディの『別離』(2011)では、冒頭の離婚の協議をめぐる場面で、夫婦が判事がいるカメラの方向に対して正面を向いて喋り、まるで観客が判事の視点に立って、彼ら夫婦に対してどのような判断を下すのか、という演出をしていたが、この『ジュリアン』の冒頭はその逆に夫婦の姿ははっきりと見せないことで、あくまでも客観的な視点から、彼らがいかなる関係であるかという情報だけを提示するかたちで説明し、そうした表層的な部分には出てこない暗部や、実態とのギャップというものを、その後の展開のなかでスリリングなタッチで描き出していく。
この離婚調停のシーンの雰囲気に現実感を持たせるため、ルグランは実際に家庭裁判所に出向き訴訟を観察し、裁判官の仕事を調べ、弁護士、警察官、ソーシャルワーカーらに取材を重ねたという。

映画を作るにあたりルグランは「最初から最後までピンと張ったゴムが切れることなく、一本の筋として最後までテンションを保つこと」を心掛けていたと語っている。確かに全編にわたって妙な緊張感がひた走り、嫌な汗がじんわりと湧き出てくるような映画であって、家庭内暴力をめぐる作品にしては生々しい身体的な暴力描写が抑えられている。

さらに作品のテンションは細部へのこだわりによって保てられ、劇伴を使わない代わりに細かな環境音への配慮によって繊細な演出がなされている。車のインジケーターの音や時計の秒針、携帯のバイブ音や扉をノックする音など、こうした細かな音へのこだわりは、実際にルグランがDV被害に遭った女性たちへの取材の際に聞いたものだという。繰り返し反復される無機的な音によって、恐怖が徐々に蓄積されていくのが伝わってくる。

作品を印象付けるシーンとして、父親のことを嫌がるジュリアンが、半ば強制的に週末をアントワーヌの元で過ごさねばならず、彼の車に乗せられる場面が幾度となく描かれる。車内という密閉された空間のショットを反復させることで(さらにはそこにジュリアンの表情のクローズアップを何度も挟み込むことで)、閉じ込められていく恐怖をより印象付ける。これはジュリアンが初めて画面に現れるのが新居に引っ越してきたときに、何もない広い空間に座り込む場面であることの対比としても読み取れる。彼の恐怖は心理的にも肉体的にも“閉じ込められていく”ことにあるのだ。

終盤における凄惨な暴力描写のあとに、事件の通報をしたマンションの隣人の表情を映すショットからは、この映画が派手なバイオレンス描写で終わることなく、一歩引いた目線からこの家族が置かれた状況を見つめ直す客観性が生み出されれている。
フランスでは2日半に1人の割合で、女性がドメスティック・バイオレンスの被害に遭っているというが、ラストカットにおける被害女性と彼女をなだめる警察官という構図は、テレビやネットニュースにおける表層だけのイメージに重なるが、果たして現実ではそこに至るまでの過程でどのような悲劇が起きていたのかを考えさせられる。『ジュリアン』が与えるメッセージは大きい。



主に新作映画についてのレビューを書いています。