見出し画像

自然のおきて

ミイラ取りがミイラになってしまうと、元も子もない。

ないんだけど、私自身が、ほとんどそうなりかけてて、ぎりぎりのところで、本来の在り方にぐぐっと戻ってこようとしてる。
その歪んだ方に、かなり無理して合わせてたので、その揺り戻しというか好転反応がいろいろ酷い。
しみじみ、自分による反復継続(月)のもたらす力は凄まじい。


Image by LUM3N from Pixabay

正常化のきっかけは、方位取りだ。
ここでも、最近旅に出るたびに記事をUPしている。その積み重ねあっての、今回の引越しとなった。
方位についてもたくさん書きたいのだけど、その話は今日はしない。

わりと最近まで、大きな自然の力から切り離されて孤立している感覚がとても強かったのだけど、やっと、つながった感じが戻ってきている。

そして、身体感覚が、右脳からスタート、に切り替わった感覚がある。

切り替わってすぐの数日は、単語がでてこなくてほんとうに焦った。。

もうひとつ驚いた体験は、twitterでも書いたけど、ホームセンターで、配送エリアを確認しようと住所を告げたら、
「〇〇?そんな遠いところには対応してません!」と言われたこと(※〇〇は古い住所)。

わたしとしては、はっきり新しい住まいのエリアを言葉にしたはずだったのに、もやっとぼんやりしていた、脳内イメージの、前の家、の方が相手に伝わってしまったらしい、、うーん、イメージの力は凄まじい。

わたしのひねくれた心のせいで会えていなかった人に会いに行けたり、少しずつ正常化が進んでいる感覚がある。
ひねくれているときは、相性が良い人に近づけなくなる。おそろしいものだ。。

好相性という定義はいろいろあると思う。
一般的な定義としては、やはり、日常生活の助け合いができる=月ベースの身体感覚が近いということがとても大きいと思う。

けれど、そういった、ある種低レベルというか、普通の試練をそのひとなりに終えた場合、次のレベルでのテーマが待っている。
それは、やはり、陰陽の統合。

このことを、星を使って理解するならば、
オポジションへの取り組みだとしみじみ思う。

オポの関係性は、日常的な低い周波数で、調和することはできない。
ひとつ上の周波数帯にあがらないと、調和できないのだ。
それは、各々が、いろんな意味で自立しつつも、手を差し出す関係性、ということかもしれない。

それはまるで、将棋盤で、相手の陣地に入って、一回死んでるんだけど、またそれで復活して、機能性が変わった状態でさらに戦っていく、そういうフェーズかもしれない。

オポジションは、低いところでみると、お互いまったく反対で、似ても似つかないということになる。しかし、周波数を上げると、ひっくりかえってお互いそっくりということがよくわかる。
そういうことなので、解決するときは必ず、上にあがらなければならない。

それを、違う言葉でいうなら、愛なんじゃないのかなあと思っている。

つった魚はやらず、つりかたを教えるのが愛だよ、というけれど、
まさに、オポ、な関係性は、このことを学ぶチャンスなのだとしみじみ思う。そういう、ハイレベルなチャレンジ精神がないと、この関係性は疲れてしまってすぐ破綻する。。

低いレベルで相手をみつめると、自分にもっていないものばかりもっていて羨ましくて、嫉妬して、それで疲れてしまう。あるいは、お互いその果実を相手にあげるんだけど、なんというか、どこか腑に落ちない感じになる。

果実をあげる、というかたちでの優しさは、その人の流れをよくもわるくも断絶させる介入になる。だから、どんなに熟して美味しい果実であっても、あまりよろしくないんだ、、

だけど。
ひとつ周波数帯をあげて相手をみたとき、相手の中にある、もうたわわに実っている見えない世界の果実や、豊かな流れやきらめきを、みつけてあげることが、できる。
それは、自分ではできないことというわけでもないけど、みつけてもらうことがどれほどまでに嬉しいことなのか。

良い相性、というのは、
あなたはもう、こんなにも素敵な、心の果実をたくさんもっているよ、ということを互いに気づかせ合える関係、かもしれない。
奪うとか殺すというと、みんな「あら悪い、ひどいわね、いけません」というが、その結果、流れから孤立して果実として存立できるようになったものを享受するとき、奪うとか殺す、と地続きである、ということをみんな忘れすぎなのだ。

奪わず殺さず断たず、互いが元気になるような関係、幸せな事です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?